午前九時、地下117階の管理棟に、地獄が出勤してきた④
まずラグナ。
運動スペースに移動する。廊下の床が微妙に柔らかい。深層からの圧力で、建物全体が歪んでいる。コンクリートが粘土みたいになっている箇所がある。
通路に到着。予備の抽出装置の回収モードを起動する。NT-3500、起動に20秒。現行機なら5秒だ。15秒の差が、今は果てしなく長い。
<NT-3500 回収モード起動中……起動完了>
よし。
「ラグナ、走れ。六割でいい。三分間だけ」
「三分? 短いよ」
「今日は回転率で勝負するんだ。短く走って、すぐ次の人に替わる」
「わかった!」
ラグナが走り出した。通路の床がひび割れる。いつものことだ。いつものことが、今はありがたい。日常の破壊は、暴走の破壊よりずっとましだ。
エネルギー値を見る。118%……115%……112%……。
下がっている。しかし遅い。NT-3500の回収効率が悪い。現行機なら三分で20ポイントは下がるのに、これでは6ポイントがやっとだ。
三分経過。
「ラグナ、ストップ!」
「えー! もうちょっと!」
「次の人がいるから! あとで続きを走ろう!」
「やくそく?」
「約束だ!」
ラグナのエネルギー値:112%。118%からの6ポイント減。焼け石に水に近いが、ゼロよりましだ。
急いで抽出室に戻る。
ノクスを呼ぶ。ノクスは毛布を引きずりながらやってきた。非常時に毛布を持ってくるな。
「ノクス、三分間お願いします」
「みじかっ」
「全員回すので」
「……チョコもないのに」
「来月の三個を先行で一個渡します」
「二個」
「一個半」
「……まあいい」
深層からの大規模漏洩の最中にチョコの交渉をしている。この光景を上層部が見たら何と言うだろう。たぶん何も言わない。言う人員がいないから。
ノクスを椅子に座らせ、装置を起動する。
112%……109%……107%……。
三分で5ポイント。遅い。だが、下がってはいる。
「はい、終わり。ノクス、戻ってて」
「……ん」
ノクスが毛布を引きずって去っていく。その影が一瞬、人間の形ではないものに見えた。影の輪郭が揺らぎ、大きく広がり、何か巨大な――。
目を逸らさなかった。見た。見たが、今は関係ない。影がどんな形をしていようと、チョコを一個半渡す約束は変わらない。
次、セラ。
「セラ、来て」
セラが抽出室に入ってきた。廊下を歩くだけで、壁のタイルが三枚ずれた。歩くコストが高い女だ。
「つかさ、あたし今、あんまり安定してない」
「分かってます。だから短時間で。座って、深呼吸して、三分間じっとしてるだけでいい」
「つまらない話は?」
「今日はなしです。静かにしてて」
「えー」
つまらない話がないことに不満を言うセラ。平常心の維持は大事だが、今はタイムアタック中だ。
装置起動。109%……106%……104%。三分、5ポイント減。
「はい、おつかれ」
「早い!」
「次、メルト!」
メルトがテーブルの下から出てきて、抽出室に向かった。彼女が歩いた跡の空気が白く霜を帯びている。体温の低さが尋常じゃない。
椅子に座らせる。装置起動。105%……103%……101%。三分、4ポイント減。メルトの蓄積速度が遅いため、これで十分だ。
「メルト、ありがとう」
メルトがノートを掲げた。
『四人目は?』
「カイムはモニタリング中。最後に回す」
『了解。わたしも見張り手伝おうか?』
「お願いします。ラグナのエネルギー値を見ていてくれ」
メルトが頷いた。端末を持って、リビングに戻っていく。声の代わりに端末のテキスト入力で連絡を取る手はずだ。
一巡完了。所要時間、18分。
全員の現在値を確認する。
<ノクス:107%→上昇中(抽出後12分経過、現在110%)>
<セラ:104%→上昇中(抽出後9分経過、現在107%)>
<メルト:101%→上昇中(抽出後6分経過、現在103%)>
<ラグナ:112%→上昇中(抽出後18分経過、現在119%)>
<カイム:103%→上昇中(未抽出、現在108%)>
下げた端から上がっている。
モグラ叩きだ。一匹叩いている間に、残りの四匹が頭を出す。しかもハンマーがゴム製(NT-3500)なので、叩いても半分しかへこまない。
ラグナがまた119%。18分で7ポイント上がった。共鳴現象が前回の臨界点時より強い。
もう一巡。




