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#09鎮魂歌

 薄暗い食堂に、ケンの悲鳴がこだまする。何事かと飛び起きたルリも、目前の存在に言葉を失う。


「そんなに驚かなくてもいいじゃない。傷つくわよ」


 女性はまるで揺り椅子に腰掛けているかのような姿勢で宙に浮き、長い前髪の奥の瞳が、ケンとルリを観察している。


「あなたは一体……?」


「この恰好、そしてこの研究所! 見て分からないの!?」


 彼女は憤慨しているようだったが、ケンにもルリにも皆目見当がつかない。あらためて女性をまじまじと見つめるケン。彼女の恰好――糊のきいた、清潔だがどこか冷たい印象の緑の布地……手術を受ける人間が着せられるあの寒々しいものだ。


「ちょっとじろじろ見すぎなんじゃあないの?」


 ケンは思わず赤面し、話題を逸らす様に切り出した。


「ここあなたの家だった? それならごめん、俺たち陽が昇ったら出ていくから――」


「違う! 地下の発電装置! 動かしたんでしょ!?」


 ケンは背筋にヒヤリとしたものを感じた。それと同時に、疑問も浮かぶ。


「どうしてそれを……?」


「私が今こうしてここにいることが何よりの証拠よ」


 ますます疑問が深まるケンにしびれを切らせたのか、女性は自身の腕を伸ばすと、ケンの腕に触れようとする。しかし、彼女の手はケンの腕を透過し通り過ぎた。氷の入ったバケツに腕を突っ込んだような感覚に、ケンの体は思わず縮こまった。


「冷たっ!?」


 女性はしばらく自身の腕を眺めていたが、やがて深い溜息を吐いた。


「やっぱり物理干渉が絶たれているか……」


「あなたは、幽霊《スペクター》……なのですか?」


 ルリが恐る恐る問いかけると、女性はルリの傍まで飛んでいき、彼女の肩に手を回す。ルリの小さい悲鳴が響く。


「それ知ってるって……あなた魔女ね? あぁいいの、どうせ私にはどうもできないし、できたとしても何かする気なんて無いから。それにそこの彼は――」


 凍えるルリから手を放すと、女性は再びケンへと近づく。彼女の視線はケンの頭頂部の耳へ向いていた。


「これは……“プロジェクトT”かしら……? いえ、種族が違うわね……。まさか“プロジェクトD”……? 研究所《グランギニョル》のクソ所長、完成させたの……?」


 女性は何やら一人の世界に閉じこもってしまったようで、ケンとルリは互いに顔を見合わせる。


「あのー……発電装置がついてたらまずいってんなら、切りに行こうか?」


 女性はケンの提案に顔を上げると、舌を出して悪びれた様子を見せる。


「あっ、ごめんね。職業柄、考え事するとこうなっちゃうのよね……。分かってくれたなら話は早いわ。行きましょう」


 ケンとルリは女性に促されるまま身支度をまとめると、先導する彼女に続いて廊下へと出た。


「あのさ、名前……聞いてもいい?」


 目の前を漂う女性にケンは問いかける。彼女は振り返ると、意地悪な笑みを浮かべた。


「どうせ発電機を止めたら私は消えるのよ? 仲良くなる理由なんてある?」


 思わぬ拒絶に、ケンは面食らってしまう。気まずい空気が流れようとしたとき、彼の隣のルリが静かに、だがはっきりした声で言う。


「どんな切っ掛けだったとしても、こうして出会えたのです。それだけでは駄目でしょうか?」


 ルリの真っすぐな眼差しに、女性は目をそらす。ケンにはその顔が一瞬曇ったように見えた。


「……モリィよ」


「えっ?」


「モリィ・モロー! 場末のしょっぼい研究者! 以上!」


 ルリはケンを見る。ケンもまた、笑顔で応える。


「俺はケン! スズハラ・ケン!」


「私はリンドウ・ルリです!」


 無邪気な二人にモリィはうんざりしつつも、その頬は緩んでいた。


「でもすごいよなあの発電機。止まってから30年経ったのにまだ動くなんて」


 その言葉に突如モリィは空中で静止する。あまりの突然さに、ケンの体は彼女を通り抜けてしまった。真冬の池に飛び込んだような感覚に、ケンは声にならないうめき声を上げ廊下にうずくまった。


「ちょっと、それってどういう意味?」


「どういう意味って……?」


「今何年なの!?」


 ケンに詰め寄るモリィ。ケンは自身の体を抱きながら壁に寄り掛かる形で立ち上がる。


「創世暦1022年! 季節は春の月が終わってこれから夏の月ってとこだよ!」


「なんてこと……最期の記憶が……992年ね……ウソ……30年も……?」


 ケンの身体をさするルリ。二人は訝し気に顔を見合わせた。


「ハハ、私、生きていたら60歳近くのおばあさんだよ……。あー最悪の寝覚めね。もういいわ、さっさと終わらせちゃいましょ……」


 うなだれるその姿にケンとルリはかける言葉が無く、ただその背中の後を追うことしかできなかった。


 窓の外は、先程よりも更に明るさが増し、雨も止んでいた。じきに太陽が地平線から顔を覗かせるだろう。


「もうすぐ太陽が出るわね。二人とも、地下は暗いから明かり持ってる? ……って、発電機つけた時に入ってるからわかるか」


「ライトがあるから大丈夫。あっ、だけど……」


「何よ?」


 ケンは地下の機械室で発見した遺体について言うべきかどうか迷った。しかし、隠しておいてもいずれは目につくものだ。ケンは意を決して打ち明けた。


「あそこで誰かが亡くなったみたいで、その……骨が――」


 本日二度目、ケンは再びモリィの体を通り抜けてしまった。彼の悲痛な叫びが廊下に響く。


「何? ほんと何!? 急に止まらないでよ!?」


 体を震わせモリィを睨むケンだったが、彼女の表情を見て急激に腹立たしい気持ちが萎んでいった。


 ――泣いている。涙は流れていない。しかしその表情は、明らかに哀しみを湛えていた。


「リカルド……約束果たしてくれたのね……」


 意図の掴めないケンとルリをよそに、モリィは手で顔を覆い嗚咽を洩らした。


「……しばらくそっとしておいてあげましょう?」


 ルリがそっとケンに耳打ちをする。ケンも静かに頷くと、窓の縁に手を乗せ眼下に広がる樹海を眺めた。


 しばらくたった後、モリィはようやく顔を上げた。涙の跡も、泣き腫らした痕跡も見られない。しかし、ケンもルリも彼女の哀叫を理解していた。


「あー、泣いてるのに涙が出ないって……変な感じ!」


「もう、大丈夫?」


 モリィは弱弱しく笑うと、廊下の反対側まで漂い、ちょうどケン達の対面にゆっくりと着地し腰を下ろした。


「この際だから、あなたたちにも知っておいてもらおうかしら。ここがどんなところで、何があったのかを」


 ケンとルリは、神妙な面持ちで彼女の次の言葉を待つ。天井を仰ぎ、モリィはゆっくりと口を開いた。


「あるところに、オスカル・ムトニエって資産家で科学者の男がいたの。そいつは、“人間の可能性”なんてものを日夜研究し、それに大金を注ぎ込んでいたわ」


 モリィは口にするのも忌々しい、といった感じで大きく息を吐いた。


「誰にも理解されない、世界の片隅の小さな研究だったのだけれど、突如立ち上げられた“プロジェクト”によって彼は裏の世界での評価は一変したわ」


 プロジェクト……モリィはケンの姿を見て口走っていた。ケンはそれを思い出し、とてつもなく嫌な予感が彼の背筋を駆けのぼった。


「その名も、“プロジェクトAtoZ”。人類の進歩と飛躍の可能性を開花させる術……。全部で26通りの異なるアプローチによって、人類を上位の存在に押し上げることへの模索が目的とされていたの」


「ちょっといいかな……? さっきモリィは俺の耳を見て、プロジェクトなんたらって言ってたけど……もしかして、俺もそのプロジェクトに何か関係があるの……?」


 自身に起きた身体の異変、マリが発した“研究所”の言葉、尋常ならざる力を持った残酷な追っ手……ケンがどれだけ頭の中で否定しようとも、それらはバラバラのパズルのピースが組み合うように合致していく。


「私の担当のプロジェクトじゃあなかったから、資料を流し読みしただけだからハッキリとは言えないけど……あまりに特徴が一致していて、ね」


「それは一体どういう……?」


「憶測よ? それでも良いなら言うけど、あなたはおそらく“プロジェクトD(ディフォーム)”――“人でありながら人から変わる力”じゃあないかしら」


 夜明け前の薄暗い廊下に、重い沈黙が流れる。


「プロジェクトDは、数ある中でも特に突飛で抽象的だったから記憶に残っているのよ。あなた、姿以外で何かこう……“すごい力”みたいなものはない?」


「ある……。“勝手に距離が縮まったり”、“離れた場所の物に手が届いたり”……」


 その言葉に、モリィはからかうでもなく、顎に手を当て思考を巡らせ始めた。


「距離……離れた場所……ええと、アレには何て書いてあったかしら……」


 再び自分の世界に没入するモリィに、ケンとルリは顔を見合わせ小さく肩をすくめた。突如、モリィは『思い出した!』と大きな声を上げ、その声は廊下に反響した。


「無限の軌跡《ヴェクター》! 空間制御よ!」


 聞き覚えのある単語に、ケンの記憶は刺激される。あの日、夕方のイースト・シティ。ホロウなる女性が言った言葉だ。嫌な記憶に、ケンの呼吸は乱れた。


「顔が青いけど大丈夫? まあ無理もないわよね。あなたたち子供が二人でこんな場所に来るんですもの。ワケありなんでしょう?」


 ルリはケンの手を握ると、彼の瞳を真っすぐと見つめる。ケンも何とか呼吸を整え、頷いてみせた。


「それにしても……30年の間に構想から実現まで行っちゃうか……」


 モリィは苦虫を嚙み潰したような表情で、『それまでに一体何人犠牲にしたの……?』と小さくこぼした。


「あー、ごめんモリィ、話が逸れちゃったね。続き、聞かせて?」


 不穏な表情で固まるモリィに、ケンは自身の疑問を放り投げる。そんな様子に気が付いたのか、彼女も慌てて謝罪をすると続きを語り出した。


「続けるわね……それで私……いえ、この研究所は“プロジェクトE”を担当していたわ」


「プロジェクトE、ですか……? やはりそれも何かの頭文字でしょうか?」


 ルリの推察にモリィは首肯する。


「プロジェクトアースバウンド……霊子を地脈に固定して、その性質を利用してエクトプラズムの兵器を顕現させるメソッドよ」


 聞きなれぬ単語の羅列にちんぷんかんぷんのケン。隣のルリの反応を見ると、意外なことに彼女は何か要領を得ているようであった。


「魂を大地に縛り付けて、生への渇望を生者への憎しみに変換……兵器として攻撃性を持たせるには腹立たしい程理にかなっていますね……」


「ルリ、よくわかっているわね。そう、このプロジェクトEは魔女のとある術を参考に考え出されたわ。魔術か科学か、違いはそこだけよ」


 モリィの半透明の姿を見て、ケンは生じた疑問を彼女に投げかけた。


「じゃあさ、モリィがその兵器なわけ……?」


「違うわ。私はいわゆる“制御装置”の役割よ。大小様々な霊子が引かれ合い、結合してできた統合体《レギオン》、それを制御する存在よ」


 『自在に使役できてこその兵器だからね』と、モリィは皮肉たっぷりに吐き出した。


「でも、霊子の集合体なんて多くの人間が必要になります。研究、実験としてはコストがかかりすぎて――あっ、だから凍結を……?」


「んー、いいとこ行ってるけど、現実はもうちょっと複雑な事情があったのよね」


 モリィは少し何かを考えていたようだったが、顔を上げた。


「少し寄り道しましょう。付いてきて」


 三人は廊下を反転すると、建物中心部を貫く階段へと至る。そこから一階層上がり、3階の扉の前に来ていた。


「ここ――」


 モリィは扉の前で俯き、静止する。ただ躊躇しているだけではない、その表情には悔恨のようなものが浮かんでいた。


「大丈夫、ですか……?」


 ルリがモリィの顔を覗き込む。彼女は意を決したように前を向くと、扉の中へ吸い込まれるように消えていった。それにケンも続き――。


「いったあ!」


 鉄製の扉に激突するケン。顔を押さえうずくまる。


「何やっているんですか!?」


 ルリの呆れたような声。ケンはばつの悪そうな表情でドアノブを掴んだ。


 3階の廊下は、これまでのものとは違った雰囲気だった。これまでは無機質で機能優先な味気ないものだったが、ここには“温かみ”があった。


「子供の絵……? それもたくさん……」


 ルリは壁に掲示されている、のびのびとした筆跡の作品に顔を近づける。動物や乗り物、おとぎ話の登場人物……たくさんの絵が子供の自由な感性により彩られていた。


「なんだろう、何か嫌な予感がする……」


 ケンは区画ごとに分けられた部屋のひとつ、その入り口のスライドドアに手をかけようとした。その時、モリィの悲痛な声が廊下に響いた。


「待ってッ! 開けないで!」


 叫び声に近い、あまりにも悲痛なその声に、ケンもルリも飛び上がった。


「大声出してごめんなさい……でもお願い、開けないであげて……。みんな“眠っている”から……きっと、その姿……見られたくないから……」


「できる範囲でいいから、聞かせてくれるかな……?」


 ケンはつとめて落ち着いた口調でモリィに問いかける。彼女も決心がついたようで、その顔に痛みを浮かべながら言葉を絞り出した。


「ここには、いろいろな子供が集められた。身寄りのない子、戸籍のない子、売られた子、望まれなかった子……みんな人が当然の権利として享受するはずだったモノを得ることができなかった、そんな子供たち」


 モリィは痛みを紛らわすかのように、子供たちが描いた絵に視線を向ける。


「何で子供なのか、それは簡単。“低コスト”で、“大量に”仕入れることができるから」


 その独白は、まるで罪の自白のようだった。ケンもルリも言葉を失い、ただ聞き入るだけだった。


「どんな過酷な環境に置かれようとも、屈託のない笑顔で精一杯今日を生きる子供たち。その姿に私――いえ、私たち研究員は己が過ちに気が付いたわ」


 『だから――』モリィは大きく息を吐く。呼吸ではなく、己の過去と向き合うために。


「私たちは研究所を騙すことにしたの。表向きでは研究を続けているものの、なかなか成果は出ない。でももう少しでなんとかなりそう、ってね。今思えば綱渡りもいいところよ」


 モリィはしばらく何かを思い返すように沈黙していたが、やがて口を開く。


「ここの所長、リカルド・アークレイもね……ほんと、なんでこんなプロジェクトに携わったのよってぐらいのお人よしで……頭はいいのにどこか抜けてて、それが放っておけなくて……でも、底抜けに優しくて……」


 その表情は先程までの哀愁に満ちたものとは違っていた。愛おしい者を思い返すような、“女性”の顔だった。次第にモリィの声は震え、『ごめんなさい』と彼女は二人に背を向けた。


「なんとかなると思い込んでいた日々はそう長くはなかったわ。しびれを切らせた研究所は警告通達の後、クソ所長のオスカル直々に特別チームを引き連れてのご登場。嘘の報告やら研究費用の用途外の使用等……諸々の“処罰”が決まったわ」


 吐き気を催す程切迫した空気に、ケンは固唾をのみ次の言葉を待つ。


「私はごらんの通りシステムの一部に繋がれ、他の職員たちは粛清――いろんなプロジェクトの“献体”ね。所長のリカルドは、凍結され廃棄される研究所の所長のまま――変わっていく私や子供たちを間近で見なくてはいけなくなったの」


 ケンは思う。モリィにも子供たちにも優しかった彼にとって、それはどんな罰よりも辛く苦しいものだろう、と。ケンの胸は痛みに締め付けられた。


「霊子固定装置は作動。私はこうなって、子供たちは……もはや自分が人間であることすら忘れた存在へと成り下がったわ。オスカル達が去った研究所で生きている人間は一人、リカルドだけ。彼は統合体《レギオン》の憎悪を一身に受けることになり、そして――」


「モリィさん、もうわかりました、これ以上は――」


 ルリの静止に、ケンは彼女の腕に触れ待ったをかける。モリィの告白は、彼女自身のけじめでもあるのだ。


「もうどうしてあげることもできなくなった私は、リカルドに最期のお願いをしたわ。この施設の主電源を落とし、霊子固定装置を強制的にシャットダウンするの。上手くいけば、統合体《レギオン》が完全に固まる前に離散して地脈に溶けていくからね」


「だから地下で……」


 モリィは静かに頷く。


「私たち、本当にとんでもないことをしてしまったのですね……ごめんなさい……」


 頭を下げるルリ。ケンもそれに倣う。モリィは力なく微笑んだ。


「謝らないで。あなたたちは知らなかったんだから。それに、大事なのは間違ったその後、でしょ?」


「止めに行きましょう!」


「ああ!」


 三人は廊下の突き当りにある扉へ向かう。昨日地下へと降りた階段だ。その時、遥か下層より響くある“音”をケンの耳は拾った。


「なんだろう……猫の鳴き声……? なんだかたくさんいるような……」


 その言葉に、モリィの表情が強張る。


「マズいわね……お喋りが過ぎたわ……」


 だんだん近づいてくる猫の鳴き声の様なものは、大きさが増すにつれ人間の泣き声だとわかる。様々な子供の泣き声が重なり、不協和音のように響く。ルリはたまらず耳を覆った。


 泣き声だけではなく、震動と素手や素足が冷たい床を叩くような音、何かを引きずる様な音も加わる。


「地下はダメね……形を成したあの子たちの領域よ……。こうなったら5階の“私がいる”部屋――霊子固定装置のところまで行くわよ!」


 モリィは階段を昇りはじめ、ルリもそれに続く。


「ケン! どうしたの! さっさと来なさい!」


「モリィ、もしさ、“子供たち”の狙いに順序があるとしたら……プロジェクト出身の俺を真っ先に狙うかな?」


 ルリは急いで引き返すと、ケンの手を力強く掴み声を張り上げる。


「ダメっ! 絶対ダメです!」


「大丈夫、地下へはこの階段しかないけど、上の階ならもう一個あるでしょ?」


 ケンの真っすぐな瞳に、モリィは視線を逸らす。


「魂の輝きに順位なんてないけど……あの子たちはきっと、目の前で動く生きているものなら何にでも反応するはずよ」


「じゃあ行ってッ! 早く! 5階で落ち合おう!」


 『でも……』とルリが食い下がったとき、彼女の言葉が途切れる。彼女の視線の先、階段下の踊り場に“それ”はいた。真っ白で半透明な塊、そこから無数の手足が勝手な方向に飛び出し蠢いている。眼孔部はなく、中心部に巨大な口があった。


「ルリ、こっち!」


 モリィの声に、ルリは歯を食いしばり階段を駆け上っていく。ケンは眼下の統合体に向け、大きく手を振り声を上げた。


「ほーらこっちだ! 捕まえてみろ!」


 統合体はまるで笑うかのように口を大きく開く。不揃いな歯がびっしりと生え揃っており、その奥にプロジェクトのエンブレムらしき紋様の浮かぶ球体が見えた。


 ケンは勢いよく扉を蹴り開けると、元来た道を走る。背後で凄まじい音を立て統合体《レギオン》が扉を破って追ってくるのが見えた。ビタビタと手足が床を打ち付ける音が徐々に近づき、腕の一本がケンの足首を捕えた。恐ろしい程に冷たい感触と、万力の様な握力にケンの本能は警鐘を鳴らした。


「しまった……!」


 途方もない怪力で引き寄せられるケン。統合体《レギオン》は大きく口を開く。マズい、離れなくては――ケンがそう思った時、彼の視界が一瞬揺らぎ、次の瞬間には廊下の入り口のドアに背を向けて立っていた。


「あ、あれ?」


 ふと先程モリィから告げられた“自身の能力”について思い出す。空間制御……距離を取りたいいう強い思いがこの現象を引き起こしたのだろうか。ケンは彼の足をいまだ握りしめている千切れた統合体《レギオン》の腕を振りほどくと、背後の扉に駆け込んだ。


 施設の中心を通る階段へ向かう途中、ケンは倒れた観葉植物の鉢を見つける。彼はそれを背後に迫る統合体《レギオン》目掛け投げつける。ぶつかりはするがまるで水面に投げ込んだように統合体の体を波打たせ、そのまますり抜けると床上を転がっていった。


「そっちは物理的に干渉してくるくせに、こっちからは干渉できないのかよ!」


 悪態をつきながら突進を避けるケン。彼の転がった先に、金属製の筒が転がっていた。上部には取っ手と、その先から伸びる黒いホース。


「消火器……」


 ケンは突如ひらめくと、それを手にし統合体《レギオン》の元へ駆け出す。大きく開かれたその口目掛け放り込んだ。噛み砕かれた消火器から白い煙が吹き出し、それは統合体《レギオン》の半透明な体の中に広がっていった。


「どうだ……?」


 巨体がのたうち回り、フロアを大きく揺らす。ケンは小さくガッツポーズを取ると、以前にも似たような状況があったと思い出す。そそくさと脇を通り抜け、上階を目指すケン。


「……ごめんな」


 階段に足をかけた時、ケンはふと振り返り小さな謝罪の言葉をつぶやいた。


* * *


「心配……! ケンさんが、心配です……!」


 ルリは息も切れ切れ、モリィの背を追い階段を駆け上る。


「信じるしかないでしょ。それに、私たちは私たちでやらなくっちゃあいけないことがあるのよ?」


 5階の扉の前で、ルリは胸に手を当て息を整える。軽い貧血で眩む頭を振り、ドアノブを回した。


「本当は見て欲しくないんだけど……そうも行っていられないわ。ルリ、覚悟してね」


 ルリは意を決してドアを開く。そしてその先の光景に一瞬視線を奪われ、静かに顔を背けた。


 まず彼女の視線に入ったのは、部屋の一番奥に鎮座している仰々しい機械。様々なランプが点灯している意外はさっぱりわからなかった。次に、その機械の前にあるベッド。ドス黒く変色した布団の中に横たわる白骨化した遺体だった。ルリは手で口元を覆う。彼女の目からは自然に涙がこぼれていた。


「しゃんとなさい! ……でも、ありがとう」


 モリィはルリの隣に寄り添うと彼女の肩に手を伸ばすが、触れる寸前でその手を引っ込めた。


 ルリは涙を拭うと機械の傍まで歩き出す。モリィの指示の元、一つずつスイッチを切っていく。機械の駆動音が止まるころ、室内にケンが勢いよく駆け込んできた。


「上手く撒けた……よ……」


 高揚した表情だったケンの口調がはっきりとトーンダウンする。ルリは勢いよくケンの元まで駆け出すと、彼の胸板を叩いた。


「もう二度と! あんな馬鹿な真似しないでください!」


「ごめんごめん……それで、機械はどうなったの?」


 ケンはモリィを見る。彼女は訝し気な表情で宙に浮いたままだった。


「おかしい……装置は落とした……なのにどうして、どうして私は消えないの……?」


「それは実は関係なかったりして?」


「そんなわけないわ。確かにこれが始まりよ。これを落とせば……まさか!」


 モリィの表情に絶望が浮かぶ。どうしたものかと考えるケンの耳に、再びあの不協和音が聞こえる。


「まずい……来たよ!」


「モリィさん、どうしましょう!?」


 ケンとルリの縋る様な表情に、モリィは静かに窓の外を見る。東の空は茜色に染まりつつある。


「こうなったら、最後の賭けよ。屋上に行きましょう」


 三人は部屋を後にすると、再び階段へ向かい駆け出す。


「来ました! 後ろです!」


 ルリは背後を指さし叫ぶ。統合体《レギオン》が彼ら目掛け猛進する姿がはっきり見えた。


「ようし……」


 ケンは腕を前に突き出すと意識を集中させる。


「ケンさん!」


「待ってルリ、下がって!」


 ルリの怒ったような声を、モリィは遮る。その直後、一度重い震動が走ったかと思うと、統合体《レギオン》の足もとが消え去り階下に落下していった。経年劣化で脆くなっていた床が連鎖的に崩れはじめ、三人は廊下の突き当りまで一目散に逃げだした。


「これで屋上に行く時間はできたでしょ?」


 やり遂げたような表情のケンに、ルリは目を吊り上げ彼の頬を引っ張った。


「また! 一人で! 何かしようとして!」


「痛い! ごめん! ごめんって!」


 ほんの僅かな緊張の緩み、モリィは眩しいその光景に目を細めた。


「ほら若いの、油売ってないで行くよ?」


 屋上へと辿り着く三人。しかしそこは、巨大な屋根に覆われていた。


「なんか暗いね……ここで何するの?」


 ケンの質問にモリィは答えない。しきりに何かを探しているようだった。


「あった! 二人とも、これよ」


 彼女の指す先、壁際に設置されたスイッチの様なものがあった。


「これは?」


「屋根の開閉ボタン。ここはヘリポートなのよ」


「それが今何の関係があるのですか?」


「いい? これが最後の大仕事よ?」


 そういうと、モリィは大きく息を吸った。彼女なりの決意の表れなのだろう。ケンとルリは次の言葉を待つ。


「私とあの子たちは、機械が止まっている間でも存在は消えていなかったから……地脈との繋がりが強まって互いの存在が確固たるものになってしまったみたいなの。仮定だけど、あの子たちの霊子は結合が解けた後もリカルドを襲ったあの地下に残留していたんじゃあないかしら……本来だったら蒸発して無くなっちゃう霊子も、結果的に封じる為に溶かし込んだ地脈が保護していたってことになるわね」


「俺たちが発電装置を動かして装置が稼働したから、またくっついちゃったってことか」


「モリィさんは一つの魂だから発電装置の復旧から程なく現れたけど、統合体《レギオン》は集まって元の姿に戻るために時間が必要だったわけですね」


 モリィは頷くと、『ここからが重要よ』と言う。


「プロジェクトEは一見恐ろしく強大に見えるけれど、たった一つ、致命的すぎる“欠陥”があるの。それは、日光に弱いの」


 なんとも幽霊らしい、ケンは妙に腑に落ちた感覚にとらわれる。


「紫外線に弱いのか、紫外線を通した魔力《マナ》が影響しているのか、とにかくあの子たちの体はひとたび日光を浴びたらそれまで。消えていくわ」


 『そして――』モリィは静かに、穏やかな口調で続ける。


「あの子たちと繋がった私も、ね」


 外から鳥の鳴き声が聞こえる。鳥が活動し出したということは、太陽はもうすぐそばだろう。


「モリィ――」


 ケンが口を開いたその瞬間、建物が激しく揺れる。下の階から、何かが壊れるような音がする。地面が僅かに傾き、天井を支える鉄骨が不気味な音を立てて軋んだ。


「来たわね」


 彼らの近く、コンクリートの床をぶち破り統合体《レギオン》は姿を現した。


「ケン! スイッチを!」


「わかった!」


 ケンはすぐさま壁の赤いボタンを押し込む。機械が駆動する音が聞こえ、金属の擦れる耳障りな音が響く。こちらへ向かってくる統合体を前に、ケンはやっと解放してあげられると安堵する。――しかし。


「どういうことだ……!?」


 開きかけていた天井は急に動きを止める。その後、エラーを告げるブザーが鳴り響いた。


「まずいわ……! 建物が……さっきの衝撃で歪んでしまったのよ!」


 絶望的なブザー音が響く中、ケンは咄嗟にルリを抱きかかえ横っ飛びに地面をける。次の瞬間、彼らのいた場所には統合体《レギオン》は突っ込んできていた。


「どうする……どうしよう! モリィ!」


「そんな……あぁ……」


 絶望的な状況。対抗手段は絶たれた今、ただ黙って死を受け入れるしかないのだろうか? 絶望するケンの横っ面を、モリィは叩く。恐ろしい程冷たい感覚が一瞬で通り抜けた。


「諦めてどうするの! 聞いてケン、あなたの力であの屋根を取り去るのよ! きれいさっぱり!」


「そんな、無理だ! デカすぎ――」


 再び統合体《レギオン》の突撃を躱すケン。幸いなことに、照準は自分に向いているらしい。壁に激突しもがく統合体《レギオン》から急いで距離を取った。


「できるわ! やりなさい! DO・OR・DIEよ!」


 死してなお他人の為に声を上げるモリィに、ケンは己を奮い立たせる。それと同時に、母の最期の言葉も思い出す。


 ――二人で頑張ることになるでしょうけど、力を合わせるのよ?


 自分が諦めたらルリはどうなる? 母やルリを裏切ることになる自分の浅はかさを、ケンは恥じた。


「ようし……!」


 意識を集中させる。統合体《レギオン》のしつこい追撃をかわしつつ、天井を睨む。思い出せ、さっきは廊下を消し飛ばしたじゃあないか。頭にズキリと鋭い痛みが走る。その所為か一瞬の判断が鈍り、ケンは統合体の突進をもろに受け、無数の手に捕まれる。遠くでルリとモリィの悲鳴が聞こえた。


「行け……飛べ……消えろ……今やらなくちゃ……今じゃなきゃダメなんだ……!」


 揺らぐ視界の中、ケンの意識はクリアになっていく。空間が軋み、彼の耳にまるで耳鳴りのような高い音が響く。


「輝け……ヴェクター……ヴェクタぁー!!」


 持ち上げられたケンの視界が一気に開け、青空が飛び込んでくる。それと同時に遥か彼方でズン、と今までに聞いたことのない音が聞こえる。同時に鳥たちが慌てて飛び立つ音。


「ああっ! 太陽がっ!」


 モリィの声に合わせるかのように、丸裸にされたヘリポートがオレンジ色に染まっていく。ケンの四肢を掴む拘束が緩み、ケンはコンクリートの床に落とされた。


「ケンさん……!」


 駆け寄るルリとモリィ。彼らの目の前で、統合体《レギオン》の体から無数の光が解け天へと昇っていく。


「良かった……みんな、ゴメンね……ゴメン……」


 モリィは力が抜けたようにその場に崩れ落ちる。その体からも、同様に光が解けてゆく。


「モリィ!」


「モリィさん……!」


 ケンとルリの悲痛な声。モリィは微笑んで語りかける。


「本当に、ありがとう……ね。リカルド……今、逝くよ……」


 モリィは静かに目を閉じると、最後の一筋の光を最後に、その場から消え去った。


 早朝の森の匂い、名前も分からない鳥たちのさえずり、眩しい程の朝陽。ケンとルリはしばらくその場で涙を流していた。


 彼らが涙を拭い、重い腰を上げた時、足もとから大きな揺れが発生した。それと同時に、視界が傾いていく。


「こ、これは――」


「あれだけ派手にやったんだ、建物がもたなかったんだ!」


 ケンは戦闘の際に投げ出されたリュックを引っ掴む。


「ルリちゃん、ごめんよ」


「何を――きゃっ」


 ルリの背と膝の下に手を回し、軽々と抱きかかえる。傾きゆく屋上から、ケンは遥か下の中庭を見据える。


「大丈夫、行ける……やれる……!」


 意識を集中すると、ケンは勢いよく駆け出し、跳躍する。コンクリートの足場は音を立て崩れ去り、ルリの悲鳴が耳元で聞こえる。次の瞬間、ケンの足は草が伸び放題の中庭に着いていた。


 ルリをそっと地面に下ろすと、彼女は目を見開いたまましばらく硬直していた。空を見上げ、改めて高い距離からの跳躍を認識する。しかし彼の体はいたって健康そのもの、むしろ活力に溢れていた。


「なんとかなるもんだね」


「信じられません……」


 言葉を交わす二人の背後で、研究施設棟が轟音と共に崩壊していく。迫り来る砂埃から逃れるように、ケンとルリは昨日駆け込んだ正門に飛び込む。コンクリートの巨大な壁を背に、二人は息を整える。しばらく続いた崩落音は、最後に聞こえる金属音を境にピタリと止んだ。


「終わったか……」


「終わりましたね……」


 恐る恐る正門から覗くと、そこには瓦礫の山が聳え立っていた。それは、かつてそこであったささやかな幸せも、心無き者たちが引き起こした悲劇も、全てを等しく埋葬した。


「これでさ、全てが報われるなんて思わないけど……こういう形になったことでさ、みんなゆっくり休めるんじゃあないかな……」


「そうですね。忘れ去られた山奥で、静かに……」


 これだけ壮絶な惨劇を引き起こした“プロジェクト”。しかしこれは氷山の一角にしか過ぎない。あと25のプロジェクト、さらにその一つには自身の出生や母の関わりもある……抱えるには重すぎる真実を胸に、ケンはルリを連れ無辜の民が眠る墓標を後にした。

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