午前九時、地下117階の管理棟に、地獄が出勤してきた②
隔壁扉の認証パネルが死んでいた。
非常電源は照明を回復させたが、セキュリティ系統は後回しらしい。命より照明を優先するあたりがネビュラスの設計思想だ。
手動解除レバーを引く。重い。防護スーツの上から全体重をかけて、ようやくレバーが動いた。扉がゆっくりとスライドする。
収容エリアのリビングスペースに入った瞬間、異常が分かった。
温度が違う。廊下より五度は高い。空気が重い。湿気ではなく、圧力。身体の表面を押し付けてくるような、物理的な重さ。
そして――影が多い。
非常灯の薄緑色の光が作る影が、壁に、床に、天井に、何重にも重なっている。一つの照明から一つの影しか出ないはずなのに、影が増殖している。形も一定しない。人の影、獣の影、結晶のような影、裂け目のような影。
全部、彼女たちの影だ。
人型制御の綻び。深層からのエネルギー漏洩が、制御を揺らがせている。影という最も薄い境界から、本来の姿が滲み出し始めている。
リビングスペースの中央に、五人が集まっていた。
ノクスが毛布を被ったままソファに座っている。金色の瞳が全開だ。起きている。しかし、その顔にいつもの気だるさはない。怯えている。
セラが壁際に立っている。両腕を自分の身体に巻きつけるように抱えている。壁が彼女の周囲だけ歪んでいた。波打つように、壁面がうねっている。
メルトがテーブルの下に潜っている。ノートを胸に抱きしめて。その周囲の空気が白く霧のようになっていた。音が凍っているのではない。空気が凍っているのだ。メルトの能力が漏れている。
ラグナはソファの端で膝を抱えている。小さな身体が小刻みに震えていた。震えるたびに、ソファの脚が床にめり込んでいく。
カイムだけが、リビングの真ん中に立っていた。目を閉じ、両手を軽く広げて。何かに集中している。
「カイム」
カイムが目を開けた。
「司くん。来てくれた」
「状況を教えてくれ」
「停電と同時に、下からすごい圧力が来た。前の重力異常の十倍くらい。みんなの制御が一斉に揺らいでる」
「カイムは?」
「わたしは……大丈夫。今のところは。でも、時間がちょっとぶれてる。三秒後の司くんと今の司くんが同時に見えてて、ちょっとややこしい」
三秒のずれ。まだ制御範囲内か。
「エネルギー値は」
端末を確認する。
<ノクス:112%(蓄積域・上昇中)>
<セラ:109%(蓄積域・上昇中)>
<メルト:105%(蓄積域・上昇中)>
<ラグナ:118%(警戒域接近・急上昇中)>
<カイム:103%(蓄積域・微上昇中)>
全員上がっている。特にラグナが速い。臨界点の前と同じパターンだ。深層からの共鳴で、エネルギー蓄積が加速している。
ただし前回と違う点が二つある。
一つ目。今回は五人全員のエネルギーが上がっている。前回はラグナだけだった。
二つ目。抽出装置が予備機のNT-3500。40年物の骨董品。現行機より18%効率が悪い。
最悪の条件が揃っていた。
「二時間だ」
「え?」
「応援が来るまで二時間。それまで、ここを持たせる」




