7 帰路
人気のない夜の嵐山駅。
車窓から見える「嵐山」と書かれた看板が、徐々にスピードを上げて遠ざかっていく。
帰宅ラッシュを乗り越えた車内は伽藍堂だった。異様に静まり返った車内に、車掌さんの疲労が伺える無機質な車内放送だけが鳴り響いている。
そんな中で俺達は、座席に少し間を空けて並んで腰掛けていた。
「そういや、お前ん家ってどの辺?」
少ししてから、太秦さんが沈黙を破った。
口を動かす度に、赤い舌の中央にある銀色のピアスが見え隠れしている。見ているだけでも痛そうで、その上威圧感があってちょっと怖い。
「金閣寺のすぐ側です」
「へえー、そうなんだ。俺の事務所は知恩院の辺りなんだよね」
俺は頭の中に京都府内の地図を思い浮かべる。西の果ての方に嵐山があり、知恩院はその対極の東の端の方にある筈だ。
「知恩院か……。
じゃあ、嵐山からは結構かかりますよね」
「そうねー、大体一時間くらい」
「ソラの家は?」
「私の家は伏見稲荷大社の神主の家系で、その近くに家があるの。でも、太秦さんの事務所に荷物を置いてきちゃったから、とりあえず事務所に戻ってから、家の者に迎えに来て貰おうと思って」
それを聞いて、俺は目を丸くした。
「伏見稲荷の神主の家の娘さんって……ソラってとんでもないお嬢様だったんだ……」
伏見稲荷大社といえば、千本鳥居で有名な全国に星の数程存在する稲荷神社の総本山だ。
彼女の家庭が裕福だということは、フィロソフィアの制服から何となく予想していた。しかし、目の前にいる美少女が想像以上に雲の上の存在だと知って、彼女はどこまでも兼ね備えている人間なのだと圧倒された。
「宗坂高校っつったら、龍安寺のとこだよな。学校までは自転車?」
太秦さんに問われ、俺は頷いた。
「宗坂高校の自転車通学の人達、毎朝凄いわよね」
ソラはクスクスと笑っている。
「笑い事じゃないよ……。通学路は大渋滞になるわ、駐輪場は大荒れになるわ、もうめちゃくちゃ大変なんだから……。無許可でチャリ通して校庭に停めた結果、先生達に自転車捨てられかけた同級生も居たくらいだし……。」
「そういえば昔、冬に雪が積もった日にソリに乗って通学してる宗坂高校の人が居て、うちの学校で噂になってたっけ」
「……もしかしてそのソリ、赤いマフラーの坊主が乗ってなかった?」
「そうそう!赤いマフラーの坊主頭の男の子が乗ったプラスチックのソリを、二人がかりで引っ張ってたの!途中でソリが割れちゃって、結局歩いて登校していたけれど」
「ああ……それ、うちのクラスの連中だと思う。雪が積もった日はチャリが使えなくなるから、変な乗り物で登校する奴が増えるんだよ。
他にも、ダンボール製のスノーボードとか、本物のスキー板とかで登校した奴も居たらしいよ」
「本当にユニークな学校ね……」
「傍迷惑の間違いだよ……」
我が校ながら恥ずかしくなってきた。
「そういえば、お二人はどうして嵐山に?」
いくら歩き回っても人っ子一人居なかった嵐山に、どうして太秦さん達がいきなり現れたのか、密かに気になっていたのだ。
「私達は別件で宗坂高校にお邪魔してたんだけど、隻が鏡の中に吸い込まれていく所を見かけた太秦さんが、慌てて鏡に飛び込んでいったの。でも、二人して隻の居る場所とは全く関係ない場所に飛ばされちゃって、山の中を探し回っていたら、隻とカルラが一緒に居る所を見つけたのよ」
「本当に?それじゃ、俺、仕事の邪魔しちゃったんじゃ……」
すると、太秦さんが剣だこまみれの硬い大きな掌で、俺の髪の毛をわしゃわしゃと掻き乱した。
「そもそも人命が絡んだような大した仕事じゃなかったし、依頼人には上手いこと誤魔化しとくから、別にお前が気負う必要ねえよ。
つか、たった二、三個の人魂が出たくらいで、あの理事長のジジイが騒ぎすぎなんだよ。あんなもん祓うまでもねーよ。よく見りゃそこら中に居るじゃねーか。カメムシみてえなもんだっつーの」
「太秦さん、例えが汚いです」
ソラの冷静なツッコミが飛ぶ。
「いや、カメムシは臭えだけで、別に汚くねーだろ。
それとも何だ?ゲジゲジの方が良かったか?それかゴキブリか?」
「いや、どんどん悪化してますって……」
俺は例の茶色い脂ぎった羽と棘のような六本脚を想像してしまい、全身に鳥肌が立った。
「ったく、今どきの子供は虫捕りもした事ねえのか?もやしっ子共め」
「虫捕りでゴキブリ捕まえてくる馬鹿がどこに居るんですか!というか、もう虫の話は良いですって!」
俺は耐えられなくなって柄にもなく大声を出した。
「悪かったって。
まあ、人助けは陰陽師の本質みてえなもんだからよ。目の前で人が変な鏡に飲み込まれてったら、誰だって駆けつけるに決まってんだろ」
「太秦さん……」
俺が「ありがとうございます」と続けようとしたところで、太秦さんが不敵に口角をニッと釣り上げた。
「しかも、あの理事長に恩売っとけば、謝礼金に色も付くってもんでしょ。さーて、いくら搾り取れるもんかな……って、いでっ!」
即座にソラが太秦さんの背を軽く叩いた。
太秦さんのがめつさと下心丸出しの発言と、九つも年下の少女にあっけなく撃沈させられている情けない様に、折角の感謝やら尊敬やらの念が、全て吹き飛んでいった。
「全くもう。折角良い事言ったと思ったら、すぐ金稼ぎとか貸し借りとか、そっちの方に持っていくんだから」
ソラは呆れ返っている。
「しょうがねえだろ、うちの事務所は基本的に超大赤字なんだから」
「そもそも、太秦さんは変な所で人が良すぎるんですよ。いざ頼まれると断れないっていう所が、経営者として致命的すぎます。普段はちゃらんぽらんな癖に、仕事が絡むと倒れるまで働き続けるんだから。本当、色々と安請け合いしすぎなんですよ」
「うちは基本的に薄利多売なんですー!質のいいサービスを優しい価格で提供、一度依頼を受けたらどこにでも飛んでくのが霊一派の売りなんですー!」
「普段はちゃっかりしてるくせに、何言ってるんだか。いつもの意地汚いがめつさを、仕事でも発揮しろって言ってるんですよ」
「『意地汚い』は余計だろ!」
太秦さんとソラの小競り合いを横目に、俺は一人呟いた。
「……お二人は凄いですね。俺なんか、小学生の頃にちょっと勉強が出来たくらいで、今となっては、本当に何も取り柄が無いから……。
俺も、笑って誰かを助けられるような存在になれたら良いのに」
「……そうかい、そりゃあ嬉しいね」
俺達はそのまま黙りこくったまま電車に揺られていたのだが、各々が徐々に違和感に気が付き始めた。そして、その違和感を最初に口に出したのは太秦さんだった。




