4 物の怪
男性はゆっくりとこちらに向き直る。
「……君は本当に賢い子だ。私の発言一つで全てを見破ってしまったのだから」
「……そりゃあ、伊達に宗坂中の入試を突破した訳じゃありませんから」
俺は身構える。
この状況で、どうやって逃げ出したら良いのだろうか。そもそも、逃げ出したところで、どこに向かえばいいのかすら分からない。
しかし、このままでは命が危ないということだけはよく分かる。
「……俺のことを、どうするつもりなんですか?」
「……私は人の魂を抜き取って喰らう物の怪だと言えば、賢い貴方にはそれで十分でしょう」
余りにも絶望的な状況の中、俺はどうにか解決策を捻り出そうとする。
しかし、こんな時こそ働いてほしい優秀な筈の頭脳は、思考が空回りする一方で何の役にも立たない。頭の中で、何か車輪のようなものが、ぐるぐると回転し続けている。
「私から逃げようと考えているのなら、諦めた方が賢明だと思いますよ。ここは嵐山ではなく、私の結界の中だ。私を倒さない限り、ここからは逃げられない」
足の速さには自信を持っているが、出口のない結界の中を延々と逃げ回る訳にもいかない。脱出方法を見つける前に、体力の限界がくるだろう。
それに、彼を倒すことはまず諦めた方が良さそうだ。
家にいる妖怪達は、近寄っただけで彼らが妖怪だという事が分かる。雰囲気や気配が、人間のそれとは全く違うのだ。
しかし、俺が理詰めで看破するまで、俺はこの物の怪のことを、何の疑いもなく人だと信じ込んでいた。このことから、彼は家に住み着いている妖怪達よりも数段格上であることが伺える。
「大丈夫、魂を抜かれるだけですから、痛くも痒くも何ともありません。まるで眠るようにして亡くなることができます。普通に死ぬよりも、こちらの方が随分楽だと思いますよ」
例え本当に眠るように安らかに死ねるとしても、それは別に今じゃなくてもいい。
せめて死ぬ前に、両親の顔も、友人の顔も、それから同居人達の顔も、一度くらいは見ておきたい。
秋には文化祭が控えているし、二年生になったら修学旅行で沖縄にだって行きたい。そして、卒業後は楽しくキャンパスライフを送るんだ。
「こっちはまだ、第一回宗坂高校一年D組大卓球大会敗者復活戦の決勝戦を見届けてないんですよ!だから、こんな所で野垂れ死ぬ訳にいきません!」
「往生際の悪い人の子だ。そんなに抵抗しても、貴方が私に勝つことなんて、出来る訳がないというのに」
「そんなの、やってみなきゃ分からないじゃないですか!」
どうせ死ぬなら、せめて最後に一暴れして、爪痕だけでも残してから死にたい。
「そんなに苦しんで死にたいのなら、魂を捻り上げて潰してから食べてやりますよ」
前言撤回、やっぱり全力で逃げることに焦点を当てる方が賢いと思う。
男が右手に持っている提灯に左手を翳すと、中からめらめらと燃え上がる赤い炎が引き出された。彼はそれを容赦なくこちらにぶつけようとしてくる。
「うわっ、あっつ!」
俺は間一髪でそれを避けた。
すると、男は右袖を軽く持ち上げたかと思うと、水溜まりに右腕を肘の辺りまで突っ込んで、するすると一振の刀を取り出した。そして、間髪入れずに俺を叩き斬ろうとしてくる。
俺はまたしてもギリギリで刀を避ける。細くて真っ直ぐな薄い色の髪の毛が、数本はらはらと宙を舞った。
そして、俺はバランスを崩して地面に転がった。
男はそれを見逃さずに、俺の首根っこを目掛けて刀を振り下ろす。
俺はいよいよここまでかと思い、固く目を瞑った。
その瞬間、鋭い金属音が響き渡った。
「遅くなってごめんなさい!もう大丈夫、私達に任せて!」
溌剌とした女性の声がする。
顔を上げると、藍染の着物に鼠色の袴を着けた男性が、緑青色の両刃の剣で、物の怪の振るった刃を受け止めていた。
そして、白いセーラー襟のついた水色のワンピースを着た女子高生が、俺を立ち上がらせてくれた。確か、宗坂高校の近所にあるお嬢様学校の制服だ。ウェーブのかかったミディアムの茶髪と、胸元の白いスカーフが風に揺れている。
「あ、あの、貴方達は……」
「私達は陰陽師よ!貴方のことを助けに来たの!」
陰陽師。俺の曾祖父の行っていた仕事だ。
まさか、そんな職業が実在しているとでも言うのか。
「ソラ、誤解を招くような言い方すんじゃねえよ。『小遣い稼ぎのためにふらっと来てみたら、何かよく分かんねえけど凄い修羅場に出くわしちゃった』の間違いだろ」
男性はそう言って即座に物の怪と間合いを取り、剣を構えて睨み合う。
「まあ要するに、こいつのことボコっとけばいいんだろ?得意得意、任せとけって。とりあえず適当に暴れときゃあ、世の中の大抵の事は何とかなるんだからさ」
彼は力強く地面を蹴って、物の怪に斬りかかった。
「その代わり、今度会ったら飯奢ってくれよ!」
「太秦さん、高校生相手にたからないでください!みっともない!」
女の子は赤紫の柄の薙刀を振り回しており、太秦と呼ばれた男性のサポートに回っていた。
「貴方達は陰陽師ですか……。
いつの時代になっても滅びないものですね、目障りな安倍の術を継ぐ者というのは」
「あれ?おたくと俺、どっかで会ったことありましたっけ?何で俺が第三十四代目安倍晴明だって分かるんだよ?」
「その剣、初代安倍晴明が鋳造した七星剣でしょう。私も一度はそれで斬られたものです」
「そうかい、なら俺が今ここでたんまりおかわり持ってきてやるよ!」
激しい金属音が何度も鳴り響く。
局面は二対一と、物の怪の方が圧倒的に不利な状況の筈だ。しかし、彼は数の利をものともせずに、二人分の斬撃を軽くいなし続けている。
「言われっぱなしってのも気に食わねえし、あんたの正体も当ててやるよ!
あんた、初代安倍晴明が唯一祓うことができなかった、最強にして最悪の物の怪、カルラだろ!又の名を久我法隆、人の魂を抜き取って喰っちまうんだってな!ンなゲロ不味いもん喰うくらいなら、土ん中のミミズでもほじくり出して食ってた方が、まだマシなんじゃねえの?」
「私達物の怪からすれば、貴方達人間が普段食べているものの方が悍ましく感じますけどね!
それに、人間の分際で千四百年以上生きた存在に裁きを与えようとするとは、罰当たりとは一体どちらでしょう!」
「人に迷惑かけながらただダラダラ生き続けるだけの死に損ない、つまりてめえみたいな老いぼれのこと、何て言うのか知ってっか?老害、もしくは生きた化石っつうんだよ!千四百年分無駄に溜め込んだ蘊蓄に加えとけ!」
「貴方のような身の程知らずの自惚れた人間のことは、井の中の蛙と言うのですよ!」
物の怪の掌から真っ赤な炎が生み出され、男性の頭を目掛けて飛んでいく。炎は刀で見事に切り刻まれるも、そのうちの一番大きな欠片が、こちらに向かって真っ直ぐに飛来してきた。
「あっ、危ない!」
「おい、避けろ!」
女の子と男性が真っ青な顔で叫ぶ。
その刹那、目の前が真っ白になり、頭を激しく揺さぶられるような感覚に襲われ、俺は意識を失った。
俺は反応が遅れてしまい、真正面から炎の欠片を喰らってしまったのだった。




