管理者マニュアルには、まだ余白がある④
夕方。
カイムの言った「いいこと」の時間だ。食べ物じゃないいいこと。何だろう。
端末が鳴った。
メッセージ。差出人は――氷室。深層対応専門部署の技術主任。
<灰嶋さんへ>
<D-07封印再構築工事の準備段階として、第七区画の下層アクセスに補助設備を設置します。来週、大鉄が伺います。>
<それと、一つお知らせがあります。D-07の封印再構築にあたり、上層区画の変位個体の協力が有効であるという研究結果が出ました。具体的には、ノクスさんの忘却能力による干渉信号の遮断が、封印の安定性を高める効果を持つことが確認されています。>
<つまり、ノクスさんの力を封印再構築に組み込むことで、D-07の漏洩リスクをさらに下げられる可能性があります。>
<この件について、ノクスさんご本人の協力意思を確認していただけますか。強制ではありません。>
ノクスの力が、D-07の封印に使える。
いたちごっこだと思っていた忘却の波が、封印の一部として機能するなら、D-07の【虚構の設計者】に対する根本的な対策になり得る。
しかも、それはノクスがここにいるからこそできることだ。分散移管で別の区画に移されていたら、D-07の近くにいないから効果が出ない。
第七区画の存在意義が、さらに一つ増える。
ノクスの部屋に行った。
「ノクス」
「……なに。チョコならさっき食べた」
「チョコの話じゃないです。仕事の話」
「めんどい」
「聞いてから判断してください」
氷室のメッセージの内容を伝えた。ノクスの忘却能力が、D-07の封印再構築に使えること。協力は任意であること。
ノクスはしばらく黙って聞いていた。毛布の中で丸くなったまま。
「……あたしの力で、下のやつを抑えられるの」
「抑えるというか、封印の一部になれるらしい」
「封印の一部」
「はい」
「……つまり、あたしがここにいる理由が増えるってこと?」
鋭い。ノクスは、話の本質をすぐに掴む。
「そうです。ノクスがここにいるからD-07を抑えられる。分散移管の反対理由がまた一つ増えます」
「……ふーん」
毛布が動いた。金色の瞳が覗いた。
「やる」
「いいんですか?」
「あたしの力が、あたしたちがここにいるために使えるなら、やる。めんどいけど」
「ありがとうございます」
「チョコ増やして」
「五個に増えました」
「…………は?」
毛布が、またバサリとはね除けられた。
「ご、五個!?」
「品質管理部の榊原さんからの提案で、人型制御維持の消耗品として月五個まで承認されました」
「さんこ、じゃなくて、ごこ」
「五個です」
「……ごこ」
数え方がまた赤ちゃんになった。
ノクスはしばらく「ごこ」を噛み締めるように繰り返し、それから毛布を被り直した。
「……やる。何でもやる。封印でも何でも」
チョコレート五個で世界の封印に参加する【忘却の魔王】。動機の純度が低すぎるが、結果が出るなら過程は問わない。




