八話 中間テストに構われる・二
沙夜は乗り気ではなかったが、机に教科書とノートを広げてテスト勉強を始める。
「それで分からない所は何処なんだ?」
「ええ? 私と恭也の仲なのにそれ聞いちゃう? 分かってる癖にー」
確かに、聞いた俺が馬鹿だった。どうせいつも通り何もかも分からないんだろう。目を細めてニヤニヤしながら聞き返す沙夜に、呆れながら視線を移して御縁にこう言う。
「どうやら全部らしい。御縁も教えてやってくれ」
実を言うと俺はあまり勉強が得意な方ではない。だから毎回沙夜に勉強を教えていたのは負担があった。
しかし今回は御縁が居る。彼女も手伝ってくれるのなら、負担が減って自分の復習にも力が入れられるってものだ。
「――御縁?」
肝心の御縁が何も答えない。それ所か、体やシャーペンを握る手すらも石のように固まっている。
「どうしたの、御縁」
沙夜も変に思って呼びかけるが、反応がない。
「おーい、御縁?」
痺れを切らした俺は、彼女の動かない視線の前で、手の平を広げて左右に動かす。
「……どうしたんですか。急に手を振って」
そうしてようやく反応を示した。
「急にって……さっきから呼んでたんだけど……」
「そうなんですか? すみません、気が付きませんでした」
まぁ、だろうな。無視していたと言うよりか、ぼーっとしていた様子だった。
「何か考え事?」
沙夜が聞くと。
「いえ。男の子の部屋に入るのは初めてなので、緊張ししまっただけです。ドキドキしてます」
そう答えられて、俺はしどろもどろな返事になってしまう。
「そ、そうか……」
……そう言えば、沙夜以外で初めて部屋に入れた女子って御縁になるんだよな……。
御縁は相変わらずの無表情だが、そう思うと俺も少し――。
「なーに、あんたがちょっと顔を赤くしてんのよ。初めて女子を部屋に入れた訳でもないのに」
やっぱり、沙夜が分かる程度には照れてしまっていた。彼女のジト目の視線が刺さる。
「い、いや、それは――」
照れ隠しから発せられそうになったその言葉を慌てて飲み込む。
「……それは、いきなりこいつが変な事言うからだろ」
違う台詞を吐き出すと、顔に突き刺さる視線が抜かれた。
「ふーん……まぁ、急にあんな事を言われたらね。恋愛に無頓着なあんたも、流石にたじたじになる訳か」
「……この話はもういいだろ……御縁、お前もこいつに勉強を教えるの手伝ってくれ」
「分かりました」
無理矢理だったが、話を本題へと持っていけた気がする。
「初めての男の子の部屋でまだドキドキしてますが、頑張って七瀬ちゃんの赤点回避に努めます」
だからそう言う事を言うなって……。
「――ちょっと席外す」
沙夜が座布団から腰を上げる。
「ん、ああ」
「ごめん、すぐ戻って来るから」
そう言って、慌てながら廊下へと出て行った。
「どうしたんでしょうか」
「お花摘みだ」
何故沙夜が離席したのか分かっていない様子だった御縁に、オブラートに包んでそれを教えた。
「お花? 何故摘みに行ったんですか?」
しかし上手く伝わらない。
「……お手洗いだ」
「ああ、そっちですか」
どっちだよ。この状況でお花摘みと言えばそれしかないだろ……とツッコミを入れたかったが、いつもの平常運転だったから無視した。こいつへの適応力がかなり上がってきている。
「……そう言えば、この前恭也君が私の部屋に来た時も緊張して、ドキドキしてました。こっちでも男の子を初めて部屋に入れた上に、下着姿も見られたので」
前言撤回。まだまだみたいだ。
何でそれを今言うんだよ……。
「……そ、そうか……出来れば、その話はあまりしないで貰えると助かる……」
「? 分かりました」
数分後、沙夜が戻って来て勉強会は再開した。
人に教えながらの自分の勉強は、今までにない程にスムーズに進む。これも御縁のおかげだ。
唯一の取り柄、と大々的に言っていた程はあり、こいつはかなり勉強が出来る。
「――ねぇ、二人ってさ、天文部立ち上げたんだよね?」
勉強を教えていると沙夜が何の脈略もなく、そう聞いてくる。
「天文部の人達と勉強会はしないの?」
「御縁がそれを提案したんだが、他は各々に用事があった」
沙夜に詳しくは話さなかった三人が誘いを断った理由はこうだ。
まず宮下は、他の誰かと勉強をする約束があった。
次に琴野。彼女も宮下と同じような理由で、姉に勉強を教えて貰う約束をしていたそうだ。
そして最後に星塚。彼女曰く必要ないとの事。前者二人は納得出来るが、こいつだけは言葉の真意が分からなかった。
勉強が苦手で最初から諦めて開き直っているのか、自信があってする必要がないのか、あいつは答えてくれなかった。
「七瀬ちゃんの方はどうなんですか?」
「私は最初から恭也に教えて貰う腹積もりだったから。いつも教えて貰ってるし。ね?」
沙夜がこっちを向く。
「……まぁ、誘うつもりでいた」
勉強を教えるのは大変ではあるけど、自業自得だがピンチなこいつを手放しに見捨てる事は、きっと俺には出来ない。
だからいつものように――御縁が居なかったら真っ先に誘っていただろう。
「流石私の親友」
「そんな事はどうでもいいからさっさと問題を解け」
笑顔でウインクする沙夜の、シャーペンを握る手が止まっているのを指摘する。
「はい、勉強してください。このままじゃ赤点は免れないと思います」
珍しく強気な発言をする御縁。それもそう、沙夜の現在の状況は崖っぷち。喋っている暇などない。
真面目な御縁は、沙夜の赤点を回避すべく全力で教えてくれている。
「こいつの言う通りだ。ほら次の問題に行くぞ」
その後は自分の為にペンを走らせつつも、沙夜の赤点回避の為に勉強を教えた。
すぐ怠ける沙夜に苦労しながら時間は過ぎていき、気付けば外は真っ暗になっていた。
「――今日は流石にここまでにするか」
時計の針は十九時を指し、もうお開きにするにはいい時間だ。
「うぅ……久々にこんなに勉強した……」
「お疲れ様です。この調子で赤点を回避しましょう」
力尽きて突っ伏している沙夜とは正反対に、余裕そうにそれを励ます御縁。
俺は流石に疲れた。でもいつもよりも復習出来た気がする。
「……あー、お腹空いたー」
腹の虫を鳴らす沙夜に同意する。時間は午後七時、もう晩飯時――。
「――晩飯」
やばい、忘れてた。
「恭也君、どうかしたんですか?」
勢いよく立ち上がった俺を見て驚く二人を横目に、駆け足で一階のリビングに向かう。
「凪砂悪い! 今から作るから!」
入るや否や、ソファーに横になってテレビを見ている凪砂に謝る。
「ん、ゆっくりでいい」
視線をバラエティ番組に集中させながら手をヒラヒラと振る凪砂にもう一度謝りながら、エプロンを着てキッチンに立つ。
「えっと……今日は……」
冷蔵庫を開けて食材を取り出していると。
「そっか。恭也が晩ご飯作ってるんだっけ」
俺の後を追って、リビングに降りてきた二人が顔を見せる。
「お前らも食べていくか?」
晩飯の準備をしながら、二人に何気なしでそう聞く。ここでさよならってのも素っ気ないだろうし。
「久しぶりにご馳走になっちゃおうかな」
「恭也君のご飯、また食べたいです」
二人の返事は即答だった。
一人や二人増えた所で手間はあまり変わらない。いつも通りに料理を始める。
「ところで、恭也君が晩ご飯を作ってるんですね」
「うん。雪さん――恭也のお母さんはこの時間帯、まだお店の方で忙しいから」
「もしかして、料理が出来るのって……」
「そそ。雪さんの負担を減らす為。本人は趣味で練習したとか言ってるけど、多分それが本当の理由」
目の前で言いたい放題な二人は無視して、食材を切っていく。
「手伝わせてください」
暫くしてから御縁がキッチンに入って来た。
因みに料理が全く出来ないと自負している沙夜は、凪砂と一緒にテレビを見ながらソファーにふんぞり返っている。
「それはありがたいけど、出来るのか?」
「任せてください」
力強く頷いた姿を見て、こんなにも不安になるのは何故だろうか。
「……じゃあ野菜を切ってくれ」
「ドンと来いです」
不安は的中した。包丁を手渡すが握り方からして既にもう既に怪しい。
「……指を切らないようにな」
「大丈夫です」
確かに御縁の切り方はどうやっても指は切らないそれだった。
しかし、その切り方は別の意味で全く大丈夫じゃなかった。
『ドン! ドン!』
まな板ごと叩き割るかのような大きな音を響かせ、野菜目掛けて包丁を頭上から振り下ろす。当然もう一方の片手は使わずに、固定されていない野菜を『ドン! ドン!』と。
野菜はまな板からあちらこちらへと飛び散っている。
「ストップ。待て。ステイだ」
また振り上げようとする包丁を握った手を慌てて止める。
「恭也君。切った野菜が散らばってしまいます」
「……もういい。お前もテレビ見てろ」
俺はこの瞬間、絶対に御縁をキッチンに立たせてはいけない奴だと胸に刻んだ。
キッチンの暴れん坊を沙夜と凪砂に引き取って貰った後は、何事もなく晩飯を作り終えた。
その頃には母さんも店を閉めてこっちに戻っていたので、五人で食卓を囲む。
「やっぱり恭也のご飯は美味しいわね!」
「はい。例えるなら桃源郷の仙果のような神々しさがあります」
一応客だった二人の口にも合っていたみたいで満足だ。
食べ終わった頃にはかなり遅い時間だったから、俺は御縁達を家まで送って行く事にした。
「すみません、ご馳走になってしまって」
「俺が誘ったんだから気にするな」
「そうそう。気にしない、気にしない」
「お前はもう少し遠慮したらどうなんだ?」
三人でたわいもない話をしながら夜道を歩いて――。
「本当にここまででいいのか?」
「はい。すぐそこなので。恭也君、七瀬ちゃん。また明日です」
マンションの近くまで来た所で御縁と別れ、沙夜と二人になった。
「こうやって二人で歩くの久しぶりよね」
歩いていると不意に沙夜がそう言ってくる。
「そうだな」
演劇部の朝練と放課後の活動があるこいつとは、基本登校下校は一緒になる事はない。
「いつぶりだっけ」
「確か……入学式以来とか? お前が部活で忙しいからな」
「今はあんたもでしょ? やっと部活に入部したんだから。天文部に」
それもあるかもしれない。思えばこの半月、天文部の件に構いっきりだ。
「最近、恭也ってアレ言わなくなったよね」
「アレ?」
「あんたの口癖。『退屈だ』って」
そう言えば……確かに言っていない気がする。それに退屈だって感じる事も少なくなっていると思う。
「やっぱり天文部のおかげかしら」
「ん……」
これは自分でも曖昧な部分だ。明確にこれのおかげで退屈に感じなくなったってのはない気がする。
でも理由を一つあげるとするなら――。
「強いて言うなら、多分それは御縁が来たから、かな……」
もちろん天文部を立ち上げようとしていたから、退屈じゃなかったと言う理由もあるだろう。でもそれのきっかけは御縁、あいつだ。
「御縁って本当に変わった奴でさ。一緒に居てて飽きないんだよな。天文部を作るって言い出したのもあいつだし」
「……あんたがそこまで言うって珍しいわね」
「多分初めて見るタイプの人間だからだろうな」
「……そ……な……」
沙夜のその言葉はよく聞き取れなかった。
「え? 何だ――」
聞き返そうとした声は、彼女の小走りな足音に掻き消される。
「私もここまででいいよ。ありがとね、送ってくれて」
「え? あ、ああ……それは別にいいんだけど」
――だけど、沙夜のその行動に違和感を覚えた。
「……また、明日な」
「うん。明日からも勉強教えてよ? じゃあね」
結局その違和感を具現化出来ず、彼女の小さくなる背中を見送るしかなかった。
◇◇◇
翌日以降の放課後も三人の勉強会は続いた。
そうして、来たる翌週の中間テスト本番もあっという間に過ぎ去り、さらに翌週のテスト返却日。
沙夜から赤点を回避したと言う報告があった。




