↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
17/26

#16廻らない命

 自室にて、ケンとエイはそれぞれのベッドに腰掛け深刻な表情をしていた。


「プロジェクトE……おぞましいな」


 ケンがカタシア山の廃研究所で遭遇したプロジェクト――話を聞き終えたエイは忌々し気につぶやく。


「ああ。そんなの見ちゃったからさ……俺、どうしても今回の失踪事件も……普通の事件じゃあない気がして。研究所が関わっているんじゃあないかなって思って……」


「ケン、“宵闇の眼”って知っているか?」


 突然聞かされる単語に、ケンは狼狽える。それと同時に、どこか引っかかる感覚がした。初めて聞くわけじゃあない、かつて耳にしたことがあったような……。


「……まあ、普通に生きている人間は知らなくて当然か」


 エイはため息をつく。普段のエイらしくない、重みのある吐き出し方だった。


「簡単に言うと、暗殺者ギルドだ。金次第でどんな汚い仕事でも請け負う、そんなこの世の終わりのような連中さ」


「それが今、何の関係が……?」


「そいつらは、身寄りのない子供を集めて暗殺者へと育て上げているんだ。研究所とやっていることは同じ。弱者を道具のように使い潰しているんだ」


 ケンは言葉を失う。世界の裏側に潜む闇、ひとたび顔を覗かせるとそれは次々とやってくる。


「力のない者は、いつだって……虐げられ……」


「いや、すまない」エイは大きく息を吸う。「今は関係のないことだな」


 らしくない、とケンは思った。


 その後は二人とも言葉を発する気力を失っていた。その夜の夕食ではろくに味も分からない様子で、そんな二人をルリは不思議そうに見つめる。


「お二人とも……何かあったのですか……?」


 ケンはどう答えるべきか悩んでいると、エイが先に口を開いた。


「ルリ、俺たちがここに滞在している間、君はできるだけこの孤児院にいてみんなを守ってくれ。君なら――いや、君にしかできないんだ」


 首をかしげるルリ。

 

 エイが考えるよりも先に言葉を発しており、明らかに様子がおかしい。そう感じたケンは咄嗟に助け舟を出した。


「実は――」


 子供たちの失踪事件、マチの奇行、そして繋がりそうで繋がらず、見えてこない違和感……。全てを聞き終えたルリは力強く頷いた。


「そういうことだったのですね……。ですが、お二人はどうするのですか? まさか――」


「首を突っ込むつもりはない」


 言葉とは裏腹に、エイは間違いなく義憤に駆られているのだろう。そしてそれはケンも同じだった。


「でも、放っておくことはできない、だろ?」


 止めようと口を開きかけたルリだったが、彼女の視界の隅に団欒の時を過ごす子供たちが映る。小さく息をついてから、静かに二人を見た


「無理だけは絶対にしないでくださいね? 警察や……誰か頼れる人だっているはずです」


 ケンとエイは頷くと、ルリはそれ以上の追及をしなかった。


「おはよう……ルリ、なんか食い物くれ……」


 重々しい空気をぶち壊す様に、寝ぼけ眼のリノエが食堂へと入ってきた。


「おはようって、もう夜ですよ!?」


「リノエさん、まさか今日ずっと寝てたんですか?」


 呆れるルリとケンのことなどどこ吹く風、リノエは椅子に座ると背もたれに寄り掛かり天井を仰いだ。ルリは慌ててキッチンへと駆けていき、遠くからアカネと会話する声が聞こえてきた。


 彼女の姿に呆れていたケンだったが、ふとリノエに質問をする。


「リノエさん、廃研究所で見たプロジェクトEみたいな、子供を使ったやつって他にもるんですか……?」


 自身の質問内容に不快感を覚えるケン。リノエも同じだったらしく顔をしかめる。


「んなもん、いくらでもあるさ。“プロジェクトT(テストベッド)”なんて、砂漠の民(アアリアン)からさらった子供を使ってるって聞いたぞ」


 ケンの隣でエイが力強く拳を握りしめた。


「……何かあったのか?」


 真剣な眼差しのリノエに、ケンは今日の出来事を伝える。彼女は頭を抱えテーブルに突っ伏した。


「何か心当たりがあるんですか?」


「いや、ない。……というか、お前の情報だけじゃあプロジェクトが関わっているかどうかなんて断言できない」


 うなだれるケン。


「そんな……」


「大人としては、じっとしてろとしか言えないな。それに、仮に研究所《グランギニョル》絡みだったとして今やつらにちょっかいかけるのは賢くないと思うが?」


 頭の中では理解している。しかし、ケンの心の内では必死に反発している。どうしようもない無力感にさいなまれその日の夜は過ぎていった。


* * *


「おじさんおるか? 入るで」


 夜も更けた頃、サトルの自室の扉をリョウは叩いた。書類がうずたかく積まれた机の向こうからサトルは顔を覗かせた。


「どうした? 何か問題か?」


 神経質なその顔に、リョウは溜息をつく。


「マチがリカさんの店の前で張り込んどるみたいや。おじさん、一体どうなっとる?」


「……お前が見たのか?」


「ツレが今日街に出たとき見かけたそうや」


「で、マチは何て言っとった?」


「なんも。俺が聞いても答えてくれへん。さっぱりや」


 サトルはくたびれた様子で頭を抱えた。


「なあおじさん、嘘やろ? リカさんがプロジェクトGに関係しとるわけないよなあ?」


「彼らを見張っておけと言ったやろが……」


「はぐらかすなや!」


 怒声の後に夜の静寂だけが残った。それを破るようにサトルは口を開く。


「リカ・ティモー……プロジェクトG唯一の成功体。お前だってうすうす感づいていたやろ……」


 リョウはその場に膝から崩れ落ちる。


「う、嘘や……そんなわけあるか! あの人が……!」


「どれだけ嘆いたって事実は変わらへん。あの子とこれからも一緒にいたかったら、黙って研究所に協力するんや。俺はGの監視、そしてお前はDの監視……。それさえ続けていればこの孤児院は安泰なんや」


 どこまでも非情なその言葉とは裏腹に、サトルの表情は悲痛なものだった。しかし、今のリョウに彼の顔を正面から見る余裕などなかった。


「俺は、俺は……」


* * *


 翌日、孤児院の朝は二人が言い争う声ではじまった。


「待たんかマチ!」


「はなして!」


 明らかに普通ではない様子にケンは自室を飛び出した。エントランスではリョウとマチがなにやら揉めているようだった。


「いいかマチ、今子供がいなくなる事件が多発しとるんや。そんで学校はどこも休校。そんなときに外出歩くアホおるか?」


 優しく諭すように説明するリョウだったが、彼の言葉は少女には届いていなかった。マチは玄関を見つめ、必死にリョウの手を振りほどこうとしている。そんな様子にしびれを切らしたのか、リョウはマチを軽くわきに抱えると歩き出した。


「こんなことしたくはないけどしゃあない。少し頭冷やしとけ」


 リョウは物置部屋にマチを放り込むと扉を閉める。そして内側から開けることができないよう椅子をドアノブと床の間につっかえ棒にした。


 しばらく内側から扉を叩く音が聞こえていたが、やがてそれも聞こえなくなった。リョウは深いため息をつく。


「朝っぱらから騒がしくてスマンな」


 あっけにとられるケンの肩を叩くと、リョウは食堂へと消えていった。


「……」


 ケンは耳栓を外しドアの向こう側、物置部屋内部へ耳を傾ける。すすり泣くような声が彼の耳に届く。


「どうした、ケン」


 背後に近づく足音に顔を向けると、近寄ってくるエイがいた。


「ほら、あの子。今日も外に出ようとしてたみたいで、さっきリョウが……」


 察したように小さく頷くエイ。


「仕方ないことだ。外にいるより安全――おい、ケン何をする!?」


 エイの制止を振り切ってケンは立てかけられている椅子をどかすと、ゆっくり扉を開いた。物置の隅でうずくまっているマチは驚いた表情で顔を上げる。


「お兄さん、リョウくんのおともだちの……?」


 ケンは人差し指を口の前に当てる。エイはやれやれといった様子で頭を左右に振った。


「昨日きみがいたお肉屋さん……気になるんだよね? 力になれるかもしれないから、よかったらお話を聞かせてほしいな」


「じゃあ、お外に出してくれる……?」


 頷き手招きをするケン。エイの焦った声が聞こえる。


「ケン、まずいだろ!」


「お前も付き合え」


 ケンは物置の扉を閉めると、先程のように椅子を立てかける。


「これでよし、と。じゃあ俺の手を握って?」


 差し出されたケンの手を不思議そうに見つめるマチ。恐る恐る伸びるその手をケンは優しく掴んだ。


「ホラ、エイお前も」


「お前まさか……」


 エイはケンの意図を察した。リョウを出し抜くようなかたちになり、罪悪感を抱えつつもケンの手を取った。


「よし、行くぞ……孤児院の裏側辺りがちょうどいいかな……」


 ケンは意識を集中させるとその瞬間、三人は孤児院の敷地の外、柵を越えた先の歩道に立っていた。


「え……? ええっ……!?」


 目を白黒させ辺りを見回すマチ。エイも言葉を失っている様子だった。


「それじゃあマチちゃん、お話、聞かせてくれるかな?」


 しゃがんで視線を合わせるケンに、マチは落ち着きを取り戻し頷いた。


「タチアナちゃんがいなくなって……わたしそれがいやで追いかけたの。でもみつからなくって」


 マチはスカートの裾をギュッと握った。


「かえろうと思って、あのお肉屋さんの前を通ったら……」


「通ったら……?」


「タチアナちゃん、いた。……と思う。お店の中に入っていった……」


 子供らしいなんともふんわりとした言葉。しかし今の二人には、それで十分だった。


「よし、行こう!」


 その言葉に嬉しそうに頷くマチ。それとは正反対にエイは渋い顔をする。


「正直、俺たちの手に余ることじゃあないのか? ここは素直に警察に――」


「大丈夫だって! 俺のこの力や、お前だって……戦えるだろ?」


「お前は一体何を言っているんだ?」


 エイの目には親友が明らかに間違った方向に自信をつけてしまっているように見えた。様々な修羅場を乗り越えたという“達成感”が与えた、根拠のないもの。危うさの見え隠れするその言動に、エイは不安を覚えた。


「まあ、威力偵察ってやつだよ。ヤバそうだったら……そうだな、警察に駆け込もう」


 親友を殴ってでも引き留めるべきか否か、エイは揺れていた。しかし、不安と期待の入り混じった表情のマチを見て考え直す。


「約束だぞ」


 三人は肉屋へと向かい歩き出した。


 ケン達が孤児院を離れしばらく経ったころ、マチの様子を見に来たリョウは物置に彼女の姿がないことに気が付き真っ青になった。


「ウソやろ……!? まさか、ケンのヤツ……!!」


 リョウは駆け出すとサトルの部屋へと向かった。道中リョウは自嘲する。何か良くないことが始まっている。そんなときに真っ先に向かうのが叔父のもととは。


 ドアノブに手をかけた時、中でサトルが誰かと話す声が聞こえる。しかしリョウは構わずにドアを勢いよく開け放った。


「おじさん! ……あれ? おじさんだけ……? 誰かと話しとったんちゃうのか……?」


 突然の来訪者にも動じず、サトルは机の上で頭を抱えていた。彼の目の前、机の上には注射器のような器具が置かれている。


「まあええわ。おじさん、大変や! ケンがマチと一緒に外出てもうた!」


 しかしサトルは微動だにしない。その様子にリョウの頭に血が上り、語気が強くなる。


「おそらくリカさんのとこ向かっとるかもしれへんのやで? なんで黙っとるん!?」


「もう、ええんや……」


「は……?」


 予想外の言葉、らしくない叔父の様子にリョウは困惑した。


「何がええのや?」


「これ、何か分かるか?」


 サトルは机の上の注射器を手に取る。理解の及ばないリョウは首をかしげた。


「その注射がなんや?」


「これであの子は“普通の人間”になる。プロジェクトGは打ち切りや……」


 リョウにまるで雷に打たれたような衝撃が走る。


「それで、リカさんはもう研究所とは無縁になるんか……? でもどうしてや?」


「分からん……。プロジェクトAtoZ自体が整理の段階に入ったとかなんとか……。この孤児院はおしまいや……うちにあの子たちを養っていけるだけのゼニはもう……」


 不甲斐無い叔父に、リョウは苛立ち彼の胸倉を掴んだ。


「何一人で諦めとんねん! ゼニだったら俺がなんとかしたる! 恵まれない子供たちへのドネイションだってあるんやろ? おじさん一人が終わった言うても子供たちは終わってへん! あの子らみんな今を生きとるんやで?」


「リョウ……」


「これでリカさんは救われる。おじさんは……孤児院《ここ》はもう研究所とは無関係や! 明日からは、誰にも怯えへん薔薇色の毎日になるんや!」


 サトルの顔に徐々に生気が戻ってくる。リョウも安心したように手を離した。


「そう、だな。生きている限り何かしらできることはあるんやな……。リョウ、ありがとう」


「ええって。おじさんは、手前ができることやっといてや。俺は行ってくる」


 注射器を引っ掴むと、リョウは勢いよく部屋を飛び出していった。残されたサトルは静かに微笑む。


「兄さん、アンタの忘れ形見に頭思いっきりブン殴られた気分だよ……でも、おかげで目ェ覚めた」


 サトルは静かに立ち上がった。


* * *


「配達中、か……」


 ケン達一行はリカの精肉店の前まで来ていた。


「もういいだろ? 引き返す――おい!」


 制止するエイをよそに、ケンはドアノブに手をかけゆっくりと回す。カギはかかっておらずに扉はゆっくりと開いた。ベルの軽快な音が響き渡る。


「確かめて、何もないならそれでいいだろ?」


「もし途中であの人が帰ってきたらどうする?」


「……謝ればなんとかなる……はず」


 エイは眩暈を覚える。しかしそんな彼のことなど露知らず、マチはドアの隙間に体を滑り込ませると店内へと入っていった。


「あっマチちゃん、一人じゃあ危ないよ!」


 ケンも後に続く。


「……ったく!!」


 エイは彼らしくない悪態のあとしぶしぶ続いた。


 綺麗に掃除された店内。壁や床は清潔に磨き上げられており、ショーウィンドウには様々な種類の肉が並んでいた。


「まあ、普通の肉屋って感じだよな」


「……あっち」


 マチは店の奥の扉目指して駆け出す。ケンとエイも急いでその後を追った。


 店の裏側は、細い廊下になっており、突き当りに昇りと下りの二つの階段があった。


「上は、生活スペースとかそんなんかなあ?」


「もしも何かを隠すとしたら、普通は下だろうな」


 光の入る昇り階段とは真逆に、薄暗い下り階段。三人は身を寄せ合い下って行った。


 階段を降り切った先には鋼鉄製の扉が鎮座している。鈍く光る南京錠がかかっていた。


「肉屋の地下って、だいたい解体場だよな……? ここまで厳重にするものかな?」


「……ケン、お前の耳で何か聞こえないか?」


 ケンはエイのその言葉で我に返り、急いで耳栓を外した。彼の耳には冷蔵庫のコンプレッサーの音のみが響いていた。


「んー何も聞こえないなあ……ん?」


 南京錠をガチャつかせていたケンの動きが突然止まる。彼の耳にわずかに子供の声が聞こえたのだ。


「いる……いる……! それも一人や二人じゃあない!」


 エイとマチの息を呑む声がする。ケンの心臓は早鐘を打ち、南京錠に触れる手は震えた。


「鍵を壊せ!」


 ケンは無限の軌跡《ヴェクター》を使い南京錠を断裂させる。冷たい床にゴトリと重々しい音が響いた。


「開けるよ?」


 エイはマチをかばうように彼女の前方に立ったあと、ゆっくりと頷いた。ケンは両手に力を込めると重い鋼鉄製の扉を押し開けた。金属が軋む不快な音をさせて扉が開かれる。


「うわあ……」


 そこは精肉作業に使われる解体場だった。コンクリートむき出しの壁にタイル張りの床。天井からつり下がっている銀色の鎖はその先端に鉤爪が光っていた。独特な光景が生み出す雰囲気に、ケンの背筋に冷たいものが走る。


「おかしいな……子供の声はするんだろ?」


 部屋を一通り見て回った後、エイが首をかしげる。地下は解体場のみで、どこにも子供の姿が見当たらないのだ。


「この先だ……」


 ケンは壁の前で立ち止まる。呻きや鳴き声、鼻をすする音が強くなる。


「壁……隠し扉か?」


 エイは辺りを探る。ケンも加わるも一向に見つかる気配はない。疲れたマチが傍にある小型のテーブルに腰掛けた時、壁の一部が浮き上がり手前に傾いた。


「おお! マチちゃん、お手柄!」


 ケンとハイファイブを交わして恥ずかしそうに笑うマチ。そんな二人とは対照的に、エイは開かれた扉の先を睨みつける。


「慎重に行くぞ」


 三人は恐る恐る扉の先へと足を踏み入れる。わずかに埃臭いような、獣臭いような不快な臭いが鼻腔を突く。


「真っ暗だ」


「待ってろ……多分これが明かりだ」


 エイは壁に光るボタンに手を伸ばす。天井の照明が一斉に灯された。子供たちの悲鳴が上がる。そして目に映る光景に、ケンは絶句した。


 部屋は二つに分かれていた。片側は鉄格子で仕切られ、その中で薄汚れた子供たちが隅に固まり震えていた。もう片側は棚のようになっており、人名が記載された段ボール箱が並んでいた。


「やだあ……」


「食べないで……!」


「こないで……!」


 子供たちは皆一様に怯え切っている。なんとかなだめようとするケンの横を、マチは素早く横切って鉄格子越しに誰かを探した。


「マチ……?」


「いた……! タチアナちゃん……!」


 再会を喜び合う二人にケンは安堵の息を吐く。


「ちょっと離れてて」


 ケンは鉄格子を掴むと、能力を発動させる。短い金属音が鳴った後、入り口部分の蝶番が外れた。


「さあ、もう大丈夫だよ。みんな、帰ろう」


 ケンがそう言い手を伸ばしたとき、彼の耳に高尚な音楽が聞こえる。それは子供たちも同じだったようで一斉に恐怖にかられ震え出した。


「何だこの音楽……? みんなどうしたの――」


 直後、ケンの後方でエイが何かに殴り飛ばされ後方の棚に激突した。ズルズルと壁伝いに崩れ落ちる彼と、零れ落ちる箱の中身。小さな白い塊――子供の骨だった。


「しまっ――」


 音楽と子供の叫び声で忍び寄る“彼女”の存在に気が付かなかったのだ。後悔するケンの顔面を、リカが手にする鉄パイプが捉える。顎から伝わる衝撃が彼の脳を揺さぶり、その意識を深い場所へと叩き落とした。


 混濁する意識と、途切れ途切れに聞こえてくる金属音と音楽。焦点の定まらない視線でケンの意識は覚醒した。


「――ん」


 曖昧になる記憶。直前に何があった……? 頭を振るケンの顔に激痛が走る。


「あ……」


 痛みと共に現実に引き戻された彼の視線の先に、彼女はいた。撥水性の手袋、エプロン、そして長靴……。高尚な音楽を背景に刃物を研いでおり、その背中からは並々ならぬ殺意があふれ出ていた。


「あら、目が覚めたのね」


 ケンの覚醒に気が付いたリカは、巨大な肉切り包丁を手に近づいてくる。慌てて距離を取ろうとしたケンは、自身の手足が椅子に縛り付けられていることに気が付く。隣の椅子にはエイが同じように縛り付けられていた。ぐったりと気を失っているようだが、その肩は僅かに上下している。


「動かないで。解体はすぐに終わるから」


 リカは包丁をケンの首に添える。ケンの呼吸が浅く、激しくなる。


「あら――?」


 首にあてがわれた包丁。しかし刃は肉を切れず黒い血が流れるだけだった。


「あなた、もしかして“私と同じ”ような人かしら?」


 どこか嬉しそうな表情のリカはテーブルに包丁を置くと、足元から何かを拾い上げる。巨大なチェーンソーだった。リカは笑顔のまま作動させると、解体場に恐ろしい音が轟く。一歩二歩と近づく彼女を前に、じたばたもがくケンはふと我に返った。


「そ、そうだ……!」


 無限の軌跡(ヴェクター)の能力を使い椅子をバラすと、ケンの体はその場に落ちるように倒れる。直後、リカの手にするチェーンソーが轟音を立て虚空を横切った。


「不思議な力ね……まあいいわ」


 ケンに距離を取られたリカは、エイの方へと向きを変える。まずい……! そう思うやいなや、ケンは跳躍しリカとエイとの間に割って入った。リカは気に留める様子もなくチェーンソーを振り下ろす。


「……ぐううう!!!」


 銀色の高速回転する刃を、ケンの右腕は受け止める。激しい痛みと、飛び散る黒い血飛沫。女性のものとは思えない力で刃を押し付けてくるリカ。ケンはそのまま力任せに刃を握りつぶした。


 肩で息をして、右手はだらりと垂れ下がる。黒い血は白いタイルの床を染め上げていた。


「めちゃくちゃねあなた……」


 壊れたチェーンソーを投げ捨て呆れた表情をするリカ。


「どうして、どうしてこんなことをするんですか……!」


 息も絶え絶えに睨みつけるケンに、リカは溜息交じりで答えた。


「どうして、って……生きる為よ。あなたにわかる? これまでおいしいと感じていたものが全て反転して、唯一おいしいと感じられるものがこの世で最もおぞましいものになった私の気持ちが?」


 何も返せないケン。


「空腹は日に日に増していく。強靭になる身体に反比例して消えていく人間性……。ならいっそ、人間を辞めた方が楽なのよ!」


「リカさん、それは違うで!」


 解体場に力強く響く声。ケンとリカが向けた視線の先には肩で息をするリョウの姿があった。


「リョウ!」


「リョウ君……? 何が違うって言うの?」


 リョウは足早にリカのもとに近づくと、彼女の手を取る。


「リカさんは人間を辞めてなんかない! 俺や、孤児院のみんなと話しているときのリカさん……美人で優しいリカさんこそ本当の人間であり続けるリカさんや!」


「そんなもの詭弁よ。現にもうどうしようもない所まで墜ちに墜ちた私にもう戻る所なんてないのよ!」


 冷蔵庫のコンプレッサー音のみが響く静寂。リョウはリカの目を見てはっきりと、力強く言った。


「戻れる。これや。これを打てば、リカさんはもう苦しまなくてええんや」


「リョウ君、それは……?」


「研究所《グランギニョル》は、もうプロジェクトGは終い言うとるんや。だから、リカさんもこれ以上苦しまなくてええんや!」


 プロジェクトの名前が出てケンの心はざわつく。またしても、研究所《グランギニョル》が人知れず罪なき人を不幸の底に突き落としているのだ。


「本当に……? 本当に私は許してもらえるの……?」


「当然や。もし許してもらえへんのなら、俺が一緒に逃げたる。どこまでも、どこまでも遠くに」


 『せやから……』とリョウは優しく続けた。


「辛いのも、苦しいのも、今日までや。これからは一緒に、や?」


「うん……うん!」


 涙ながらに頷くリカ。ケンも目頭に熱いものを感じ、思わず顔を背けた。その視線の先で――。


「ケン、感動してる最中に悪いが、これを解いてもらえるか?」


 ケンは慌ててエイの元へと駆け寄った。


「お前、手は無事か?」


 エイは拘束を解かれ自身の腕をさすりながらケンに聞いた。


「ああ、観ての通り。すぐに治っちゃうよ。便利だね!」


「その楽観さ、頼もしいな」


「あ、馬鹿にしただろ今!」


 騒がしいケンを横目に、リョウは注射器を使いリカに薬品を投与する。これですべて丸く収まる。その安堵感に包まれ、リョウは幸せな気分に浸っていた。


「はい、おしまい!」


「ありがとう、リョウ君」


 その言葉とは裏腹に、リカの表情は暗い。リョウもすぐに察する。


「心配すんなって。一人じゃあ抱えきれんくても、俺が一緒に抱えるから……多少は軽くなるやろ? それに、子供たちだってみんな親御さんに返してやればそれで万事オッケーや」


 リカは笑顔を見せるが、まだ強張っている。さすがのリョウも異変を感じたのか、眉根をひそめる。


「ね、ねえリョウ君……その薬……本当に私を元に戻すものなの……?」


 質問の意図を掴めずに困惑するリョウ。直後、リカの体が激しく揺れる。咳き込み、苦しそうなうめき声を上げる。異変に気が付いたケンとエイも駆け寄った。


「ど、どうしたんやリカさん!? 何が……どうなっとるん!?」


「だ、だだだめ……食べたい……食べたいたべたたたた」


 リカの振り払う腕にリョウは壁際まで吹き飛ばされる。距離をとったケンとエイも、明らかに異常なその状況に戦慄する。


「あ、ああ……そんな……! 嘘や! 嘘や! 嘘や!!」


 叫び声を上げ、リカはその姿を変異させていく。体中の筋肉が肥大化し、皮膚を突き破る。メキメキと骨が軋む音が聞こえる。整い美しかったその顔は、醜悪な異形へと変わっていき、透き通る声は聞くに堪えない不協和音へと変わっていった。


「リカさん……?」


 身長2メートルを超す化け物、グールへと変わってしまったリカに、リョウは恐る恐る声をかける。一瞬、その濁った瞳がリョウを捉えるも、グールは気にも留めずに解体場の入り口を壊しながら出ていった。


「まずいな……!」


「後を追おう!」


 今まさにその場を発たんとしているケンの服を、リョウは震える手で掴んだ。


「な、なあケン……嘘だよな……? アレはリカさんやあらへんよなあ? 俺が……俺があんなん打ったからリカさんが――」


「落ち着けリョウ! 俺だって何がなんだかサッパリなんだから! 今はやっちまったことより、どうやってリカさんを止めるかだろ!?」


「そうだリョウ。変異したばかりの今なら、何かしらの手はあるかもしれない……少なくとも、何もしないよりはマシだろ」


 二人の鼓舞にリョウも顔を上げる。静かに頷くと立ち上がった。


「あっ、そうだ。俺は子供たちを解放するから、エイとリョウは先に彼女を追って! 俺もすぐに合流するから!」


 一分一秒を争う事態に、ケン達はそれぞれができることに向かって動き出した。


「みんな落ち着いて! 今からお家に帰るから、ついてきて!」


 恐怖でパニックに陥る子供たちをなんとかなだめようとするも、泣き叫んだり動こうとしなかったり、ケンは心底困り果てていた。その時。


「みんなきいて! もうここにいなくていいんだよ? パパとママのいる、お家に帰れるんだよ!」


 地下牢にマチの声が響く。彼女はこんなに大きな声が出せるのかと、ケンは感心した。


 彼女の声が鶴の一声となり、ひとり、ふたりと子供たちは力強く立ち上がる。マチはタチアナの手をしっかりと握り締めていた。その様子に安心したケンは先頭に立つと出口目指して歩き出した。


 ボロボロになった店内を通り抜け、石畳の通りへと向かう子供たち。衰弱しておりよろめきながらも、その足は着実に外へと向かっていた。


「すみません、子供たち……行方不明だった子供たちは見つかったんです! 警察に連絡を……!」


 ケンは野次馬に声をかける。しかし返事が返ってくるよりも早く、野次馬の群れをかき分けてやってくる人たちがいた。――自警団となった大人たちだ。


「おとうさん!」


「ママ!」


 子供たちは次々に親の元へと向かい、再会に涙を流していた。ケンもつられて涙を拭っていたとき、焦燥しきった表情の自警団員が彼に声をかけた。


「おいあんた……子供ってあれで全部なのか……? まだ中におるんやないのか!?」


 ケンの心に冷たいものが流れ込む。地下で目にした遺骨。それはすなわち――。


「中には、もう……」


「どけ!」


 自警団の男はケンを押しのけると、一人二人と先を争う様に店内へと消えていった。


 その後は、地獄のような光景だった。名前の書かれた段ボール箱を抱え、慟哭する大人たち。行き場のない怒りや悲しみに満ち溢れ、後からやって来た警察も対処に困っているようだった。


 ケンはやるせない気持ちで立ち尽くしていると、男が一人ケンの元へと近づいてきて彼に掴みかかった。


「お前か! お前がやったんか!? ええ!?」


 ――違う。しかし、ケンはそれを口にできず視線を逸らす事しかできなかった。


「待て、そいつやない! さっきこの店からバケモンが飛び出してきたみたいやから、きっとそいつの仕業や!」


 そこからは早かった。義憤に駆られた者たちが怒号を上げ、それは瞬く間に集団の中を伝播していく。怒り狂った集団は、街の広場で警察と交戦中という噂を頼りに動き出す。地響きを立てる勢いで、その場から離れていった。


「おいケン!」


 自警団の人たちと入れ替わるかたちでリノエが駆けてきた。ボサボサの髪に乱れた着衣、おそらく寝起きのまま飛び出してきたのだろう。彼女は息を整えると、両手でケンの顔を掴んだ。


「無事か!? その様子じゃあ……また無理しやがったなこいつ……」


「リノエさん……アレ、見ましたか?」


「ああ見たよ。今は広場でうずくまっている。警察も下手に手を出せないみたいだったが……自警団の連中はどうだろうね……」


 ケンはリノエに問いかける。藁にも縋る思いだった。


「あれ……プロジェクトGって言ってましたけど……どうにかできませんか?」


「どうやって楽にしてやるか、ってことか?」


 その返答で、もう彼女は取り返しのつかないところにいるのだとケンは絶望した。


「何があった? 聞かせろ」


 ケンは包み隠さず話す。マチの情報を元にリカの店の中に侵入したこと、そこであったこと。全て聞き終えたリノエは、口を開くよりも先にケンの頬を引っ叩いた。鋭い痛みがケンの心に刺さった。


「お前の勝手な行動のせいで、今こうなってんだ! どうして……どうして大人を頼らない? そりゃあ頼りないかもしれないけど……もっと頼ってくれたら私だって一緒に考えてやったよ!」


「ごめんなさい……」


 思い上がりからの失態。死線を乗り越えてきた経験からいつの間にか芽吹いていた慢心。ケンは己の軽率さを痛烈に感じていた。


 リョウのあの謎の薬も、投与する前にリノエに確認ができたはずだ。そうすればまた違った結果になっていたかもしれない……。ケンは責任の重さに涙を流した。リノエはそんな様子を見てため息をつく。


「わかりゃあいいんだよ。前にも言ったろ? 大人に寄り掛かれるのは子供の特権だって。大人を利用してやるぐらい図太くなれ」


 リノエは微笑むとケンの頬を摘まみ軽く引っ張った。


「はい……。ところでリノエさん、ルリちゃんは?」


「お、おう……お前この流れでそれ聞けるのはなかなか図太いな……孤児院だよ。何かあってもあの子なら子供たちを守れるだろ?」


 エイがルリに頼んでいたことがまさに実現してしまった、その現実にケンはエイの先見性に驚嘆した。


「そっか……なら安心だ。リノエさん、俺、先に彼女を追いかけていったエイとリョウに合流します」


 『それから』とケンは続ける。


「マチちゃんとタチアナちゃん、二人のことお願いできますか?」


 リノエはケンが指し示す方に顔を向ける。二人の少女が寄り添うように地面に座り込んでいた。


「分かったよ……アンタは早く行ってやれ。後は私に任せろ」


 ケンは頷くと脱兎のごとく駆け出し、みるみるうちにその姿は小さくなっていった。


 リノエは溜息交じりに笑うと少女二人に近づく。マチはひどく疲れた様子だが目立った外傷は見当たらない。しかし――。


「一人は衰弱が激しいな……よし」


 リノエは膝をつき少女たちに目線を合わせ、マチに優しい声をかける。


「孤児院に戻るよ。その子は私がおぶってやるから、君はもうちょっと頑張って歩けるか?」


 力強く頷くマチに笑顔を向けると、リノエは虚ろな表情のタチアナを背負う。マチの手を取ると孤児院へと向かっていった。


 広場前の道路では、険しい表情をした自警団の人々が行進していた。その形相に、誰もが彼らに道を空けていた。


 そんな一団の前に、リョウは手を広げて飛び出した。


「ま、待ってくれ! アンタら、彼女に何するつもりや!?」


 自警団の人々はリョウを睨みつける。


「何やお前は?」


「あいつの仲間か?」


「邪魔すんなら殺すぞ!」


 ――殺す。その言葉に、リョウの心は揺れる。リカが死ぬのなら、自分も後を追うのが道理なのでは? そのとき、彼の脳裏に妹アカネの姿がよぎる。それだけではない。孤児院の子供たち、そして叔父……。自分一人の身勝手で悲しませていい人たちではない。


 リョウは力なくうなだれる。そんな彼に、自警団員は容赦なくバットを振り下ろした。頭から血を流し倒れるリョウ。すぐさまエイが駆けつけ道の脇に引きずった。


「馬鹿野郎! 本当に殺されるぞ!」


 エイの叱責も聞こえていない様子で、リョウは地面に手をつく。


 自警団の人々は、制止する警察を押しのけ広場でうずくまるグールへと近づくと周りを取り囲んだ。


「……でかいな」


「醜い化け物め……!」


「殺したる……!」


 一瞬、グールの濁った瞳が自警団に向けられる。その際、怯んだ一人が思わず手にした猟銃の引き金を引いてしまった。広場に響く銃声。それはまるで合図だった。恐怖と怒りに駆られた自警団員たちは、目の前の怪物にありったけの暴力をぶつけ始める。


「死ね!」


「全く抵抗しないぞ?」


「何やコイツ、泣いてやがる!」


「泣きたいのはお前に息子を殺された俺や!」


 目を背けたくなるような凄惨な光景。リョウは遠巻きにそれをただ見ている事しかできなかった。


「なあエイ……」


 リョウは無表情のまま、涙を流している。


「俺ってホンマ薄情な人間や。好きだ言うとったのに、そんな人を守るどころか破滅させてまうし、自分可愛さに助けようともせえへん……クズや……地獄に堕ちるべき人間なんや……」


 エイは彼にかける言葉が見つからず、ただ口をつぐむだけだった。


「リョウ! ここにおったか……お前ケガしとるんか!?」


 サトルがリョウのもとへと駆けてきた。リョウはふらふら立ち上がると、サトルの胸倉を掴んだ。


「おじさん……何や? あの薬、一体何なんや? リカさんはプロジェクトから解放されるんやなかったのか?」


「あれが……あの子やと……!? そんな……話が違うぞ……!」


 サトルはちらりと広場に目を向けすぐさま視線を逸らした。


「なんや……おじさんも知らへんのか……お笑いやな……俺ら、研究所《グランギニョル》からコケにされとるわ。ハ、ハ、ハ!」


 リョウの自嘲は、すぐに哀叫へと変わった。


「リョウ……そんな……!」


 遅れてやってきたケンは荒い呼吸のまま、うずくまり泣き叫ぶリョウと広場の惨状を目の当たりにする。


 エイへと視線を向けると、彼は黙って首を横に振った。


 何もできない無力な時間だけが無慈悲にも過ぎていった。


 いつしか私刑は終わりを迎え、自警団の人々はグール“だったもの”に灯油をかけそこに火を放った。高く昇る火柱はまるで墓標のように、空へ向かって高く昇っていった。ケン達一行は誰もその場から離れることができず、ただその異様な葬儀を見つめていた。


 やがて炎が燃え尽きたころ、残った灰はかき集められて一輪車へと盛られていく。ケンがどうするのか聞いたところ、海へと流すようだった。


 バケツで水が撒かれる。灰も綺麗に撤去され、人の姿もまばらになったころ、辺りは茜色に染まる夕暮れ時だった。


「……帰るか」


 サトルは立ち上がる。ケン達もそれに倣い腰を上げた。リョウはまだ地面に腰を下ろしたまま、ぼーっと広場の中心を眺めていた。


「あのなリョウ、申請通ったで」


 リョウは顔を上げる。


「あの後、いろんなとこ駆けまわり、頭下げてな……。うちの孤児院、存続していけるぐらいの支援もらえたし、ドネイション機関の援助も通ったわ」


「……ほうか」


「楽な方へと目を向けて、正しい道から逃げてきた……全部俺の責任や……スマン」


 サトルはリョウに深々と頭を下げた。


「もうええって。それよりさ、帰ってメシ食おうか? 子供たちも心配しとるだろうし、アカネもお冠やきっと」


 彼が無理していつもの調子を装っていることは誰の目にも明らかだった。皆一様に口をつぐみ帰路についた。


「やーっと帰ってきよった! みんなしてどこいっとったん!? ウチめっちゃ心配しとったんよ!?」


 孤児院にたどり着いた4人を、アカネは心配そうに迎え入れた。相変わらず子供たちの元気そうな声が聞こえ、それが何よりも温かかった。


「それに、タチアナちゃん帰ってきたし! いったいどーゆーこと!? めっちゃ衰弱しとるみたいやし! リノエさんおらんかったらえらいことになっとったわ!」


「あーおじさん、アカネの相手しといて……」


 サトルはアカネから機関銃のような勢いの言葉を浴びせられ参っていた。


 ケン、エイ、リョウの三人は食堂へと向かうと、ルリが勢いよく彼らめがけて駆けてきた。彼女はそのままケンの胸の中に飛び込んだ。


「急にいなくなって、ニュースじゃあ大変なことになっているみたいだったし! 私、すっごい心配したんですよ! それにまた怪我しているみたいだし! 本当に、ほんとに――」


「ルリちゃん、ルリちゃん、ちょっと落ち着いて」


 優しくルリを引きはがすケン。彼女は我に返り恥ずかしそうに頬を染める。そんな二人を見つめるリョウの表情――愁いを含んだそれに誰も気がつくことはなかった。


「ごめんなさい……とにかく、皆さんが無事で本当によかったです……。御夕飯、できていますからこちらへ……」


「俺はええわ。みんな食べといて」


 リョウはそれだけ言うと自室へ向かいケン達に背を向ける。


「え? ですが――」


「いいんだ。理由はあっちで話すよ」


 ルリの言葉を遮るようにケンは彼女の肩に手を置いた。ルリは腑に落ちない様子だったが、ケンやエイの表情を見て普通ではない様子を感じ取ったらしく頷いた。


 テーブルに着いたケンは事の顛末をルリに語る。彼女は途中一言も口を挟まずに黙って聞いていた。


「……そんなことがあったのですね」


 目を伏せるルリ。全てを話し終えたケンもやるせなさに覆われていた。


「俺のせいなんだ。俺が勝手なことをして……首を突っ込んで……よくない事態に……」


「あの時止めなかった俺の責任だ」


 自身を責める男二人に、ルリは慌てて助け舟を出す。


「お二人とも待ってください。今は誰が悪いとか、そういうことを言う時ではありませんよね?」


 顔を上げるケンとエイに、ルリは優しく微笑みかける。


「リョウさんは今とても辛く悲しい状況に置かれていると思います。そういう時こそ、何も言わずに傍にいてあげたらいいんじゃあないでしょうか?」


 “あの日”の夜、傍にルリがいてくれたことがどれだけ救いになったか。ケンはかつての自分を思い出し頷く。


「大好きだった人がいなくなるのは、死ぬほど辛い……でも――」


 ケンは言葉に詰まる。イースト・シティを出たばかりの頃、虚無に飲み込まれてしまいそうなあの気持ちがぶり返してきた。


「でも、そんなときに一人じゃあないってわかると……救われるよね」


「そうだな。自分たちの過ちを咎めるのも大事だが、今はあいつの心に寄り添ってやることが先だ。謝罪や反省は、その後だな」


「ええ……!」


 ルリの言葉が、重苦しい空気を少しだけ穏やかなものへと変えた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。