平穏は前借り。利息は割増で請求される④
夕方。事務室で日報を書いていると、端末が振動した。
メッセージではない。アラート。
<異常検知:第七区画 時間遅延現象>
<区画内の一部範囲で、時間の進行速度に微小な遅延が発生しています。>
<推定発生源:下層>
時間遅延。
壁の時計を見る。動いている。手元の端末の時刻表示も動いている。
しかし、事務室の外、廊下の照明が、いつもより少しだけ点滅の間隔が遅い気がした。
隔壁扉の通気口から漏れる空調の音が、わずかに間延びしている気がした。
錯覚かもしれない。微小な遅延と書いてある。気のせいで済む程度の。
しかし、深層からの干渉が、また始まっている。
収容エリアに向かった。
リビングスペースに、カイムが一人で座っていた。ソファの真ん中。膝の上で両手を組み、目を閉じている。
「カイム」
返事がない。
「カイム?」
ゆっくりと、目を開けた。
紫がかった瞳が俺を見た。
しかし、焦点が合っていなかった。普段の「明日と今日を同時に見ている」目ではなく、もっと多くの時間を見ている目。三日前と一週間後と一年後と、すべてが重なっているような。
「……司くん」
声がいつもより遅く聞こえた。録音テープを少し遅く再生しているような、伸びた声。
「カイム、大丈夫ですか」
カイムが瞬きをした。瞬きが、普段の二倍くらいゆっくりだった。
「……あ、ごめん。ちょっと、今、ぼんやりしてた」
声が普通に戻った。瞬きの速度も戻った。
「時間がね、また重なり始めてる。さっきから、一秒前と二秒後が混ざってて、自分が何秒の地点にいるか分からなかった」
カイムは膝の上の手を見つめた。
「司くんが事務室で日報書いてる時間と、ここでわたしと話してる時間が、同時に存在してた。だから、司くんが入ってきた時、もう話し終わったと思って返事しなかったの」
カイムの人型制御が、揺らいでいる。
「カイム、ノクスやセラには会いましたか」
「……ううん。みんな、自分の部屋にいるよ。ノクスは寝てる。セラはぼーっとしてる。メルトは本を読んでる。ラグナは……走ってる、たぶん」
「ラグナが走ってる?」
「自分の部屋の中で、その場でぐるぐる」
部屋の中でぐるぐる。落ち着きがないというより、エネルギーが落ち着かないのだろう。
「カイム、ひとつ訊いていい?」
「うん」
「今、深層から何が来ていますか」
カイムは少し考えてから、言った。
「先週よりは、弱い。でも、性質が違うの」
「違う?」
「先週は『漏れてた』感じ。今度は、『試してる』感じ」
「試してる?」
「うん。何かが、上の階に向けて、自分の力を試してる。どこまで届くか、何が反応するか、確かめてる」
D-07の何かが、こちらの状況を探っている。
「あれが本気を出したら、どうなりますか」
カイムは答えなかった。
答えなかった、というより、答えようとして、止まった。
「……分からない。本気を出した未来が、わたしには見えない」
カイムが見えない未来。それが何を意味するか。
「司くん」
「はい」
「来週、たぶん、また何かある」




