第四話 ドライ社企業統治区
ようやく。ようやく休憩時間へと時が進んだ。太陽はもうすでに真上まで昇り、その輝きを地上へ振り撒いている。私のデスクの上にはまだ書類が束になって残っているが、今の状態のまま続けてもいい成果は得られないだろう。なので、部下たちとともに昼休憩にするつもりだったのだが。
「ヨウランさん。お昼どうですか?」
大きく伸びをしている私に話しかけてきた男がいた。怪しげな目線をリオンに向ける。
「……構わないが。」
私がそう返すと、リオンは嬉しそうに微笑んだ。その顔には疲労が溜まっていたが、かく言う私もとんでもない面になっている可能性が高いので、気にしないことにした。そもそも、この会社にいる人間は全員疲労困憊なのだ。社長のネルヴァすら、日々の労働時間は二十を超えている。
私はデスクの横にかけた鞄の中から、革の財布と携帯を取り出した。
「適当な場所でも探そうか?」
携帯のロックを解除しようとしたとき、リオンが口を挟んだ。
「いえ、もう目星はつけてあります。」
リオンはポケットからチラシを取り出すと、店名を指した。春花喫茶、と書かれている。ドライ社企業統治区内にあり、ここから近い。載せられた写真では、落ち着いた雰囲気の店内が映し出されていた。
これはいいかもしれない。このような店で、落ち着いたコーヒーブレイクをとるのだ。昼休憩にはもってこいと言ったところだろう。だが一つ懸念点があった。
「……確認させてほしい。これは……春花組の傘下店じゃないか?」
春花組。非統治区域を牛耳る四季組の中でも、最大の武力を持つ集団。礼儀と階級、秩序を絶対視するとんでもない奴らだ。警戒リストに堂々の一位として書かれている──そもそも四季組自体警戒リストの最上位なのだが──裏組織なのだが。
「……まあ、多分大丈夫だとは。ドライ社企業統治区内にありますし、それに……まあ、万が一があったとして、それはドライ社を敵に回すことになりますし。春花組の奴らもそこまで愚かじゃないでしょう。」
僅かな不安を抱えつつ、たしかに私たちなら身の安全は確実だと思い、その店に行き先が決定された。念のため、ポケットに簡易保護シールドを入れておいて。
外の空気は澄んでいた。春の温かな日差しと、柔らかな風が凝り固まった体をほぐしてくれる。ドライ社正面入口から出た先にあるのは、緑豊かな大広場と、並んだ露店ばかりだ。車の類は一切通っていない。移動したいなら、右手にある地下鉄を利用したらいいだろう。我が社はアハト社と契約を結んでいるため、とても便利な次元転移列車を格安で使用できるのだ。まあ、今の時代アハト社と提携していない企業などいないに等しいだろうが。
「ここから約五分歩けば、春花喫茶に着きますね。左に曲がるようです。」
リオンと並んで、整備された歩道を歩く。道の両脇には街路樹が植えられ、みずみずしい青の葉っぱを身に纏っている。鳥の鳴き声が上の方からしているので、ついつい見上げてしまう。そこには親鳥の帰還を待つ雛たちの姿があった。
「普段から外食をするのか?」
「まあ、そうですね。家に帰れることが少ないですし……。」
「……同じくだ。」
何の気なしに持ち出した話題で、仕事のことを思い出してしまい、少し気分が落ち込む。そりゃそうだろう。家に帰るより会社の休憩室で寝たほうが、絶対に楽だ。入社と同時に与えられた住居だが、休日以外ほぼ利用していない。住みよい家というのはわかるのだが、利用できないことには意味がない。ぜひ仕事を減らしてもらいたいものだが、ドライ社は慢性的な人手不足なので、それは叶わない。
「……見えましたよ、あれです。」
リオンに言われて、顔をそちらに向けた。木造のこぢんまりとした建物の上に、春花喫茶と言う看板がかけられていた。ガラス越しに見える店内では、そこまで人がいるわけではなさそうだった。
鈴の取り付けられた扉を開ける。入店とともに、コーヒーの香りが広がった。黒い制服を着た店員らしき人物が、私たちを二人席に案内した。その店員の腕には、春花組である証の腕章が巻かれていた。階級は蕾、最下級だった。
「……春花組だったな。」
「春花組でしたね。」
席につくやいなや、リオンと小声で確認し合う。座ったソファは柔らかなクッションが使用されており、とても座り心地が良かった。背もたれは硬い木だったので、もたれると背中が痛くなるが。
写真で見たように、店内はとても落ち着いていた。私たち以外には数人程度しか客は見えず、かと言って、閑古鳥が鳴いているというわけではなかった。レジ周辺に置かれている雑誌はどれも見たことがないもので、他企業出版のものも多くあった。ややオレンジがかった光が店内を照らし、窓際にいけられた白い花が、陽の光を浴びてそよいでいた。
メニューに手を伸ばす。革の表紙は指先に温かく、良く馴染んだ。私とリオンはメニュー表とにらめっこしながら、それぞれ注文を選び終えた。メニュー表を戻し、その下にあったボタンを押す。少しして、店員が伝票を持ち、やって来た。
「これと……これをお願いします。それと、コーヒーを二つ。片方はオリジナルブレンド、もう一つはアイスで。」
店員は紙の上でペンを軽快に走らせたあと、注文品を復唱した。私たちが頷くと、店員は厨房の奥へと歩いていった。しばしの間、私たちはこの空気を楽しんでいた。
「……良い日だな。とても。」
独り言のように零したその一言。
「そうですね……。こんな日は、なかなか。」
私はリオンの方に目線を向けた。とても穏やかな顔をしていた。疲れなど、まるでないかのように。私も気づけば、自然と口元が緩んでいた。
「……ん、来るぞ。」
視界の端で店員がこちらへ向かってくるのが見えたので、姿勢を正す。リオンも背筋を伸ばして座り直した。そして、机に置かれた料理を見て、私たちは唖然とした。
「……これは……詐欺じゃないか?」
明らかに、メニュー表にあった商品の写真と違いすぎる。
「……ヤバいですね……はい。」
私が頼んだ卵サンドの卵ははち切れんばかりにパンの間で挟まれ、何故か一切れ増量。リオンの頼んだカツカレーの上にはとんかつが二枚載っていた。そして、米が山のように積まれていた。
「……食い切れるか?」
「え、ええ……。多分。」
まだ、これぐらいならなんとか。そう思っていた私たちのもとに、特大パンケーキが運ばれてきた。
「こちら、ランチで二万園を超えたお客様へのサービスとなっております。」
たったの二万。文庫本三冊ぐらいの金を二人で超えただけで、この特大パンケーキ。この店は一体どうなっているのか。私はリオンに目配せをし、携帯に電話番号を入力した。
「……フェイロイ、聞こえているか。至急、集合してほしい。」
電話の向こうで、驚きの声が上がる。唾を飲み込む音が、彼の緊張を伝えていた。
「暴走者鎮圧課に伝えてくれ。……昼飯がまだの者は、春花喫茶に来てくれ、と。」
「……はい?」
数秒遅れて、拍子抜けした声が聞こえてきた。
「注文した品が多すぎる。二人では到底食い切れん。だから協力を頼む。」
携帯の電源を切り、私たちはとんでもないランチに目を向けた。いつの間にか運ばれてきていた珈琲が湯気を立てている。春花喫茶、恐るべし。そんな言葉を交わしながら、私たちは料理を食べ始めた。




