第八十五話:残された時間は七日間、ヤンデレ旦那様の軟禁宣言
世界の自動防衛機能をどうにか退けたものの、残された猶予はあと一週間――わずか168時間。
ルミナス湖の美しいエメラルドグリーンの水面は元に戻ったが、空には目に見えない世界の秒針が、確実に破滅へのカウントダウンを刻み始めている。
「――シオリ、少し落ち着いたかしら。あなたがいた世界で読んだというその『小説』のプロットについて、もっと詳しく教えてほしいの」
ルナは書斎のソファにシオリを座らせ、温かいハーブティーを差し出しながら問いかけた。
シオリはまだ少し怯えつつも、ティーカップを両手で包み込みながら、必死に記憶を呼び起こす。
「はい……。私が覚えている限り、この物語の本来のルートでは、第二章の終盤でゼノス皇太子が世界の崩壊を引き起こすはずでした」
「それをアレス様が完全に破壊し、世界は一度バッドエンドを迎える。それが、原作者の書いた『正規のプロット』だったんです」
「でも、ルナ様が前世の知識(理系脳)でゼノス様の暴走を止め、アレス様の呪いも解いてしまった。本来死ぬはずだった主要キャラクターたちが全員生き残っていること自体が、今のシステムにとっては致命的なエラー(バグ)なんです」
シオリの話を聞きながら、ルナは顎に手を当てて思考を巡らせる。
(なるほどね……。物語の『強制終了』というバッドエンドの処理を私が強引にキャンセルして、勝手にその先の『ハッピーな続編』を描き始めてしまったわけか。システムとしては、存在しないはずのページが勝手に増え続けている状態だから、容量オーバーで初期化をかけようとしているのね)
この世界を存続させるためには、システムに「このハッピーエンドは正当なプロットである」と認めさせるか、あるいは世界の根源にあるプログラムそのものを書き換えるしかない。
「そのためには……王立中央図書館の地下深くにある、禁忌の『創世の魔導書』にアクセスするしかなさそうね。そこに世界のプロットのバックデータが眠っているはずよ」
ルナがそう結論づけ、席を立ち上がろうとしたその瞬間――。
背後から、光をすべて吸い込むような冷徹な闇の気配が、音もなく立ち上った。
ガチャン、と重々しい金属の擦れ合う音が書斎に響く。
「――ルナ。どこへ行こうとしているんだい?」
振り返ると、そこにはいつの間にか漆黒の魔導鎖を手にしたアレスが、歪んだ微笑みを浮かべて佇んでいた。
彼の深紅の瞳は、世界の終わりなど微塵も恐れていない。むしろ、世界が一週間で消滅するというこの理不尽な状況を、心から歓迎しているかのような、底知れない狂気に満ちあふれていた。
「アレス……? その鎖、一体どうしたの?」
「決まっているだろう、ルナ。君を、この別荘の地下にある僕の特製監禁室へ移す準備さ」
アレスは静かな足取りでルナに近づくと、彼女の細い腰を後ろから強く抱きしめ、その首筋に冷たい唇を寄せた。
「王立中央図書館に行くなんて絶対に許さない。あそこには、いまだに君に未練を残しているカイル(聖騎士)の警備隊がいるし、下手をすればあのゼノス(元皇太子)の残党だって嗅ぎつけてくるかもしれない」
「残り一週間しかない僕たちの命(時間)だ。どうして君が、他の男たちが関わるかもしれない場所へ行き、そんなゴミどものために大切な時間を使わなければならないんだい?」
アレスの腕に、ギリギリと力がこもる。
「世界が消えるなら、それでいいじゃないか。あと七日間、この誰の手も届かない別荘の地下室で、僕の鎖に繋がれた君と、二人きりで、片時も離れずに愛し合って最期を迎えよう」
「君が他の何かに頭を悩ませる必要なんてない。世界が滅びるその一瞬まで、僕だけを見て、僕の愛だけを食べて溺れていればいいんだよ、ルナ……」
蕩けるような、あまりにも甘く重い心中宣言。
アレスのヤンデレ独占欲は、世界の滅亡という極限状態において、ついに「完璧な監禁ハッピーエンド」としての最適解を弾き出してしまったのだ。
このままでは、世界がデバッグされる前に、アレスの愛によって物理的に地下室に閉じ込められてしまう。
「ちょっと待ちなさい、ヤンデレ旦那様! 私はあなたとあと七日間じゃなくて、これから何十年、何百年も一緒にイチャイチャ甘々生活を送るつもりなのよ!」
ルナはアレスの胸を押し返し、その美しい顔をキッと見つめた。
「あなたのその無限の魔力、心中じゃなくて、私と一緒に世界をハッキングするために使いなさい!」
滅びゆく世界の中で、理系令嬢とヤンデレ王子の、命がけの「説得」とデバッグへの挑戦が、再び火花を散らす。




