九話 六月に構われる
中間テストが終わり、暦は六月を迎える。
六月一日の天気は雨。制服が夏服に変わった俺達生徒にとって、少し肌寒い一日となった。
「テストも終わった事だし、今週の土日に天体観測へ行くわよ!」
やっと片付けが終わった部室の窓を雨が叩く中、星塚が意気揚々と宣言する。
「今週は無理よ」
意気込みを軽々と砕くのは、そんな琴野の言葉。
「うん、無理だね」
「はい。行きたいのは山々ですが、無理です。すみません」
彼女の言葉に同意するのは宮下と御縁。
「そうだな、無理だ」
もちろん俺も頷いた。
「何でよ! テストも終わったんだし、行けるでしょ?」
「無理ね。私達は予定があるから」
再び琴乃が断言する。
「四人揃って……何があるって言うのよ?」
「俺達四人……ってだけじゃないんだけどね」
「は?? どう言う事?」
どうやら星塚は本気で分かっていないようだ。この学校の生徒なら、一度は経験している行事だと思ったんだが。
「今週の土曜は林間学校だ」
「林間……学校……」
少し考え込んでから『あっ』と声を上げる。
「そう言えば、もうそんな時期……」
今週の土日、俺達一年と二年は林間学校に行く予定になっている。テストに立て続いて退屈しなさそうだ。
◇◇◇
「そう言う訳だから、料理を教えてくれないかしら?」
林間学校が迫る前日の放課後、琴野が料理を教えてくれと教室まで頼み込んで来た。
と言うのも、一泊二日の林間学校には野外炊飯が含まれており、その間の食事は、班ごとに自炊しなくてはならない。
「……つまり、お前の班には料理出来る奴が居ないから、出来るようになりたいと」
それで訳はこうらしい。
「林間学校では料理と言っても、カレーとか簡単な物しか作らないから、態々教えを乞う必要はないんじゃないか?」
「一理あるわね。でもやっぱり、班の全員が料理の『り』の字も知らないとなるとちょっと不安なのよ」
「まぁ確かに……」
俺は料理が出来るが、もしもこいつと同じ状況だったら地獄かもしれない。
「私、知り合い自体少ないから、高城君しか居ないの。お願い」
「分かった。別にそこまで手間じゃないしな」
「助かるわ、ありがとう。それじゃあ行きましょ」
「え?」
そう言い残して教室を出て行く琴野を引き止める。
「待てよ、行くって何処に?」
「決まってるでしょう? 私の家よ」
――雨の中を二人で傘を差して歩き、琴野家の前まで来た。
言われるがまま連れてこられたはいいけど、態々彼女の家まで来る必要あったんだろうか。料理を教えるなら俺の家でもよかったと思う。
まぁでも、友達の家に行くのは退屈しないから、少しワクワクしている。
「そんな所で突っ立って何しているの?」
気付けば琴野が扉を開けて玄関で待っている。
「何でもない……お邪魔します」
慌てて玄関に入って傘を閉じると、中は薄暗く静かだった。どうやら家族は不在のようだ。
「着替えて来るから先にリビングに行っててくれる? 廊下の突き当たりだから」
バタンと戸を閉じる音と共に琴野がそう言う。
彼女が二階に上がるのを見届け、言われた通りにリビングに入る。
家の内装は外見通り普通。何処にでもある一般的なそれだ。
「おまたせ」
ダイニングテーブルに荷物を置いて内装を見ていると、私服に着替えた琴野が降りて来た。
「ごめんなさい、遅くなって」
「いや」
琴野の私服姿は初めて見るから新鮮だ。こいつのイメージ通り落ち着いたデザインの服で似合っている。
「それで何を作るんだ?」
そう聞きながら一緒にキッチンへ立つ。
「明日の夜に作る予定のカレー。材料も買ってあるわ」
冷蔵庫から食材を次々に取り出す。
「なるほど。予行練習って事か」
続けてエプロンを着けて準備完了な琴野に指示を出す。
「まずは具材を切る。包丁は使えるか?」
「ええ、大丈夫よ」
まな板の上に乗せた野菜にゆっくりと包丁を入れる。
トン、トン、と。御縁の力任せな切り方とは違い、繊細に力強く。
「上手いな。やった事あるのか?」
「ちょっとだけ。と言っても子供の頃のお手伝いだけれどね」
てっきり御縁レベルを想像していたから不安だったけど、心配は杞憂だったか。
しかし、琴野の包丁捌きには普段料理をしないと分かるぎごちなさがあった。
「一切れが小さいな。カレーはもう少し大きく切るといいぞ」
「ん、こうかしら」
「うん。そんな感じ」
でも飲み込みが早い。少し指摘しただけで大分よくなった。
だから食材の調理は絶え間なく進む。
「一通り切り終えたな。次は鍋で炒めよう」
一緒に捌いた肉と野菜を鍋にサラダ油と一緒に熱していく。
「どれくらい炒めるの?」
「焦がさない程度にそこそこで。次は水を加えて煮込む」
水を入れて中火で煮込む。お玉でアクを取りながら数十分後。
「いよいよルウを加えよう」
「了解よ」
カレーのルウを鍋に溶かし、ゆっくりと掻き混ぜる。後は再び煮込めば完成だ。
「意外と簡単なのね」
「だろ? まぁ味を追求するならもっと工程は複雑だけど、初めて作るなら上出来だ」
調理は思っていたより何倍もスムーズに終わり、俺達はカレーが出来るまで待っている事にした。
「はい、どうぞ」
一息つこうとダイニングテーブルの椅子に座っていると、琴野がお茶を入れてくれた。
「ありがとう」
「気にしないで。おかげで大体の手順が分かったから」
正面の席に座る彼女に、俺は感心していた。
「琴野って飲み込み――と言うか、要領がいいな。初めて料理するとは思えないくらいスムーズだった」
「そんな事はないと思うけど……きっと高城君の指示がよかったからよ」
そんな謙虚な物言いも大人びいていた。
「本当に助かったわ。教えを乞うにも貴方以外のあてがなかったから」
「そうなのか? 俺じゃなくて、家族にでも教えて貰ったらよかったと思うんだけど」
「そうね。姉は料理が出来るけど、相変わらず演劇部で忙しいから」
「……姉?」
思ってもなかった答えが返ってきたから、咄嗟に聞き返していた。
「いや、琴野先輩――お姉さんもそうだけど……ほら、お母さんとか」
先にそっちを想像するものだと思っていたけど。
「え? ああ……そっち。そうね……」
しかし、この話になった途端に彼女の表情が曇った。
「何か、訳ありなのか?」
自分でもデリケートのなかった質問だと自負しているそれに、平然とこう答えた。
「多分高城君が思っているような事じゃないの。ただ……両親が少し苦手で……」
「苦手?」
仲が悪いのか、とは流石に聞けなかった。でも、そんな俺の心を読んだかのように、言い訳じみた言葉を口にする。
「別に仲は悪くないわ。私が一方的に距離を置いていると言うか……嫌いじゃないんだけどね……」
「そうなのか……悪い、聞かない方がよかったか?」
「いえ、気にしないで。高城君の疑問は当然だと思うから」
琴野はその言葉を最後に、この話題を終わらせるみたいに席を立った。
「そろそろ出来上がった頃じゃないかしら」
「ん、ああ。そうだな」
二人でキッチンに行くと、鍋は立派に茶色に染まり、美味しそうなカレーがぐつぐつと煮えていた。
「……美味しい」
お玉で掬って味見をする彼女からそんな声が零れた。
「カレーだな」
俺も味見をしてみると普通にカレーだった。これなら明日の野外炊飯は大丈夫だろう。
「ちゃんと出来てよかったわ」
胸を撫で下ろし、安堵する琴野に向けて微笑む。
「ああ。これで明日からの林間学校は大丈夫だな」
「それもだけど、これを今日の晩ご飯にするつもりだったから。これでその……家族に美味しい物を振る舞えると思ってね」
そう言う事か。作ってる最中、やけに量が多いと思っていたけど、その理由で納得出来た。
なるほど、嫌いじゃないと言うのは本当らしい。それに仲良くもなりたいと思っているのだろう。
「高城君、改めて礼を言うわ。料理の手解きをしてくれてありがとう」
改まって頭を下げてくる。
「よかったら高城君も食べる? それを見越して余裕を持って作ったのだけれど……」
「そう言う事ならちょっとだけ」
その後俺はカレーをご馳走になった。味に関しては特に言う事もなく、普通の美味しいカレーだ。これなら家族も、同じ班になったクラスメイト達も喜んでくれるだろう。
「高城君、林間学校楽しみね」
「そうだな。カレー、班の皆に喜んで貰えるといいな」
いよいよ明日から林間学校だ。こいつも俺も、楽しめたらいいと思う。




