平穏な日々は、だいたい次の災害の前振りである①
臨界点から一週間が経った。
平和だった。
恐ろしいほど平和だった。
ラグナのエネルギー蓄積速度は通常値に戻り、毎日の抽出で安全圏を維持できている。ノクスは相変わらず寝ているし、セラは相変わらず笑うと空間が歪むし、メルトは相変わらずノートで喋るし、カイムは相変わらず時間軸の不明な発言をする。
日常だ。
ただ、日常が続くと、別の問題が浮上してくる。
「灰嶋くん」
戸波さんが事務室に来た。手にはタブレット端末。画面には表計算ソフトが開かれている。
「月次報告の季節です」
「月次報告?」
「ええ。第七区画の運営状況を上層部に提出する義務があります。抽出量、エネルギー供給量、経費、修繕費、消耗品、人件費――」
「人件費って、俺一人ですけど」
「一人でも人件費は人件費です。あと、変位個体の配給品コストも計上しないといけません」
戸波さんがタブレットを机に置いた。画面をスクロールすると、膨大な項目が並んでいる。
抽出装置の稼働時間。個体別のエネルギー回収量。通路の修繕費。照明の交換費用。メルトのノート代。ノクスのチョコレート代。ラグナの運動スペース改修費。セラの空間歪曲による構造物被害の査定。
「これ、全部俺が書くんですか」
「はい」
「前任者はどうしてたんですか」
「佐久間さんは毎月泣きながら書いてましたよ」
泣く要素があるのか、月次報告に。
「ちなみに、先月の修繕費を概算したんですが」
戸波さんがタブレットを操作した。数字が表示される。
「第七区画の先月の修繕費総額。142万ポイント」
「管理者の月給が800ポイントなんですけど」
「ですね」
「修繕費が月給の1775倍なんですけど」
「ですね」
「俺が1775ヶ月働いても修繕費を賄えないんですけど」
「148年ですね。頑張ってください」
頑張る方向が違うだろそれ。
「ちなみに、修繕費の内訳はこうなってます」
<ラグナ関連:98万ポイント(運動スペース大破、通路損壊、照明交換×47、壁面凹み修復×8)>
<セラ関連:31万ポイント(空間歪曲による構造物ひび割れ×23件、ドアフレーム交換×3、時計ずれ修正×1)>
<メルト関連:2万ポイント(凍結による配管破損×1、ブザー交換×1)>
<ノクス関連:0ポイント>
<カイム関連:0ポイント>
<その他:11万ポイント(臨界点対応に伴う隣接区画通路の損壊)>
ラグナが修繕費の七割を占めている。
そしてノクスとカイムが0ポイント。ノクスは記憶を消すだけで物を壊さないし、カイムは未来を見るだけで施設に影響を与えない。物理的な破壊が伴わない能力は、経理的には優良個体ということになる。
「ノクスが0ポイントなのは意外でした」
「ノクスさんは、不機嫌でも物は壊しませんからね。人の記憶を消すだけで。記憶には修繕費がかかりません」
記憶には修繕費がかからない。名言なのか暴言なのか分からない。
「時計のずれ修正が1件あるんですけど、これ修繕費に入るんですか」
「セラさんが空間を歪めて時計がずれたので、はい」
「時計を手で戻すだけじゃだめなんですか」
「空間歪曲で時計の内部機構が狂ってるんです。手で戻しても、五分後にはまたずれます。時計ごと交換です」
時計ごと交換。セラの笑顔のコストが、時計一個。
「あ、あと」
「まだあるんですか」
「チョコレートの経費申請も必要です。ノクスさんへの配給品チョコは、当初月二個の予算でしたが、灰嶋くんが半分に割って追加で渡した件は、配給品の規定外使用にあたります」
「半分に割ったのが規定外使用?」
「一個を二回に分けて渡すのと、半個を一回渡すのでは、経理上の処理が異なります」
「どう異なるんですか」
「半個の場合、『配給品の部分的使用』に関する追加フォームが必要です。4ページです」
チョコレートを半分に割っただけで4ページの書類。
この組織の官僚機構は、太陽を再構築するより複雑かもしれない。




