午前九時、地下117階の管理棟に、地獄が出勤してきた⑦
ラグナを抽出室に連れて行き、椅子に座らせた。NT-3500を起動する。
117%……114%……111%……108%……。
今回は三分ではなく、五分かけた。ラグナの数値が108%まで下がったところで、装置を止める。安全圏には届かないが、危険域からは遠ざかった。
「ラグナ、あとでまた走ろう。今は休んでてくれ」
「うん」
ラグナの影を確認する。少女の形だ。紋様も消えている。第二形態の兆候は収まった。
メルトからテキスト。
<ノクス、113%。セラ、110%。上がり方が早くなってる。>
共鳴現象が加速している。深層からの圧力が、時間と共に強まっている。モグラ叩きのモグラが、だんだん速くなるやつだ。ゲームセンターの難易度が上がっていくのと同じだが、こっちのコインは命だ。
三巡目の続き。ノクスから。
抽出室に入ると、ノクスは既に椅子に座っていた。毛布を被ったまま。
「来ると思った」
「分かってたなら、座っててくれて助かります」
「……あたしの影、見た?」
「見ました」
「あたしの影、あたしの形じゃなかったでしょ」
「はい」
「怖かった?」
「怖かったです」
「……でも来た」
「来ました」
ノクスは毛布の中で何か小さく呟いた。聞き取れなかった。聞き返そうとしたが、装置を起動するほうが先だ。
113%……110%……107%。三分、6ポイント。
次、セラ。110%……107%……104%。三分、6ポイント。
「つかさ」
「はい」
「あたしの影、さっきからときどき裂け目の形になるの。自分でも見えてる。怖い……けど、大丈夫。つかさがいるから」
「いますよ。ずっと」
セラが小さく笑った。壁にはひびが入らなかった。笑顔の質が変わっている。安心の笑顔だ。空間を歪ませるのは興奮の笑顔で、安心の笑顔は歪みを生まない。
次、メルト。101%……99%……97%。安全圏。メルトは安定している。
メルトがノートを掲げた。
『カイム、さっきからずっと目を閉じてる。大丈夫?』
「確認する。――カイム!」
リビングのカイムに声をかける。
カイムが目を開けた。
瞳の色が違った。
普段の紫ではなく、右目が紫で、左目が銀色だった。
「「……あ、司くん。ごめん、ちょっと、時間が」」
声が二重に聞こえた。今のカイムの声と、三秒前のカイムの声が重なっている。
「カイム、大丈夫か」
「「大丈夫……っていうのは、たぶん嘘。今、わたし、ちょっとだけ二人いる」」
「二人?」
「「今のわたしと、五分後のわたし。五分後のわたしが、今のわたしの中に入ってきてる。二つの時間が重なってるの」」
人型制御の綻び。カイムの能力は時間に関わるものだ。制御が揺らげば、時間の境界が曖昧になる。
「抽出する。座ってくれ」
「「うん。でも、五分後のわたしが言ってるの。『抽出の途中で、装置がおかしくなる』って」」
「おかしくなる?」
「「分からない。五分後のわたしは、もうそれが起きた後だから。でも、装置は壊れない。たぶん。壊れてたら五分後のわたしが泣いてるはずだけど、泣いてないから」」
五分後の自分が泣いてないからたぶん大丈夫、という推論。カイム独自の安全確認法だ。正直、根拠としてはかなり不安だが、他に判断材料がない。
カイムを椅子に座らせ、装置を起動する。
108%……106%……104%――
装置がガタッと揺れた。
画面にエラーが表示される。
<NT-3500 エラー:時間軸同期異常>
<抽出対象のエネルギーに時間的揺らぎを検知>
<再校正中……>
カイムのエネルギーが「時間的に揺らいでいる」ため、装置が正確に抽出できていない。今のエネルギーと三秒前のエネルギーが混在している。
五秒後、再校正完了。抽出再開。
104%……102%……100%。ぎりぎり安全圏上限。
「カイム、大丈夫?」
「うん。五分後のわたしが消えた。今は一人」
瞳の色を確認する。両目とも紫。戻っている。
「司くん」
「はい」
「あと四十分くらいだよ」
「応援?」
「うん。あと四十分で、誰かが来る。それまで持たせて」
四十分。
戸波さんは二時間と言っていた。既に一時間二十分が経過している。残り四十分。
四十分間、五人のエネルギーを危険域に入れさせなければ、助けが来る。
「持たせます」
「知ってる。持たせられるよ、司くんなら」
予言ではなく、信頼の声だった。




