#11虚飾蔓延る街
小型トラックの荷台、その中で様々な電子機器や家電製品に隠れるようにケンとルリは身を縮めていた。
「検問所を無事通過できますように……!」
「あの人たちを信じましょう」
「ホント、地獄に仏とはこのことだね!」
ケンの不用心な発声に、ルリは口元に人差し指を立てる。不安からケンは膝を抱く。そんな彼を、まるであざ笑うかのようにトラックは大きく揺れた。
時間は少し巻き戻る――。
* * *
登山を終え、舗装された道をとぼとぼと歩くケンとルリ。久しぶりの快晴が、容赦なく彼らを照りつけていた。
「少し、休憩しましょうか」
ルリの遠慮がちな提案。ケンは頷くと二人は脇道に逸れる。まるでテーブルの様な平べったい岩が転がっており、二人はその上に腰掛ける。吹き抜ける風を感じつつ辺りを見渡すと、周囲の木々はいつしか消え去っており、目につく限りの一帯は草原に変わっていた。
ここ数時間、明らかに休憩の回数が増えている。ケン自身は疲れていないと言えば嘘になるが、まだ歩けないわけではない。しかし、ルリの疲労は目に見えて明らかだった。
「ごめんなさい……」
ケンの視線に気づいたのか、ルリは肩を落とす。
「あっ、そんなこと言わないで。ルリちゃんは病み上がりなんだし。これ以上歩けって方が無茶だって話だよね」
慌ててフォローを入れつつも、どうしたものかと天を仰ぐ。眩しい日の光に目を細め、どこか遠くからは猛禽類の鳴き声だろうか、笛の音のような高い音が響く。飛竜に比べたら可愛さすら感じるそれに、ケンは小さく息を吐いた。
その時、途切れ途切れに鳴るクラクション音と共に一台の小型トラックがやってきた。ところどころ塗装が剥げくたびれた様子のそれは、彼らが歩いてきた方角からやってきたようだった。二人の眼前を少し通りすぎると、テールランプを点滅させ停止した。
「これっ! 被ってください!」
ルリが咄嗟に鞄からキャスケット帽を取り出すと、ケンの頭に押し付けた。
「どうしたの……ああ、耳か!」
面食らいながらも帽子の位置を調整していると、トラックの運転席のドアが開き、年老いた男女が降りてきた。背の低い男性はにこやかな表情を浮かべ、片手を上げて近づいてくる。その隣には彼の妻だろうか? 同じように優しそうな表情をした老婦人が歩いている。
「やあ若いの。こんなところでどうしたんだい?」
ケンとルリは岩の上から降りると、老夫婦に会釈をする。
「こんにちは。俺たちこの先のハバラ・シティに用があって」
「なんとまあ……この道を歩いているということは、あんたたちは麓の集落から来たのかい?」
見た目通りの穏やかな声で語りかけてくる老人。ケンは背後に霞む山を指さす。
「いえ、俺たちあの山をこ――」
突如、ルリがケンのわき腹を小突く。うずくまるケンをよそに、ルリは愛想のいい声で彼に変わって答えた。
「はいそうなんです。親戚を訪ねる為に遠路はるばるやってきました。でも――」
ルリの声色が変わる。
「困ったことに私たち、身分証を持ってきていなくて……戻るにも遠すぎるし、かといってこのままでは越境できませんし……二人で困っていた所でした」
老夫婦はその顔に憐れむような表情を浮かべ、二人で何やら話し合っていた。
「あなた、どうにかなりませんかねえ」
「そうだな……放っておくわけにもいかないし……。検問所の若い衆はわしらの積み荷までは調べないだろうし、なんとかいけるんじゃあないかのう」
彼らの会話から聞こえてくる“検問所”という言葉にハッとするケン。当然国へと入るのであれば相応の手続きが必要になってくる。そんな“当然”すら頭になかったのだ。一方でルリは既にやり過ごす術を考えていたのだろう。ケンはその強かさに舌を巻くと同時に、老夫婦を利用する形になってしまったことへの罪悪感も覚えた。
「ちいっと“ガラクタ”が多いけど、それで良ければ荷台に乗りな。ハバラまで連れて行ってやるよ」
ケンとルリは顔を見合わせる。“助かった”という安堵が、二人の胸に同時に広がった。
「ありがとうございます! 本当に助かります!」
こうして二人は荷台に乗り込み、現在に至る――。
* * *
トラックが大きく揺れ、ケンは荷台の壁に頭をぶつけた。
「いってぇ……!」
「ケンさん、声が大きいです……!」
ルリが小声で注意する。ケンは帽子を押さえながら、荷台の隙間から外を覗く。視界の端から端へと流れていく草原をぼんやりと眺める。そんなとき、トラックが停止した。サイドブレーキをかける音、そしてアイドリング状態のエンジンの振動が静かに響く。検問所の職員らしき帽子を被った頭部とその肩にかけられているライフル銃の銃口がチラリと見え、ケンは慌てて体を小さくした。
「じーさん、またガラクタばかりたくさん積んできたな」
緊張感の無い男の声。トラックを見て回っているようで、老人と会話する声が周囲を移動している。
「やることのない老いぼれの趣味だよ。どれもこれも、修理すりゃあまだまだ現役さ」
『ところで』と老人は続ける。
「積み荷の確認、するかい?」
ケンとルリの背筋にヒヤリとした感覚が走る。息を殺し目配せする二人。心臓の鼓動が早まり、騒がしいほどの音を立てているのではないかとさえ錯覚した。
「――あぁいいよ。こんな大量の積み荷、いちいちチェックなんてしてたら日が暮れちまう。そんな面倒ごと、俺の給料じゃあ割に合わないね」
「そうかい、ありがとよ」
老人と男はその後他愛もない会話をしながら手続きを行い、トラックはその後間もなく動き出した。
荷台から見える景色は徐々に変わっていき、民家が増え、ビルが増えてきた頃、トラックは路地裏に停止した。エンジン音が消え、路地の外からは雑踏の騒がしい音が入ってくる。
「さあ、着いたよ」
運転席から老夫婦は降りてくる。ケンとルリも荷台から慎重に降りた。密入国の罪悪感を踏みつぶす様に、二人はハバラ・シティの地面を強く踏みしめる。
「どうもありがとうございました」
頭を下げるケンとルリに、老夫婦は笑って答える。
「お安い御用さ。それよりも、この国は広いから迷子にならんようにな」
何度も振り返り、その度お辞儀をしながら路地を離れる二人。陽の差し込む大通りに出た彼らの視界には、混沌とした活気溢れる街並みが広がっていた。
行き交う人々、店の客引きだろうか、黒と白でヒラヒラのついたドレスの様な衣装に身を包む女性、密集したビル群には所狭しと広告やら電飾やらが施されている。自然豊かな風景を歩いてきた二人は情報の多さに眩暈すら覚えた。
「あまりこの場所に留まっているのもあれですし、行きましょう?」
呆けた表情で周囲を見渡すケンの袖を、ルリが引っ張る。我に返ったケンも、慌ててマリから託されたメモ用紙を取り出す。
「ここに書かれている……住所かなあ? とりあえず、そこに行こう」
丁寧に用紙の皴を伸ばしながらケンは歩き出し、ルリもそれに続く。記された番地らしき文字列に目を奪われていたケンは、不意に前方から来た通行人にぶつかってしまった。
「あっ、す、すみませ――」
慌てて顔を上げるケンだったが、通行人は気にも留める様子はなく通り過ぎていく。ビルの間を通り抜ける風のような空しさが一瞬彼の心を通り過ぎた。
「大きな都市の人ってだいたいそういうものですよ。あまり気にしないで、“前を向いて”歩きましょう?」
ケンは反省しつつ頷く。二人は道の脇に逸れ、改めてメモに目を向けた。
「ケンさん、この住所……? わかりますか?」
「それが、全然。どうしようか……」
全くの未知の土地での人探し……どうすることが正解か。ケンは必死で自身の記憶から答えを探る。
「イースト・シティだと、自治隊が駐在所にいて道案内も兼ねていたな……」
「それですね! これだけの大都市です、治安維持のための組織が駐在している場所だってきっとあるはずですよ」
二人は人の群れをかき分けつつそれらしき建物を探す。疲労が蓄積してきた頃――。
「警察……。 これ、そうじゃあないかな?」
「ケンさん、警察を知らないのですか?」
ルリが怪訝な顔をする。
「知らないわけじゃあないけど……イースト・シティじゃあさ、自治隊が全部仕切ってたからさ。本物を見るのは初めてかも」
金色のエンブレムと赤い電灯が飾る建物の前で二人は立ち止まる。中を覗くと、紺色の制服に身を包んだ男が退屈そうに欠伸をしていた。
「あ――どうかしたかい? 迷子?」
ケンとルリの存在に気が付いたのか、男は伸びをしながら二人に近づく。
「あの……知り合いの所に行きたいのですが、この住所分かりますか?」
ケンはメモを警官に差し出す。受け取った男はしばらく眺めていたが、やがて気だるげに答えた。
「ああここね……こっちおいで地図見せてあげよう」
駐在所内のデスクに男は地図を広げる。緻密に入り組んだ道の中、彼は一点を指さした。
「ここ、集合住宅街。それに書いてある通りだと……B棟の5階、そこの6号室かな」
ルリが手帳のようなものを取り出し、即座に鉛筆を走らせる。ケンは男に頭を下げ礼を言った。その時、外の道路に騒がしい街宣車が通りかかった。
『ヴァニタス、ヴァニタスに清き一票を! 無駄なき真の虚空こそがこの乱れた世界に安寧をもたらすのです!』
ヴァニタスと書かれた真っ白なバンに、これまた真っ白な装束に身を包んだ人々が乗り込み手を振っている。取り付けられたスピーカーからは大音量で宣伝文句のような言葉がひっきりなしに流れ続けていた。
「選挙近いからねえ……ここ数日ずっとあんな調子でうるさいったらありゃしないよ」
「宗教団体か何かですか……?」
ルリの問いに、男は地図を畳みながら答える。
「そ。最近やたら名前がでてくるようになった宗教さ。何か変な教祖を崇めててさ、面白半分で訪れた若者がハマっちゃってるとかなんとか」
「選挙って……政治にも顔を出すのですか?」
「んー……まあ、教祖がテレビに出たり、信者にインテリがいたり……俺たちとは違う感性みたいなのがあるんじゃあないのかね?」
男の口ぶりは心底どうでもいい、という感じであった。一瞬不思議な集団に意識を持っていかれていたケンだったが、警官の無関心さに、ケンも特に追求せずすぐに頭を切り替える。警官に頭を下げると、ルリとともに駐在所を後にした。
「……尻尾? 最近の若者のファッションってのは変わってんだなあ」
二人の去り際、ケンの腰に見慣れぬものを見た男はひとりごちた。
繁華街を抜け、周囲の建物はビルからマンションへと変わりつつあった。中心部が人々の活気の象徴なら、この一帯はそんな人々の帰る所なのだろう。
「この辺りだよね」
「あ、あれじゃあないでしょうか?」
ルリの指さす先に、ややくたびれた団地が現れた。薄汚れ、お世辞にも綺麗とは言えず、時代に取り残されているような雰囲気を醸し出していた。
二人は小さな公園を横切り、B棟と書かれた建物に近づく。上の階に続く階段の踊り場に、郵便受けがずらりと並んでいた。
「うーん、住人の名前は書かれていないや」
郵便物が詰め込まれたもの、空っぽなもの、様々な様相だがどれも一様に番号のみが記載されているだけだった。
「506は……空っぽですね」
「リノエって人が几帳面な人だってのを願うだけだね……」
二人は階段を登る。外からは公園で遊ぶ子供の無邪気な声が聞こえてくる。建物内で反響しては消えていくそれを聞きながら、二人は目的の階に辿り着いた。
「ここか……」
塗装の禿げかかった扉、そこには確かに506のナンバーが掲げられている。ケンは縋る様な気持ちで呼び鈴に指を伸ばした。やかましいブザー音が数秒響く。ケンが指を離すとそれは止まった。
「いないのかな……?」
時間は昼下がり、もしかしたらリノエという人物は仕事中で留守にしているのでは……? そもそも、現在はこの場所を引き払っていて住んでいないのでは……? 様々な考えが脳裏によぎった時、扉の奥に誰かが近づいてくるような気配があった。ケンとルリは顔を見合わせ微笑む。
扉は悲鳴に似た金属音を響かせながら開く。防犯用のチェーンが伸びる限界まで開いたとき、その奥に彼女はいた。歳の頃にして30代後半だろうか。くすんだ赤毛に疲れたような表情。寝起きだろうか、どこか不機嫌な表情をしている。
「――あ? 誰、アンタら?」
女性は扉の隙間からケンとルリを睨みつける。ケンは一瞬怯むが、慌てて帽子を脱ぐと答えた。
「あの、リノエ・ミュラーさんですよね? 俺――」
ケンの耳を見た瞬間、女性の表情は変わった。扉が勢いよく閉まり、それっきりとなった。
「そんな……リノエさん! お願いです! 助けてください!」
ガンガンと鉄の扉に拳を叩きつけるケン。扉越しから震えた声が聞こえてきた。
「知らない……! アンタらなんて知らない! 帰りな!」
「リノエさん! お願いします! 母さん……スズハラ・マリの最期の言葉なんです! あなたを頼れって……!」
「ケンさん……!」
ルリの制止でケンは我に返る。必死に叩いていた部分が、大きく凹んでいたのだ。ケンは静かに震える手を下ろす。しばらくの沈黙が流れた後、扉の向こうで解錠の音が聞こえる。
「近所迷惑だよ、入りな……」
リノエは諦めたような表情で、室内をあごでしゃくる。ケンとルリは彼女の後に続いた。
「あッ、靴脱ぎな!」
施錠を行ったリノエは慌てて二人の足もとを指さす。文化の違いに、ケンとルリは慌てた。
いくつものゴミ袋で溢れた廊下を通り過ぎ、ケンとルリはリビングに通される。そこで二人はあまりの光景に言葉を失う。そこかしこに散らばるゴミ、机の上には酒類の缶や瓶が並び、置ききれない分は床を侵略していた。灰皿には無数の吸い殻があり、煙草臭い部屋の壁紙は黄色く変色していた。
「……まあ、“ちょっと汚れてる”けど、気にしないで」
リノエはバツの悪そうにそう言うと、シャツの中に手を突っ込みぼりぼりと搔きむしる。
「夜勤明けで頭動かないから、コーヒー淹れてくるわ……そこらへんに座ってな」
二人に背を向けるリノエ。下半身は下着のみというその姿に、ケンは思わず目をそらした。
ソファーの上のゴミ袋をどかし、なんとか座るスペースを確保しようとしたその時、ルリが悲鳴を上げた。
「どうしたの!?」
「ゴ、ゴキブリが……!」
ルリが指さした先は、ゴミの山だった。
「あン? アンタら仲いいんだね」
マグカップを手に戻って来たリノエは、ケンの膝の上に座るルリを見て小さく笑った。
「それで、話聞かせてもらえる?」
リノエの顔はもう笑ってはいなかった。ケンも静かに子細を話した。途中辛くなり言葉が途切れた時も、リノエはただ黙って次の言葉を待っていた。
「――そうか」
ケンが語り終えたとき、リノエはただ一言そう言った。手にしてまさに火をつけようとしていた煙草をテーブルに置き、ケンとルリに背を向ける。彼女の肩がわずかに震えていた。
「だから私は止めろと言ったんだ……いや、アンタはこうなると分かっていたんだろうね……」
目元を拭う仕草の後、彼女は再び向き直る。泣き腫らした双眸はしっかりとケンを見据えていた。
「で? 聞きたい事あるんでしょ? いいよ。親友の最期の頼み、聞いてやろうじゃあないの」
ケンは眼がしらに熱いものを感じた。
「ありがとう、ございます……!」
「いいよ礼なんて。それにしてもねえ……アンタら二人でカタシア山越えてきたなんてね……しかもプロジェクトEに決着を付けてきたと来たもんだ……よく生きてたね……」
まじまじと二人を観察するように見るリノエ。二人も、改めて言葉にすると如何に自分たちが困難に直面したのかを再認識した。
「あの、それで結局プロジェクトAtoZって何なんですか?」
「アンタが山の研究所で職員から聞いた通りさ。イカれた男の夢物語。私ら使いっぱしりはただ命令に従っていただけさ」
『でもね』とリノエは続ける。
「他のプロジェクトについてはよく知らないけど、アンタのことに限っては私は当事者なんだから、知る限りのことは教えられるよ」
ケンの鼓動が高鳴る。自身に起きた変化、理不尽……全てが分かるのだ。
「プロジェクトDって、一体何なんですか……? 研究所が送り込んできた“アイツら”は何者なんですか?」
胸につかえている疑問を吐き出すケン。リノエの次の言葉を待った。
「Dは数あるプロジェクトの中でも特別でね……いや異常と言った方がいいかもね。アレは技術体系の出所が一切不明なんだよ」
手にしたマグカップを揺らしながら視線を落とすリノエ。
「スポンサーに“桜花帝国”も付いているし、ケン、アンタの遺伝子も帝国の“皇子サマ”が提供したモノなんだよ」
息を呑むルリ。ケンは眩暈がした。桜花帝国といえば、まさにこの世界の中心とも言えるほどの勢力を誇る大国だ。
「それじゃあ、俺って……桜花帝国の皇子の“クローン”……なんですか……?」
「まあ、包み隠さず言えばそうなるね」
足もとから崩れるような感覚に陥るケン。自身の体の異変からある程度は覚悟をしていたが、いざ現実を突きつけられると辛いものだった。
「桜花帝国の皇子様って、こんな耳や尻尾があったんですか? 実は“砂漠の民”出身だったり……?」
ケンの問いにリノエは首を横に振る。
「いいや。アンタの身体のそれはプロジェクトDの技術が関係してる」
「技術って……?」
「悪いがそこまでは知らないんだ。ただ、私らが神話と信じているもの――それは実は世界が地続きになっていてそれ由来なんじゃあないか、そんな話を聞いたことはあるよ」
現実に目を向ける研究者の言葉とは思えない、あまりにも唐突で脈絡のないそれにケンは頭を抱える。
「……じゃあ、俺が見ている夢について、何か知っていますか?」
「……夢?」
リノエの眉がピクリと動く。ケンは以前から自身が見る生々しいあの光景をすべて伝えた。初耳になるルリも驚きを隠せない様子だった。
「……あぁ、だからその子が一緒に……。なるほどね、繋がるじゃあないの」
一人で納得するリノエ。同時に何か熟考しているようだった。だらしない恰好をした彼女からは想像もつかないほど真剣な、研究者としての一面を垣間見るような真に迫る表情だった。
「いい? 私の仮説だけど、ケン、アンタは別の世界の兵器を再現しようとして造られた。そして、その力を“思い出させる”のがその世界にかつて存在していた“別の魂”だ。研究所はどうやってその子を見つけたのかは知らないけど、偶然にしちゃあ出来すぎだものね」
マグカップを傾け一口飲み込んだ後、リノエは続ける。
「因子が揃い、後は環境が変化を促す。そう考えるのが自然なんじゃあないかな」
ケンもルリも理解できていない、リノエは表情から読み取ると溜息交じりに言い直す。
「つまり、アンタはかつての兵器だと思い込まされ、見事にそうなっちゃったってわけ」
「じゃあ、俺の見ている夢は、俺自身のことじゃあないってことですか……?」
リノエははっきり首肯する。
「人間死んだらおしまいだ。生まれ変わることなんて絶対にありえない。アンタがイースト・シティで受けていた投薬も、その“思い込み”を誘発させるためなんじゃあないかな」
「でも、私もケンさんと似たような感覚、あります! それに、私がイースト・シティに誘導されたのなら、研究所は私の中にも“何か”を見出しているに違いはないのでしょう?」
ルリの疑問にリノエは唸る。
「そこなんだよね。ケンについてはいくらでも仮説がたつんだけど……ルリ、アンタは分からない。どうして魔女であるアンタが別の魂足りえたのか……」
重たい沈黙が流れる。
「仮に、俺がその兵器だったとして研究所はどうしたいんですか?」
「そこは、謝る。何も答えられない――いや、ただの研究員に上がどう考えているか何て知りようがないんだ。すまない」
再びの沈黙。その空気を振り払う様にリノエは努めて明るく振舞う。
「まあ、聞いた話だとアンタらは研究所の思うままに今ここに追いやられているんだろ? だったらここは隠れるにはちょうどいいさ」
リノエが小さく『私もそうだからさ――』と呟いたのをケンは聞き逃さなかった。
「それじゃあ……」
「ああ、とりあえずはここにいな。……“多少は”汚れているけど」
ケンは大きく息を吐き、ソファーに深く腰掛ける。その時、近くのごみ袋からガサゴソと不穏な音が聞こえた。ルリは飛び上がると、眉を吊り上げリノエを睨んだ。
「片づけましょう」
「え? 仕事明けで疲れているんだ。明日――」
「片づけましょう?」
それから三人の果てしない重労働が開始した。ひたすらにゴミを拾い上げ、分別する作業。ゴキブリに悲鳴を上げていたルリだが、見つけ次第容赦なく丸めた雑誌で叩き潰していた。嫌いではあるものの、叩き潰すという行為に忌避感はない。ケンは常々ルリが見せる強かさに感心していた。
外の集積場と部屋をどれだけ移動したか、それを数えるのすら億劫になってきた頃、部屋は見違えるほど“広く”なっていた。
「終わった……!」
「終わりましたね……」
窓から覗く空は、傾き始めた陽の光でオレンジ色に変わりつつあった。
「マトモに床を見たのはここに越してきたとき以来かもな」
まんざら冗談でもなさそうなその言葉に溜息を吐きながら、ルリは額の汗を拭う。そんな様子を見ていたリノエは、親指で廊下の方を指し言った。
「シャワー使いなよ」
ルリは顔を輝かせる。それと同時に、隣にいるケンの表情を伺う様に覗いた。
「ああいいよ、先にどうぞ」
小走りで廊下に消えていくルリを見送りながら、リノエは冷蔵庫に磁石で留めてあるチラシを手に取った。
「腹減ってるだろ? ピザを――」
廊下から聞こえてくる悲鳴。リノエは肩をすくめた。
「あー……風呂も全っ然掃除してなかったっけ」
重い足取りで風呂場へと消えていくリノエ。少し経った後、とぼとぼとリビングへと戻って来た。
「恐いな、あの子。あんな叱られたのガキの時以来だわ」
彼女はそうぼやきながら壁に掛かった受話器を取ると、チラシを片手にダイヤルをプッシュしていった。
「テレビ、付けてもいいですか?」
ケンはリモコンを手に取り、リノエの返事を待ってから電源を入れた。勝手が分からない土地のニュースを少しでも入れておこうと、ケンはチャンネルを回す。その時、ふと彼の手が止まる。それはバラエティ番組の様なもので、ゆったりとした紫色の衣装に身を包んだ肥満気味の男性が映っていた。テロップには、『生中継! 新興宗教ヴァニタスの教祖、リュシア氏に電撃インタビュー!』と出ている。
「ヴァニタス……」
昼間、街の通りで見かけた街宣車から聞こえてきた名前だ。ちょっとした好奇心から、ケンは画面を注視した。
『本日はお越しいただきありがとうございます』
スーツ姿の司会者が、対面の椅子に座っている。その顔に湛えた笑顔は、愛想なのか、カルト宗教へのからかいなのか。どこか軽薄な笑みに、ケンは記憶の底にある“嫌な笑顔の女”を思い出してしまった。研究所に関係があるらしい女――。ケンは頭を振りテレビ画面に意識を集中させた。
『リュシア氏の興された宗教、ヴァニタスについてお聞きしたいのですが、“虚空がもたらす安寧”を教義とされているようで……これは一体……?』
リュシアと呼ばれた男は、椅子にふんぞり返るように座ったまま何も答えない。気まずい沈黙がしばらく流れた後、ようやく彼は口を開く。潰れたカエルのようなその顔とは正反対の、よく通る綺麗な声だった。
『――人は……虚飾に塗れていくうちに、己を失う。己を失った者は、虚飾に縋る……。虚飾が人を形作り、人が人では無くなっていく。我々は、物質世界からの解放こそが人間を本当の姿へと導く鍵としている』
司会者の顔にあからさまに困惑の色が浮かぶ。しかし、それはテレビの前のケンも同じであった。
『人は、“ある一点”以外何も持たなくていい』
『ある一点……ですか?』
もったいぶった話し方。しかし、不思議と次が気になってしまう。そんな錯覚がケンを襲う。
『自分自身、だ。内に眠る真なる力を抱くその体のみが、何よりも尊く、また強靭な武器である』
狼狽える司会者。なんとか次の言葉を絞り出そうとしているようだが、リュシアが片手を上げ制止させる。
『何もない空虚な状態こそが、“無に満たされている”という人間本来の姿へとなり得る唯一の手段である。故に――』
リュシアは立ち上がると、司会者へと近づく。突然の行動に固まる彼の頭部へ手を伸ばした。
『な、何を――』
『解き放つのだ。何者にも侵すことのできない唯一絶対なる安全領域、絶対的強者である自分自身を』
司会者の表情が一瞬硬直する。リュシアが何かを囁いているようだが、音声は拾えていない。数秒続いたそれは唐突に終わりを迎える。
『さあ、目を覚ませ。お前の本当の姿はそこにある』
司会者が目を開けた。その目は爛々としており、今まさにテレビの収録中であるということすら意に介していないようだった。
『ハ、ハハ……! すごい……! リュシア様、俺……今日からヴァニタスに入ります!』
男はリュシアと固い握手を交わすと、満面の笑みを浮かべその場を去っていった。画面外からは他のスタッフたちの慌てる声が聞こえてくる。そんな中、リュシアはゆっくりとカメラに近づき、まっすぐ見据えると、静かに語る。
『ヴァニタスは凡てを受け入れる。昨日までの悩み、不安、恐怖……それらに決別する日が来るのだ。“天啓の家”で待つ――我々には、まだまだ仲間が必要なのだ。共に世界を作る、崇高な仲間が」
テレビはそこで放送が中断されてしまった。ケンは呆然とする。全て演出なのだろうか? 昼間会った警官は若者が興味を持っていると言っていた。確かにこのインパクト重視のやり方なら若者の注意を惹けるだろう。
「あー、それ、あんまり真に受けない方がいいぞ。どう見たって胡散臭いだろ? そういうやり方で中身のない人間を片っ端から取り込んでるんだよ」
いつの間にか隣にいたリノエにケンは飛び上がった。それだけ見入っていたのだろうか。ケンは息を吐いた。
「あれって……仕込みですよね?」
「……まあ、普通に考えればそうだろうな」
リノエの口調に、わずかな引っかかりがあった。ケンはそれに気づかなかったが、リノエはもう一度画面に目を向け、小さく舌打ちをした。
「天啓の家って何ですか?」
「ん? あいつらが持ってる施設だよ。この街の一等地に最近できたやつ。怪しい奴らが出入りしてて正直近づきたくないね」
『まさか興味があるなんて言わないよな?』というリノエに、ケンは慌てて手を振って否定の意を示す。なんだか心の隅にざらりとしたものが残るなと感じたケンは、それを振り払おうと先程ふと思い出してしまった嫌な笑顔の主についてリノエに尋ねた。案の定、彼女は知っているらしく、苦虫を噛み潰したような顔をした。
「“仮の手”どもだよ。要はオスカルの使い走りさ。力を振りかざして好き勝手するクズ達。“掃除屋”の“エネルゲイア”、“執行者”の“ホロウ”、“カイン”、“ローレライ”。どれもプロジェクトDの産物さ」
ケンはぞっとした。自身と同じ研究から産まれた者、それもとびきり冷酷で残虐な者。自身も同類なのだろうか。彼はソファの上で縮こまり、その身を抱きしめた。
「おい、しっかりしろ。出自がどうであれアンタはアンタなんだろうが! だからマリは命を懸けたんだ!」
リノエの真剣な眼差しに、ケンも頷く。その時インターホンが鳴り響いた。
「おっ、ピザ、来たみたいだな」
ほぼ下着姿のままのような恰好で出ていこうとするリノエを、ケンは慌てて止めた。
ルリと入れ替わる形で体の汚れを落としたケン。数日振りにさっぱりとした感覚にふわふわしながらリビングへ戻ると、そこには様々な種類のピザの箱が広げられていた。
「何が好きか分かんないから、片っ端から頼んだ。冷めないうちに食べな」
久しぶりの落ち着いた食事に、ケンは深く感謝する。口にしたピザのあまりの美味しさに、涙が出そうなほどだった。
「幸せです……」
凄まじい速さでルリの中へと消えていくピザの切れ端。彼女が見た目以上に食べるのは把握していたが、リノエも大概であった。二人のモンスターイーターにより瞬く間に空になっていく箱。ケンは危機感を覚え、目につくピザを手当たり次第に口へと運んでいった。
たくさんあったピザが一掃されたころ、日は傾いており部屋に明かりが付けられた。満腹の幸福感に浸っているケンとルリを確認したリノエは、大きな欠伸をしながら立ち上がった。
「私は寝るから、もう起こさないで。あ、そうだ――」
リノエはテレビ台の脇に倒されていた写真立てに手を伸ばすと、それをケンに手渡した。ルリも興味深そうにのぞき込む。
「あっ、これ――」
写真には妙齢の女性二人が自撮りのような構図で写っていた。一人は無邪気な笑顔でピースサイン。隣には呆れたような表情の女性がいて、その腰にピースサインの女性が手を回している。見慣れた銀髪、そして赤髪。二人が誰であるかの答えは聞かずとも明白だった。
「むっかーし、研究所にいた頃にマリが“勝手に”撮ったヤツ。アンタが持ってて」
目頭が熱くなるのを誤魔化す様に、ケンは慌ててその写真立てをリュックへとしまい込んだ。リノエは再び大きな欠伸をするとリビングから出ていった。
その後、ケンは改めて荷物の中身の確認を行った。リビングにリュックの中身を広げていく。ルリもぼんやりとその様子を眺めていた。
「携帯スコップ、オイル式ランタン、小型の寝袋、ブランケット、食器一式、ラジオ、アーミーナイフ、栄養剤、携帯食料……はもう空だ」
「明日買い物に行きますか?」
「どうしよう……安全とは言い切れないし、出歩いていいのかなあ……?」
木の葉を隠すなら森の中という言葉もある通り、この大都会なら人に紛れ込むこともできるだろう。しかし、相手は普通の人間ではない。どうしたものかと糸口を探るようにリュックをまさぐるケンの手に、何か四角い箱のようなものが触れた。
「なんだろう、これ」
10数センチ四方、高さも同じくらいの金属製の小さな箱状の物体。天面と思われる部分には1から9までの番号が割り振られた小さなボタンが並んでおり、その上に大きな緑色のボタンがある。
「なんでしょうか……何か、大事なものを入れるための箱、とかですかね?」
ケンは試しにボタンを押してみる。カチリ、と音がして沈み込む。特に変わりはないため、続けて他のボタンも押し込む。4つ目のボタンを押したとき、全ての沈み込んだボタンが一斉に飛び出し元の状態へと戻ってしまった。
「あー……設定された順でボタンを押す奴だよコレ。ええと、9つの番号で被りは無しになると組み合わせは――」
「3024通りですね」
手にした箱を落としそうになりつつ、ケンはルリを見る。彼女は少し得意げだった。
「マジで……?」
「得意なんです。計算」
ルリの驚異的な暗算力と、途方もない組み合わせの数に驚愕するケン。試しにマリや自身の誕生日を入れてみるも反応はない。溜息交じりに箱を軽く振ってみると、重くは無いが軽くもない。それなりの重量の物が隙間も無く詰まっているといった手ごたえがあった。
「うーんさっぱりだ」
「意外とリノエさんの誕生日だったりしませんか? ほら、お二人は親友だって」
「うん、そうだね。明日聞いてみようか」
ケンは箱を脇に置くと、リュックの底から札束を取り出した。ケンの様な子供どころか、一般的な大人でもそれなりに労力を必要とする程の額。彼は静かに目を閉じた後、マリへの感謝を口にしてからゆっくりと数を数え始めた。
「よく考えて、大事に使わないと」
「そうですね」
最後にリュックの底に残ったものは、ケンがエイから託されたあの拳銃だった。中にいる“彼女”の事をルリに伝えるべきか迷っていた。あまり多くを語ろうとはしないナギ。そんな彼女が、自身のことを他人に言いふらされたいと考えるだろうか? 結局ケンは彼女に伝えないという選択をした。床に置くと、それはゴトリと重厚な音を鳴らす。
「それは、あの時の……」
「大丈夫、俺は使わないよ」
ケンのその言葉は、ルリに対してなのか、それとももう一人に対してなのか。黒く輝くそれは、依然沈黙を貫いたままだった。
床に広げた荷物はそのままに、ケンはリュックを持ってベランダに出て、これまでの旅の汚れを落とす様に手にしたリュックを叩いた。生暖かい都市の風を感じ視線を上げると、空には丸い月が浮かんでおり眩しいぐらいだった。
「満月! ちょうどいいタイミングです!」
ケンの隣でルリが嬉しそうにはしゃいだ。一瞬何がそんなに嬉しいのか理解に困ったが、以前聞かされた魔力云々の話を思い出す。
「ケンさん、部屋の明かりを少しの間だけ消させてください」
ルリはケンの返答を待たずに部屋に戻ると、照明を落とした。暗闇に包まれたリビングで窓辺から差し込む月光が幻想的にきらめいている。
「久しぶりだから上手くできるか心配です……」
彼女はそう言うと鞄から自身の背丈ほどある杖を取り出す。銀色で装飾が施され、先端には握りこぶし大の深い青色の宝石が取り付けられている、初めて見る杖だった。
「もっと開けた場所じゃなくていいの?」
「誰が見ているかわかりませんから……それに、月の光が入ってくれさえすればそれでいいので」
ルリは静かに跪くと、恭しく献上するかのような体勢で手にした杖を横に倒す。彼女は目を閉じるとゆっくりと深呼吸を行った。次の瞬間、差し込む月光が揺らめき、そこから光の粒が浮かび上がり始める。その浮世離れした光景にケンの口から思わずため息が漏れる。
光の粒がゆっくりとルリの周囲に漂うと、彼女の体は青白い光の輪郭を帯びていく。静謐な光景にケンは時間を忘れて見入ってしまう。やがて徐々に光は弱まっていき、いつしか完全に消え去っていた。
「よし! これでまたルーンが使えます!」
彼女は鞄に手にした大型の杖をしまうと、今度は見慣れた銀の小さな杖を手にした。それを軽く振るうと、部屋に明かりが戻ってくる。ケンは思わず拍手をしていた。
「いっぱい頼ってくださいね!」
その後二人は他愛もない会話を続けながら他国のチャンネルを興味津々に回す。その新鮮さも消え失せてきたころ、ルリがうつらうつらと舟をこぎ始めた。無理もない、今日一日で山を越え、竜の巣を横切り、長い距離を歩き、人ごみをかき分けてきたのだ。
「そろそろ寝ようか。ソファはルリちゃんが使って。俺は床でいいから」
ルリは目をこすりながら頷くと、毛布を取り出しソファで丸くなった。ケンもテレビを消し、部屋の明かりを落とすと自身の寝袋の中に潜り込んだ。意識が眠りに溶けていくまでそう時間はかからなかった。
翌日、ケンは女性陣の楽しそうな語らいに目を覚ました。彼に気づいたリノエが、湯気の立つマグカップを片手に声をかける。
「お、起きた。朝食にするぞ」
あくびと共に寝袋から這い出るケン。キッチンではルリがなにやら調理していた。
「おはようございます」
彼女が揺らしているフライパンの上ではバナナの輪切りが滑っていた。
「あ、あの時ルリちゃんが鞄に入れてたやつか」
「……もうすぐできますから、向こうで座っていてくださいね」
以前の照れ隠しを思い出したのか、彼女の頬はうっすら染まっていた。
「誰かが料理用意してくれる……ありがたいねえ。楽で」
相変わらずの恰好のリノエが大股開きで深々と椅子に腰かけている。ケンは彼女の格好にもはや何も感じなくなっていることに気が付いた。
「あのリノエさん、俺たち今日ちょっと買い物に出かけようかと思っているんですが、どう思いますか……?」
「どうって、そりゃどうぞご自由に――ああそうか」
リノエも察する。しばらく何やら考え込んでいたようだがやがて口を開いた。
「今日から街は何とかフェア? ってサブカルの祭りの期間だから、若者でごった返してるよ。ヤツらにだって見つけられないさ。あと……行けば分かるけど、アンタの耳隠さなくてもいいかもね」
からかうように笑うリノエ。腑に落ちないケン。ルリが湯気の立つ皿を持ってやってきた。
「おっ、メシだ……なんだコレ? バナナ……?」
奇妙な表情をするリノエにケンとルリは顔を見合わせて笑った。
「食べたら分かりますよ」
「ホントか?」
おそるおそる口に運ぶリノエ。次の瞬間。
「お、おお! へえ……美味いなコレ!」
三人の朝食が始まる。途中、何かを思い出したかのようにリノエは口を開く。その口調はいたって真面目だった。
「ああそうだ。ルリ、アンタのことだから言わなくても分かってるだろうけど、魔女であることは極力隠せな? 私は気にしてないが他のヤツはそうとは限らないからな」
厭な空気が漂う。ケンは苦々しい気持ちを疑問としてリノエにぶつけた。
「リノエさん、どうして魔女はそこまで嫌われるんですか?」
「私だって当事者じゃあないからエラソーなこと言えないけどさ、昔も昔の大昔、そりゃあ派手に殺しあったらしいからね。それこそ遺伝子レベルで刻まれた憎しみってのは消えるのに相当長い時間が必要なのさ」
「でも――」
「ありがとうございます、ケンさん。それにリノエさんも」
不服顔のケンを遮るようにルリは明るく振舞う。特に無理をしている様子はなく、自然体といった感じであった。
若干気まずい空気の食卓。その沈黙を破ったのは壁に掛けられた電話から鳴り響くコール音だった。
「あぁいいよ、私が出る。この家には“私しかいない”、だろ?」
席を立とうとするルリを制止させ、リノエは受話器を取った。
「ミュラーだ。ああ……え? はあ……? イーストシティからの転院ってまた何でそんな……。 つーか待てよ私は今日は出勤の予定はない、というかそもそも夜勤明けなんだぞ?」
明らかな不満を口にするリノエの身体が小刻みに震える。ただならぬ雰囲気にケンとルリは緊張した面持ちで様子を伺う。
「ああッもうッわかッたよッ! 行けばいいんだろッ? ああクソっ!」
当てつけるかのように乱暴に受話器を戻すリノエ。しばらく肩で息をしていたが鬼の形相でテーブルに戻ると、凄まじい勢いで朝食を掻きこむ。
「美味かったよ。ありがと」
それだけ言うと彼女は寝室へと消えていった。
「どうしたのでしょうか……?」
「さあ……?」
ケンはそれよりもリノエが口にした『イースト・シティ』の言葉が気になっていた。何故だか分からないが、嫌な予感がする。そう本能が告げていた。
ガタガタと慌ただしい音と共にリノエが寝室から出てくる。その姿を見てケンは驚いた。
「悪い、私は仕事行くから鍵渡しておくぞ……何だよ人の顔ジロジロ見て」
そこには、バッチリ化粧を決め、スーツに身を包んだリノエの姿があった。先程までのだらしない女性とはとても同一人物とは思えないその姿。10歳は若く見えた。
「リノエさん、仕事って――」
「ああそうだよ医者――」
「水商売?」
「殴っていいか?」
どしどし足音を立て去っていくリノエ。台風一過、ケンとルリはあっけにとられていた。
その後、二人は静かな朝食を終えた。ルリは洗濯機をフル稼働させ溜まりに溜まった洗濯物を片づけていく。
「洗濯機の使い方、リノエさんに聞いておいてよかったです」
洗濯終了の電子音に呼び出され、かごいっぱいの洗濯物を手にルリはリビングへと戻って来た。
「それって……」
「ほとんどリノエさんのです。あの人、一週間に一度しか洗濯しないみたいで」
ルリは憤慨しながらてきぱきと衣類やら下着やらを洗濯ばさみで留めていく。ケンは顔を逸らし、テレビのチャンネルを回した。
『アニメ・ゲームフェア、本日10時より中央広場で開催します!』
コマーシャルが流れ、アニメやゲームのキャラクターらしきものも一緒に映りこんでいる。
「ああ、リノエさんが言っていたことってこういうことだったのか」
自身の頭部にある耳と同じような物を持つキャラクターがいた。それを見ていたケンの脳裏に、連想ゲームのようにふとあることがよぎる。
獣の耳や尻尾を持つ砂漠の民――かつては忌避されていた彼らへの偏見が、最近の若者の間では薄らいでいると授業で聞いたことをケンは思い出した。もっとも、それを聞いたのはイースト・シティなのでその中だけの話なのかもしれない。そもそもの理由がただの“無関心”である可能性も否定できない。
……とにかく、それだけ影響のあるコンテンツ、壮大な規模の祭りごとなのだろう。
「ケンさん、外へ出てみます?」
空のかごを抱いてルリは不安そうな表情を見せる。ケンはどうするべきかしばらく悩んだ後、素直な気持ちを口にした。
「閉じこもっているだけなのは気が滅入るし、ちょっと行ってちょっと買い物するだけ、それならなんとかなるんじゃあないかな?」
ケンはなんとも楽観的で危機感のないものだと分かってはいたが、今彼は何かしていないと様々な感情に押しつぶされそうだった。イースト・シティを発ってから様々な出来事の連続でゆっくりと考える暇などなかったが、いざ腰を落ち着けると途端に“それ”は暗がりから顔を覗かせるのだ。そんなケンの心中を察したのか、ルリも静かに微笑む。
「なるべく目立たない恰好で行きましょうね」
その後ケンは、忙しなく洗濯機とベランダを行ったり来たりするルリを尻目に必要なものをリストに書き連ねていった。
「財布、追加の下着に靴下、携帯食料……替えの服も欲しいかな……」
「書けましたか?」
横からルリが覗き込む。リノエのシャンプーを使ったのか、以前はしなかった香りがケンの鼻腔を突く。思わずドキリとしてしまった彼の返答は上ずっていた。
「あっ、あのさっ! ルリちゃんもっ! 必要なものとかさ、無い?」
「えっ? ああ、私は……」
何か言いよどんでいる様子の彼女に首をかしげるケン。
「お金を持っていないから……。だから、ケンさんは気にしないでください」
「お金が無くて今までどうやって――ああそうか」
ケンは中身が“自然に”補充される、彼女の鞄を思い出した。
「ルリちゃんだって必要なものあるでしょ? お金ならあるから、気にしないで言って」
「ですが……」
「俺だけ買い物してたら、きっとマリさんに怒られちゃうよ。正しい使い方をしろ、ってね」
その言葉を聞いたルリの表情が少し柔らかくなる。ケンの隣に腰掛けると、遠慮がちに必要なものを挙げていった。
「よし、それじゃあ行こうか」
耳栓を着けキャスケット帽を深くかぶり立ち上がると、ケンはルリを連れて部屋を後にした。施錠をしっかりと確認し、マンションの下階へと降りる。空から降り注ぐ眩い光が、近づく夏の季節を知らせていた。
二人は建物の間を縫う様に通っている道を抜け大通りへと出る。そこで彼らはアニメ・ゲームフェアの規模の大きさを目の当たりにした。
「うわあ」
「凄いですね……」
多くの若者が、色とりどりの衣装で練り歩いていた。各々が様々なキャラクターになりきっているようで、皆生き生きとしていた。
「人が多いうちに買い物を済ませちゃおう」
「そうですね」
二人は案内板でショッピングセンターを探す。程なくして見つかるも、その多さに眩暈を起こしそうになった。
「とりあえず、この大きなところに行ってみようか」
現在地からそう遠くない、集合商業施設を指さす。まさに歩き出そうとしたその時、ビルの間を抜ける突風がケンの帽子をさらった。
「あっやべっ」
慌てて抑えようとするその手を離れ、帽子は後方へと飛んでいく。着地したその場所には、若い女性のグループがいた。女性の一人が帽子を拾い上げ、ケンは頭部を抑えながら彼女に近づいた。
「すみません、ありがとうございます」
「どうぞ……えっ!?」
しまった、ケンは女性の手から慌てて帽子を受け取ると、目深にかぶり背を向ける。急いでその場を去ろうとした背中に予想外の言葉が飛んでくる。
「それ、“銀狼様”のコスプレですか!? というか、そうですよね?」
振り返り困惑するケンの周囲に、女性が集まって来た。
「うわー、リアル!」
「見て、尻尾まである」
「触っていいですか?」
「ゲームの方はどれくらいやってます?」
何が何だか分からないケンをよそに、女性たちは記念撮影をはじめる。腕を組まれ写真を撮られる。
「背高いですねー」
「わ、照れてる? かわいー」
ここまで見ず知らずの女性に近づかれたことの無かったケンは、完全に固まり成すがままにされていた。
「ありがとうね」
「フェス楽しもーね」
嵐のように来て嵐のように去っていった女性たちを呆けた表情で見送るケン。しばらくそのまま立ち尽くしていたが、ふと我に返り振り返る。そこにはガードレールに腰掛け、ぷいっと明後日の方向へ顔を背けたルリがいた。
「ア……」
「ずいぶん楽しそうでしたね。それで、そろそろ行ってもいいですか?」
ずかずかと歩き出すルリの後ろを、ケンは小さくなってそそくさと歩き出した。
目的地の商業施設に到着するまでの間、ケンは幾度となく若者に絡まれ、その度に写真撮影を行っていた。“銀狼様”なるキャラクターはどうやら女性向けのゲームで人気があるらしく、彼を呼び止める人は決まって若い女性だった。その度にルリのイライラは目に見えて募って行っているようで、ケンは自身の胃が痛くなる思いだった。
「それじゃあ、まずは三階の衣料品店から行ってみようか……」
「そうですね」
明らかに機嫌の悪いルリ。どうしたものかと頭を抱えると、彼の鼻腔に甘い香りが漂ってくる。顔を上げ辺りを見渡すと、施設の一階はフードコートになっているようだった。様々な甘味の店も構えられている。その中でもひときわ良い匂いをさせているクレープ屋に、ケンはルリを引っ張っていった。
「ちょっと、何ですか――あっ」
ルリの表情が変わる。無理もない。店の軒先に掲げられたディスプレイには、様々な種類のクレープが並べられている。色とりどりのそれはどれも食欲をそそるものだった。
「まずは糖分補給、それから買い物しよう!」
「わぁ……」
無邪気に目を輝かせるルリ。ケンはほっと一息つきながらディスプレイを眺める。
「これなんてどう? アイスとプリンだって」
「こっちのイチゴも捨てがたいです……」
「バナナは――」
二人は顔を見合わせる。
「しばらくはいいですね」
二人だけにしか通じない笑いを共有した後、ケンが注文をとる。店員が慣れた手つきで作り上げていくクレープに見惚れ、出来上がったそれを手にし、その重さと存在感を感じる。代金を支払ったケンはルリと共にベンチに腰掛けると夢中でかぶりついた。口の中いっぱいに広がる甘味に自然と笑みがこぼれだす。
「ああ、幸せです……」
目を閉じ体を震わせるルリ。そんな様子を見てケンは微笑む。
「良かった、やっと笑ってくれたね」
クレープにかぶりついたまま、ルリはハッとしたように赤くなる。そしてバツの悪そうに眉を吊り上げると、クレープを持つケンの手を下から押す。勢いよく激突し彼の顔はクリームまみれになった。
「ああっやったな!」
ルリは手を口に当て、いたずらっぽく笑った。人々の喧噪の中、自身の置かれた状況を忘れさせる年相応の無邪気なひと時だった。
その後、二人の買い物は慌ただしく過ぎていった。服装に無頓着なケンは、店員とルリによって完全に着せ替え人形にされた。下着売り場では互いに気まずくなったり、携帯食料売り場では味を重視するか賞味期限等の機能を重視するかで意見がぶつかったりもした。昼食を求めて入り込んだフードコートでは、人波をかき分けながら座席確保に奔走したり、互いの注文した料理を分け合ったりした。ここ数日超常的な経験をしてきたケンにとって、久しぶりに戻って来た日常だった。
「人は多いですけど、なんだかんだで良い場所ですね」
通りに出てきたルリは、伸びをしながら言う。ケンも首肯する。
「イースト・シティも大きな街だったけど、ここはもっとすごいよ。何というか、あそこにはない熱気があるかも」
「――このまま、何もなければいいですね」
ルリがぽつりと呟いたその言葉に、ケンが目を背けてきた不安が再び顔を覗かせた。
「ああっ、ごめんなさい。私、そういうつもりじゃあなくて……その、今日はとっても楽しかったから、そんな日が続いたらいいなあって……」
ケンの表情の変化を見たルリは慌てて取り繕うも、さすがに失言だったと認めたようだった。
「……ごめんなさい」
「ううん。楽しかったのは俺だってそう。大丈夫、この先もきっと大丈夫さ」
しんみりとしてしまった空気を拭うべく、二人はこの祭りの中心部を少しだけ覗いていくことにした。
二人が中央広場に近づくにつれ、人は目に見えて増えていく。音楽も大音量でかき鳴らされていた。耳栓をしてきて正解だったな、と呑気なことを考えていたケンの視界にあるものが映りこんだ。
「ヴァニタスに興味はありませんか? ただいま入信者募集中ですよー!」
この国に入ってからよく目にしている宗教団体が、若者たちが集まるこの祭りのさ中で勧誘を行っていたのだ。若者の一人がヴァニタスの勧誘員に連れられて、人混みの中に消えていくのが見えた。ケンは何故だかうすら寒いものを感じ、興味深そうにフェスの様子を見ていたルリの手を引いて広場を後にした。
二人はアパートへ戻ると、それぞれが買ったものを整理していった。時間が過ぎ外が茜色に染まるころ、リノエが死人のような顔をしながら帰宅した。
「あー疲れたー! 辞めてやる! こんな仕事絶対辞めてやるぞおらー!」
手にした鞄を投げ出し大股開きで椅子にドカッと腰を下ろす。上着を脱ぎ捨てるとシャツのボタンを次々と外していく。年頃の青少年がこの場にいることなど一ミリも気にしないその姿は、逆に清々しさすらあった。ルリは急いでコップに水を注ぐと、リノエの元へ駆け寄った。
「ありがとな」
喉を鳴らし一気に飲み干すと、背もたれに寄り掛かり体をのけ反らせた。
「あーケン、悪い鞄取って……」
リノエがソファへと投げ出した鞄を手にするケン。彼女は受け取ると中から何やら書類のようなものを取り出す。
「急患、ってやつ?」
「まあそんなもんだ。苦しんでいる人がいる以上、私らにどうこう言っている余裕なんてないんだよ畜生」
凄い速さで書類に目を通していくリノエ。テーブルの上に重なっていくそれにケンは何気なく視線を向けた。
「……嘘だろ!?」
素人には理解できない難しい事が羅列されている文章だが、そこに記載されている人名と顔写真は理解できる。ケンの顔は青ざめ、その声は震える。
「なんでお前が……エイ!」
サエキ・エイ、未知の感染症及びそれ由来による体組織の変異。そう記されていた。




