95 - 彼らの慈悲の本質のこと
ルナイ国の確認を終えて、僕はルナイにも勇者が産まれないだろうと結論付けた。
つまり、次に彼が現れるのはアギノだ。
それにはいくつか根拠がある。
ともあれ、その根拠の元へと僕は移動し、周囲に仕掛けられていた魔法を無効化しておく。
そこに安置されていたのは、間違いなく『まざりのつるぎ』、『反器』だった。
奪取するのは簡単だし、処理は……うーん。
それこそ地中深くとか、空の最果てとかに飛ばしても良いけど、たぶんこれ、『勇者』の元に戻ってくる仕組みもついてるだろうしな、意味が無い。
ここは、旧アギノ大神殿。
かつて存在した大神殿の一つで、その跡地には簡易の結界が敷かれていることもあってか、特に荒らされている様子も無い。
生活感は全く無いので、廃墟になっている事は否定しないが。
『勇者』はこの周囲に現れるだろう。時期は一年から二年の間。僕達で干渉すれば『早める』ことは可能だ。
それを利用して、『勇者』を顕現させたうえで終わらせる。それが僕たちのプランである。
もっとも、それをするためには『反器』を先にどうにかしている必要がある。
だからこそ、僕はこの杖を改めて調達したわけだ。
世界の内側と外側を繋ぐ、この杖を。
僕は『まざりのつるぎ』を強奪し、そのままケセド古殿へ。
事情は予めヴィショナリアから伝えている事もあって、特に問題なく、ケセド古殿にある池、『命源』を利用できた。
『イレカワリ』を作るこの泉は、いわば世界の外側と内側を繋ぐことができる場所なのだ。
もちろん、普段は閉じていて、その行き来は不可能だけど、この『透杖歴鍵』はそれを可能にする。
ようするに、『まざりのつるぎ』を世界の外に送り出し、世界の外側で破壊する。それが僕達の『反器』への対策だった。
世界の内側でも壊せない事は無いのだけど、その場合は世界も壊れかねないからね。
「しかし驚いたな。本当に存在したんだ、『王』って」
世界の外側に送り終え、感謝を述べると、あの日と同じ姿のままのケセドがそう言った。
「俺たち『十』の中でも、『王』は存在するのかどうか、いまいち曖昧だったしな。なんか性質の悪い冗談みたいだぜ」
「それを言うなら、『反器』とかを作りだした『勇者』のほうだと僕は思うけどね……」
「ははは、ちがいねえや」
ケセドは笑って同意し、しかし目を細めて僕に問いただした。
「それで、『勇者』は殺すのか」
「うん。……『反器』を作ってしまった以上は、ね」
「そっか」
その表情には、感心しない、そんな感じの色が浮かんでいる。
『慈悲』を司るところのケセドとしては、複雑なのだろう。
慈悲の心を持って、勇者は救いたい。
けれど、慈悲の心は平等であり、ならば勇者以外も救いたい。
勇者一人とそれ以外。
その天秤は当然、『勇者以外』に傾くとは言えど、天秤にかけているその時点で、やはり彼は優しいのだろう。
「安心しなよ、ケセド。殺すと言っても、消滅させるわけじゃないんだから」
「……それについてなんだけどね。『王』」
あれ?
「もし『王』が、『勇者』を何らかの形で残そうとするなら……それは、感心しない。何百年、何千年、何万年、下手をすれば何億年という規模かもしれないし、逆にとんでもなく短いかもしれないけれど、それが残っている限り、『勇者』が残っている限り、その脅威は常に残るんだ。それは、いい事とは言えないと俺は思う」
「……『慈悲』を司る『十』たる君が、『勇者』を完全に消滅させろ、って?」
「うん。『慈悲』を司るからこそ……かな。ねえ、『王』。世界の意思そのものである君には、人間の気持ちがいまいち理解しきれていないんだと思う。だから、無理も無いんだろうけどね……。でも君がもし『勇者』に慈悲をもって、その『勇者』を終わらせて、代わりの何かとして召し上げるなりしようとしているならば、それはやっぱり駄目なんだよ。『勇者』にとっても『勇者以外』にとっても、それは慈悲とは程遠い」
勇者にとっても、勇者以外にとっても……程遠い?
いまいち理解できず、僕はきょとんと聞いている。
それをみてケセドはため息をつき、更に一歩踏み込んで説明をしてくれた。
「『勇者』が何らかの形で残っている限り、『勇者以外』は『反器』に怯えることになる。そして『勇者』にしても、いずれ何かの紛れで、『また戻れるかもしれない』と、そんな幻想を抱くだろう」
「……いやでも。世界の決断は一方通行、覆ることは無いよ?」
「それは世界の言い分であって、『王』たる君の言い分だ。世界はたしかにそれで終始一貫できるんだろうけど、世界ではない、世界の子供たちでもある者たちはね、それを『絶対だ』とは信じきれないんだよ。特に人間とかはね。『勇者』も元は、世界に愛されただけの『人間』だ。だから『人間』は、世界の意思が一方通行だと言う事を知っても、それが絶対不変だとは思わない。ずっとずっと、心変わりをすることを待ってしまう。ありもしない希望に縋って、おこりもしない可能性をもとめて、ただただ無為に時を過ごす。それはとても残酷なことだ。そして勇者が健在である限り、『十』もそれ以外も、『反器』への対抗策を考え続けなければならない……『勇者』が再び『勇者』にならないとは、誰も言いきれないからね」
「世界が言いきる、と言っても?」
「世界から産み出された、世界によって産み出された者たちは、世界そのものじゃないんだよ」
奇しくも。
その言葉は、僕がヴィショナリアに語った言葉と同じような物で。
「世界にとっては自分自身のことだから、絶対の確信を持てても、それ以外にとってはそうじゃない。どこかで少し、疑わなければならない。だからね。『勇者』という存在を終わらせるならば、完膚なきまでに、消滅させるべきなんだ。それが『勇者』にとっても、『勇者以外』にとっても、最も『慈悲』ある行動だと、俺はそう思うよ。……まあ、俺みたいな新参者の『十』の言葉じゃ、説得力はねーだろうけどな」
「そんなことはないよ、ケセド。君は……、君は、僕にとっても因縁深い存在だからね」
そうでなくとも、既に彼は『十』でしかない。
人間であった時の記憶の全てを失い、人間としての痕跡の全てを失っている。
だから彼は、最初に『世界』が作った『十』と同じだ。
きっと彼がケビンとシーグが共作した『イキカエリ』では無かったとしても、前任者だったとしても、同じ事を言ったのだろう。
「ま、他の『十』も、大概似たような事を言うと思うぜ。その上で『王』は、『王』として決断すればいい。俺達は何であれ『王』に従うよ。それが存在意義だしな」
笑って言うケセドに、僕は言葉を詰まらせた。
他の『十』……か。
「ところで、『王』。話は変わるんだけど、結局、『王』って名前ねーの?」
「え? なんで?」
「いや、だって『王』って、要するに『十』みたいな、存在としての枠組みの方の名前だろ。『世界』と同じで、そもそも一人しかそれがなかった時代は『王』が即ち名前でいいけど、今はあのヴィショナリアって奴も『王』の代替とはいえ、『王』をやってるんだ。『王』にも名前があったほうが良いなとおもってさ」
「そう言う事か。一応あるよ、名前」
「へえ。教えてよ。折角だし」
「ダアト」
隠す事でも無い。
僕は素直に、その名を答えると、ダアト、とケセドは繰り返す。
しっくりきたのかどうなのか、それは判断できなかったけれど、彼は笑って。
「俺達は『王』の、ダアトの意識に従うよ。だから、ダアト。時間一杯まで、考えてくれ。世界の意思の体現者として……『勇者』をどうするべきか、ね。もし他の『十』の力が必要なら、言ってくれれば俺も助力するよ。もっとも、仮初とはいえそんな肉体がある以上、ケテルやマルクトとも接触は簡単だろうけどな」
「うん。その時は頼むよ。ありがとう、ケセド」
考える……か。
『勇者』を終わらせる。その事は規定事項だ。
それをどう終わらせるか。そこを、考えなければならない。
当初の予定通り、永遠を与えるか。
それとも……。
世界は『勇者』を愛している。
世界は『勇者以外』も愛している。
だから世界は『勇者』を永遠にして、『勇者以外』を護ろうとした。
けれど、それは残酷だと慈悲は言う。
『勇者』も『勇者以外』もが、それに恐れると慈悲は言う。
三日三晩考えながら歩き続けて。
僕は海岸沿いに、更に歩く。
この身体は眠りを必要としない。
この身体は食事を必要としない。
あくまで人間を模した人形だ。
血は流れていて、心臓もある。脳もあるし、構造的には全ては人間と同じだ。
だけれど、所詮は器に過ぎない。世界が作った、仮初の身体。
だからこの身体が壊れても、世界の意思たるダアトには、何ひとつとして影響は無い。
逆に言うならば……。
ラス・ペル・ダナン、オルト・ウォッカ、ノア・ロンド、オース・エリ、シア・クルーという五つの生を経ても、僕は人間を理解できていないのだろう。
僕は理解したつもりでも、それは表面的なものだけで、上っ面のそれだけで、本質的なところはやはり、人間では無いのだ。
僕よりよっぽどクレイヤーのほうが、人間についてを知っているかもしれなかった。
だから僕には解らない。
だから世界には解らない。
彼らが何故、『勇者』の永遠を恐れるのか、それを完全には理解できない。
それでも、事実としてケセドは、それを恐れた。
ヴィショナリアも、どこかで恐れているみたいだし……それでも、ヴィショナリアが僕にさほど強く言わないのは、彼が人間としての記憶を強く持っているからだ。
ヴィショナリアは人間だったことを、はっきりと覚えている。だからこそ、『王』という立場にあれるという事がおかしいのだと、彼は思っている。
だから彼は、自信を持てない。
自信を持てないから、僕に否と言えない。
ただ……きっと、彼は『勇者』を消したほうがいいと、思っているのだろう。
「知識と意識を司る、『十』を挟みし二本の未知、隔して隠さる一柱。『天』から離れた天の『主』意。即ち『主』から『点』を剥がした『王』……ね。概念としての知識があっても、世界としての意識があっても、判断できるかどうかは別問題ってことか」
時間一杯まで考えてくれ、ケセドは僕にそう言った。
時間一杯を使ったところで。
僕に、その決断は出来るのだろうか。
世界として愛したはずの、寵愛を与え続けていたはずの『勇者』を、完膚なきまでに消滅させるという、その決断が。




