第八十七話:創世の魔導書と、書き換えられたプロット
「――アレス、いい加減にしなさいッ!!!」
ルナは、今にもカイルを原子分解しようとしていたアレスの首筋に飛びつき、その美しい唇を力任せに自らの唇で塞いだ。
激しい衝撃音とともに、図書館を揺るがしていた漆黒の魔力がピタリと止まる。
「ん……っ、ル、ナ……?」
唇が離れると、アレスの深紅の瞳は完全に「蕩けた蕩児」のそれに成り下がっていた。さっきまでの魔王のような殺気はどこへやら、彼は自分の唇に触れたルナの体温の余韻に浸り、顔を真っ赤に染めてふらついている。
「カイル様、申し訳ありません! 見ての通り、この人は私を1秒でも他の男の人と喋らせると世界を壊す病気なの! 私は本当に安全だし、彼を愛しているわ。だから今は、世界の危機を救うためにここを通して!」
ルナの圧倒的な論破と、アレスのあまりの変わり果てた(調教された)姿に、カイルは呆然と立ち尽くすしかなかった。
「ルナ、君がそこまで言うなら……。それに、今の地鳴りはただ事ではない。地下の『禁忌書庫』へ行くのだろう? 私が案内する」
カイルは悔しさに唇を噛み締めながらも、聖骑士としての使命感から、二人の先頭に立って歩き始めた。その後ろを、アレスがルナの腰をこれでもかと強く抱きしめ、カイルの背中に終始「殺す殺す殺す」という無言の視線レーザーを浴びせながら付いていく。
数分後。
二人は、王国の歴史から完全に抹消された、地下最下層の重厚な鉄門の前に辿り着いた。
カイルが聖騎士の鍵で門を開けると、そこには、宙に浮いた状態で淡い燐光を放つ、一冊の巨大な古文書が鎮座していた。
これこそが、この世界のすべての因果のバックデータが記録されているという【創世の魔導書】。
「これが……世界のプロット。シオリが言っていた、原作者の『設定資料』ね」
ルナが近づき、無属性魔導の回路を本に接続してページをめくる。
そこには、驚くべきことに、文字ではなく現代日本の言語――日本語のテキストデータが直接、魔力の波形として記録されていた。
『――第二章終盤、ゼノス皇太子の暴走により王国は壊滅。アレス王子は狂気の本性を現し、ルナ令嬢を道連れに世界を滅ぼす。ここで物語は完結する――』
「やっぱりね。私のせいで、このページのあとに、本来存在しないはずの『甘々ハネムーン編』という余白が無理やり付け足されているわ。システムがこれを『不正な改ざん』と判断して、一週間後に全消去しようとしている」
ルナがそのバグの構造を理系脳で瞬時に解析した、その時だった。
パリン、と頭上で空間が割れる音がした。
魔導書の周囲の空間から、昨日ルミナス湖に現れたものよりも遥かに巨大な、全身が「白い数式とノイズ」で形成された、第二のお掃除プログラム――【上位デリーター】が姿を現したのだ。
『――プロットの改ざん者を感知。これ以上の不正なページの増殖を阻止するため、対象の即時消去を実行します――』
異形の手にした消去の刃が、魔導書を読み解くルナの頭上へと振り下ろされる。
「ルナに触るなと言ったはずだ、この出来損ないのシステム風情が……!」
アレスの漆黒の魔剣「絶影」が、光速を超える速度で異形の刃を受け止めた。
激しい火花が散り、地下書庫全体が因果律の衝突によって激しく軋み始める。
残り時間はあと、140時間。
世界を創った設定そのものをハッキングし、自分たちの未来を無理やり「正規プロット」として書き換えるための、理系令嬢の命がけのデバッグが、ついに本格化するのだった。




