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第三話 香ばしい珈琲の香り

 一つ、大きなため息をつく。私のデスクの上には何十枚も積み重ねられた書類の束があった。もうすでに帰りたかったが、この仕事ができるのは私しかいない。しょうがなく、椅子に腰掛ける。横に置かれたペン置きの中にあるボールペンは、その黒インキの大半を失っていた。何本も差されたボールペンのうち、まだ書けそうなものを選ぶ。

「………え〜……暴走者の詳細……。」

 先日私が鎮圧した暴走者の、書類仕事がさらに私を襲う。あいつらは倒しただけでは終わらない。このように文字となって、私を疲労させてくるのだ。被害報告、装備使用届、部下たちの健康状態……実にさまざまな書類が私のところへやってくる。中には必要ないんじゃないかと思うものまで存在する。なんだ、外見的特徴を詳細に記せ、とは。私は絵が上手くないのだが。

 着実に一枚一枚仕事を片付けていく。しっかりと、私の横には完了した仕事の山が積み上げられていっている。だが、問題なのはそれ以上に仕事が増えるペースが早いと言うことだ。私がこうしてようやく一案件分完了した頃には、二案件分追加されている。

「終わるかっこんな量!」

 いつまで経っても減る気配のないこの山に、全身で怒りを表明する。だが、こいつは全く感情を理解などしてくれない。それはそれで虚しいものだ。部下たちもしっかり仕事をやってくれていると言うのに、なんでこうなんだろうか。少し理解できない。いや、少しじゃない。全くだ。

「課長!仕事が終わりそうにないです!」

 シンチェンが元気な声でそう報告する。安心して欲しい、私も同じ気持ちだ。というか、この課全員同じ気持ちだ。

「残業を覚悟しておけ。………全力で戦うぞ。」

 はぁ、なぜ暴走者鎮圧課なのに一番の強敵が会社の書類仕事なんだ………?私はデスクに置いたコーヒーを一口飲んだ。まだ温かい。口の中に広がる苦味が、眠気で曇りかかった脳を活性化する。………つもりだったが、まさか眠気の方が勝ってしまうとは。奥歯を噛み締めながら、目頭を人差し指で押した。

「……くっ、死ぬ、死んでしまう!」

 なぜだ、なぜ暴走者ではなく上層部から送られてきた資料に殺されそうになっているんだ。誰か助けてくれればいいのだが、あいにくこの課には人手がない。人員フル稼働でこの辛さ、やはり部署の配置を間違えたのではないか?今もノンスリープ飲料を片手に、資料と過去のデータ、そして電話対応に追われている部下たちを前にため息をついた。私もマグカップ一つと同じ高さぐらいの書類は整理し終えたのだが。

 そんなときに、きい、と部署の扉が開いた。少し開いたドアの隙間から、あの赤茶色の髪の毛がのぞいている。ああ、あいつだなと理解した後、一言「入れ」とだけ言った。一体何の要件だろうか。彼はお辞儀をして、部署内の悲惨な光景に深呼吸をした。

「………あの、ヨウランさん。忙しそうなところ申し訳ないんですが……これ、先日のお礼です。」

 至極申し訳なさそうに、リオンは小包を渡してきた。せっかくだから、人と関わって頭をリフレッシュさせよう、そう思い、私は彼に向き直る。まあ、確実に笑顔ではなかっただろう。

「ありがたい限りだ。なんであろうと、いただけるものは私たちで大切に使わせていただく。」

 白い上質な紙で包まれたそれには、小さく「トゥムンク産コーヒー豆」と記してあった。なかなかに気が効く男だ。現在この部署ではコーヒーが供給不足である。その上、上質な天然物と聞く。あの講義で、これほどのものを頂くのは気が引けるが……ありがたく貰っておこう。

「先日は本当にありがとうございました……あれから、僕の部署内でも訓練に取り入れています。もし良かったら、より詳しい対処方法などを説明していただけると………。」

 彼はふところから、何枚かに束ねられた資料を取り出し、私に手渡した。一枚目には「暴走者対策マニュアル案──全面戦争課による」と大きく記され、その下にはリオンが考えた対暴走者への指揮の取り方、個人の動き、撤退方法などが事細かに記載されていた。そう時間も経っていないはずだが、なるほど、熱心なやつだ。ただし、パラパラとめくっていると、まあまあの確率で誤対策法が混じっているのには苦笑いを浮かべるしかなかったが。

「……後で訂正してやるから、覚悟しておけ………。このままでは死人とまではいかずとも、再起不能者が出かねん。」

 赤ペンで該当箇所に下線を引っ張ると、資料はかなり赤く染まった。まるで夕焼け間際の曇り空のように。その有り様を見たリオンの顔が、微笑みのまま固まった。深呼吸をして、気分を落ち着かせているのか、目を瞑って体を伸ばしている。

「はい、ありがとうございます……。」

 完全に線を引き終わった資料を渡すと、リオンはしぼんだ表情を浮かべて、そっと受け取った。そしてそのまま出ていくかに思われたが、彼はまだ暴走者鎮圧課のオフィスに残っていた。キョロキョロと周囲を見渡して、資料などを覗き見ていた。

「……おい、リオン。何をしている。」

 かなり怪しい動きだったので、私が声をかけると、彼はビシッと背筋を伸ばして私の方を向いた。

「何か手伝えることがあったら、恩返しとまではいきませんが、少々手伝おうかと。構いませんね?」

「………感謝する。では、この資料を分類わけしてくれ。分類する時の判断基準をまとめた資料は三番目のバ行の段に保管してあるから、それを活用してくれ。わからないことがあったら、シンチェンに聞くと良い。彼は分類のプロフェッショナルだ。」

 ぺこりと礼をした後、リオンは資料へと手を伸ばしたが、明らかにとんでもない量が積み重なったそれに、少し怯んだ。が、一度頷いた後、覚悟を決めた表情をして、それを持って開いたデスクに歩いて行った。その途中、「暴走者分類基準についての資料」を取って、分類すべき資料の上に置いた。デスクについた後の彼は、なかなかにかわいそうではあった。

「……あの、ヨウラン課長。」

 フェイロイが、完了した資料を持って私のもとにやってきた。彼は何か言いたげな視線を私に向けてくる。ひとまずその資料を置くように指示し、私は聞く体制に入った。「どうかしたか。」と言えば、彼はひそひそと伝えてきた。

「あの……なんで全面戦争課のリオン課長がここに居るんですか?しかもなんで仕事を手伝って……。」

「……まあ、色々だ。打った恩を少々返しにきたらしい。」

 答え方に困り、だいぶ抽象的な返答をしてしまったが、詳しく具体的に説明しろと言われても何から説明して良いのかわからないので、それだけだと言って会話を終わらせた。フェイロイはあまり満足な答えを得られなかったのか、小首を傾げながら自席に戻って行った。

「………今は自分の仕事に集中だ。」

 うずたかく積み上げられた、受信塔のような書類から目を背けることはできなかった。

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