平穏な日々は、だいたい次の災害の前振りである⑤
夕方。カイムが事務室に来た。
珍しい。カイムは普段、自分の部屋から出てくることが少ない。巡回の時に話す程度だ。
「司くん、ちょっといい?」
「どうぞ」
カイムは向かいの椅子に座り、窓のない壁をぼんやりと見つめた。
「あのね、最近、夢を見るの」
「夢?」
「うん。わたし、普段は夢を見ないんだ。過去と未来の境界にいるから、眠ってる間も時間の隙間を漂ってるだけで。でも、最近は夢を見る」
「どんな夢ですか」
「暗い場所。すごく深くて、すごく冷たい場所。何かがいるんだけど、見えない。声だけが聞こえる」
「声?」
「うん。何て言ってるかは分からない。でも、呼んでるみたいな感じがする。わたしたちを」
深層。
「それは、臨界点の前に感じたのと同じものですか」
「似てるけど、違う。臨界点の時は、下から押されてる感じだった。今は、引っ張られてる感じ」
押すから引くに変わった。共鳴現象の性質が変化している。
「戸波さんに報告したほうがいいですね」
「うん。でも、もうひとつ言いたいことがあって」
カイムの目が、俺に戻ってきた。焦点が合っている。
「わたしね、ここが好きだよ」
真剣な話だと分かったから、俺はカイムの言葉を待った。
「この区画。ノクスも、セラも、メルトも、ラグナも。それと、司くんも。ここにいるのが、好き」
「……ありがとうございます」
「だから、壊されたくないの。下から来るものに」
カイムの声が、少しだけ震えた。
「壊させません」
「根拠は?」
「ないです。でも、前回もなかった。なかったけど、なんとかなった」
カイムは少し黙ってから、笑った。
「……司くんって、根拠がないのに言い切るよね」
「ノクスにも言われました」
「だろうね。でも、不思議と安心するんだよね、それ」
カイムは立ち上がり、ドアに向かった。
「あ、そうだ。ひとつ予言」
「なんですか」
「来週の金曜日、いいことがあるよ」
「いいこと?」
「うん。何かは言わない。楽しみにしてて」
カイムは手を振って出ていった。
来週の金曜日。いいこと。
カイムの予言がカレーの有無レベルの精度なのか、非常階段崩壊レベルの精度なのかは分からないが、「いいこと」の予言は初めてだ。
少しだけ、楽しみにしておこう。




