第八十六話:禁忌の図書館への潜入、そして再会という名の修羅場
「……分かったよ、ルナ。君がそこまで言うなら、僕たちの『永遠の蜜月』は、この世界を僕たちの手で完全に固定したその後に取っておくことにするよ」
アレスは名残惜しそうに漆黒の魔導鎖を消滅させると、ルナの腰をグッと引き寄せ、その額に深いキスを落とした。
「だけど、もし少しでも危険だと判断したら、その瞬間に君を抱き上げてあの地下室に閉じ込めるからね? 異論は認めないよ」
「はいはい、分かったわ。私の頼れる旦那様、 escortをお願いね」
ルナは苦笑しつつも、アレスの底なしの魔力を借りて「認識阻害」の術式を展開。
怯えるシオリを別荘の結界内に保護したまま、二人は瞬時に王都の端に位置する「王立中央図書館」の裏手へと転移した。
世界初期化のカウントダウンは、残り150時間を切っている。
一刻の猶予もないルナは、お目当てである地下最下層の「禁忌領域」へと足早に進もうとした。
しかし、事態はそう簡単には進まない。
コツン、コツン、と規則正しい鉄甲の足音が、静まり返った大理石の廊下に響き渡った。
「――そこにいるのは誰だ。ここは現在、先の騒乱に関する重要書類の整理のため、聖騎士団の管轄下にある。立ち入りは禁じられているはずだが」
凛とした、どこか哀愁を帯びた聞き覚えのある声。
認識阻害の結界をすり抜けるようにして現れたのは、白銀の甲冑を身に纏った聖騎士――カイルだった。
第二章でルナに密かな想いを寄せ、アレスの暴走を止めるために共に戦った彼は、ルナがアレスと共に姿を消した後も、彼女の生存を信じて王都を守り続けていたのだ。
「あ……」
ルナが思わず声を漏らした瞬間、アレスの構築していた認識阻害の魔術が、彼の猛烈な「不快感」によってパリンと音を立てて霧散した。
「チッ……。だから言ったんだ。君を不衛生な外の世界に出すと、すぐに羽虫が寄ってくる、と」
アレスの深紅の瞳が、一瞬でハイライトを失った完全な「ヤンデレ・モード」へと切り替わる。
アレスの足元から、大理石の床をドロドロと侵食するような漆黒の影が、まるで生き物のようにカイルの足元へと伸びていった。
「……ル、ナ……? 本当に、ルナ令嬢なのか……!? 生きて、いたのか……!」
カイルはアレスの放つ凄まじい殺気にも気づかないほど、激しく目を見開いた。
その瞳には、一目でわかるほどの狂おしい歓喜と、安堵の涙が浮かんでいる。
彼は一歩、ルナの方へと歩を進めようとした。
「それ以上、僕の妻に近づくな。その薄汚い足を一歩でも動かしたら、足首から先を空間ごと消滅させてあげるよ」
アレスがルナの前に立ちふさがり、右手をカイルに向ける。
彼の指先には、触れたものすべてを原子レベルで分解する「極小の黒孔」が、パチパチと禍々しい音を立てて凝縮されていた。
「アレス、待って! ここで聖騎士団長を消滅させたら、国のシステムが大混乱を起こして、世界のデバッグどころじゃなくなるわ!」
ルナはアレスの腕にしがみつき、必死にその狂気を抑え込もうとする。
「カイル様も、お願いだからそれ以上近づかないで! 私の旦那様の嫉妬は、文字通りこの世を滅ぼすレベルなのよ!」
「ルナ、君は……そんな男に、今も脅されているのか……!? 私は、君が連れ去られてから一日たりとも君のことを忘れたことはない! 今度こそ、我が命に代えても君をその魔王の手から――」
「言ったはずだ、羽虫。……死ね」
アレスの堪忍袋の緒が完全に千切れた。
図書館の数万冊の蔵書が激しくガタガタと震え、建物全体がアレスの総毛立つような魔力によって崩壊の危機を迎える。
迫り来る世界の初期化。
目の前で勃発した、過去最高にめんどくさい「元・仲間との恋愛修羅場」。
ルナは自身の理系脳をフル稼働させ、この最悪の状況を平和的に(物理的な意味で)制圧するための、超広帯域の精神安定数式を練り上げ始めるのだった。




