知らなかったのは俺だけで、知らされていなかったのも俺だけだった①
翌朝。四月二十八日。金曜日。
カイムが言っていた「来週の金曜にいいことがある」の日だ。カレーは月曜に来たので、金曜のいいことは別にあるらしい。
しかし今の俺には、いいことより先に確かめたいことがある。
朝の巡回を手早く済ませた。全員安全圏。ラグナの影は普通の少女の形をしていた。ノクスの瞳は金色。メルトの文字にひび割れはなし。昨日の兆候は出ていない。
巡回後、戸波さんを会議室に呼び出した。
「戸波さん、訊きたいことがあります」
「なんですか」
「【人型制御】について教えてください」
戸波さんの手が止まった。ほうじ茶を注いでいた手が、湯呑みの上で静止している。
「……どこでその言葉を」
「端末で検索しました。一般閲覧用の概要だけ出てきました。変位個体の外見と能力を制限する基礎制御システム、と」
「ええ。そこまでは一般情報ですね」
「それ以上は閲覧権限レベル3が必要だそうです。俺の権限は?」
「レベル1です。一般管理者はレベル1」
「戸波さんは?」
「レベル2」
「じゃあ、戸波さんも詳細は読めない?」
「読めませんね。ただ」
戸波さんはほうじ茶を湯呑みに注ぎ終え、一口飲んだ。
「20年やっていると、文書に書かれていないことも少しは分かります。何が知りたいですか」
「彼女たちの今の姿は、本当の姿じゃないんですか」
戸波さんは湯呑みをテーブルに置いた。微笑みが消えている。この人の真剣な顔を見るのは、これで三回目だ。
「灰嶋くん、どうしてそう思ったんですか」
「昨日、三つおかしいものを見ました」
ラグナの影。ノクスの瞳。メルトの文字。それぞれ話した。
戸波さんは黙って聞いていた。聞き終えてから、ゆっくりと言った。
「……見えましたか」
見えた、ではなく、見えましたか。つまり「見えることがある」という前提で話している。
「前任者たちも見えたんですか」
「佐久間さんは見えていました。赴任して三週間目くらいから。それ以前の管理者についてはよく知りませんが、おそらく見えた人はいたでしょう」
「見えた人はどうなりましたか」
「怖がって辞める人が多かった。辞められなかった人は……まあ」
「欠勤届のやつですね」
「ですね」
欠勤事由:死亡。しかし死因は臨界点ではなく、真の姿を垣間見たことによる精神的動揺が遠因になったケースもあるのだろう。正常な判断ができなくなり、業務中の事故に繋がる。
「戸波さん」
「はい」
「教えてください。知っている範囲で。彼女たちの今の姿が何なのか。あの分類名が何を意味しているのか」
戸波さんはしばらく黙っていた。湯呑みのほうじ茶が、かすかに湯気を上げている。
「灰嶋くん、これから話すことは、公式文書のどこにも書かれていないことです。僕が20年かけて断片的に知ったこと、推測したこと、先輩から聞いたことを繋ぎ合わせたものです。正確さは保証しません」
「構いません」
「それと、聞いた後に怖くなっても、退職届は受理されませんよ。臨界点あと二回」
「分かってます」
戸波さんは、話し始めた。




