空気の読めない天才少年と王子・上
ノエル・スレイドは今日も人生に困惑している。
ノエルの人生は主に二つの要素に分けられる。魔術の研究と、ごく日常的な生活だ。研究は明快で深く広く楽しくて、日常生活は複雑で困難で信じられないほど散らかっている。
少なくとも自分にそう見えているだけだと理解しているし、どうやら他者はあまりそう思っていないことも理解している。
父が生きていたときは、まだ良かった。なにせ父も日常生活がとっ散らかっているタイプだったので、お互いの性質に理解があったし信頼もあって、助け合うことができていた。なにより研究への愛が共通していた。
色々と駄目なところもある人間だったけれども、ノエルは父を親としても研究者としても尊敬していた。だから父が亡くなったときは悲しかったが、それ以上に衝撃を受けた。なにせ死因が落雷だったのだ。
本当に? と大いに驚いたが、現場検証をした警察曰く、突然の雨で大きな木の下に雨宿りしていたところ、木に落ちた雷に感電したのだろう、とのことだった。ノエルは現場も見にいったが、確かに落雷で焼け落ちた大木があった。
魔術師としてそれなりに名声があった父の突然の死を、警察は財力や名声を妬んでの他殺の可能性を考えそれなりに丁寧に捜査してくれた、らしい。これは父の後援者だった侯爵からの説明だ。
組織内のことは分からないが、少なくともノエルに捜査の結果を教えてくれた人間は、わざわざ当時八歳の子供だったノエルにも分かりやすいよう平坦な言葉を選んで丁寧に説明してくれた。だからノエルも、唐突な父の死を飲み込んで納得した。
納得はしたものの、その結果喪失感が癒えるわけでも、その後の生活が楽になるわけでもない。
特に、侯爵家所有の孤児院にいる間は最悪だった。生活環境はともかく、言葉が通じているのかも怪しい子供達に囲まれての暮らしは、ノエルにとって負担が大きすぎたのだ。
あちこち話題が飛ぶ理論の欠片もない会話。非論理的な言い合い。昨日と今日で言っていることもやっていることも変わる気まぐれさ。
だから嫌いだ、とまでは言わないけれども、ここで相互理解を育むことはできないだろうと覚悟して心を閉ざしてしまったのだ。
幸いすぐにノエルの特性を鑑み、学園の試験を受けさせてもらったため、ごく普通の子供達とのまったく馴染めない暮らしからは遠ざかれた。しかしノエルにとって、自分は普通の生活や社会というものに溶け込めないと痛感した出来事だ。
とはいえ、この体験があったからこそ、学園での生活にはノエルとしては比較的早く馴染めたと思う。
ノエルと同じ年代で学園に通っているのは、大抵全員持ち前の能力や将来性といったものを評価された子供達で、本人も学習に意欲的だ。
全員がごく当たり前のこととして本をよく読むし、議論は活発だし、研究にのめり込んで寝食を忘れることはまったく異常なことではなかった。気をつけろよと声はかけられるものの、寮の食事の時間に遅れる生徒はノエル以外にもしばしばいるため、サンドイッチなどの軽食もたいてい常備されている。
図書室の本は借り放題で、研究用機材もきちんと申請を出せば生徒も使えて、教授への質問も許されている。
あまりにも理想的な環境だった。一番の理解者で、一番仲の良い研究者でもある父がもういないことはやっぱり変わらず寂しかったが、好きなだけ学んでいいというのはノエルにとって天国と同じだ。
まあ、ここですらやはりノエルはちょっとばかり浮いていたわけだが、それでも友人だってできた。たまたま席が近くて、たまたま授業の分からないところを質問して、というまったく劇的ではない出会いからのんびり仲良くなっていったジーンには、ノエルと違って友人が多い。
成績は中の上くらいではあるけれど、ごく一般的な商家出身で、奨学金をもらって学園に通っているのだから頭は当然良かった。そしてなにより社交性があった。成績は常に異様なほど良いけれどまったく社交性のないノエルとは正反対ではあったものの、主にジーンのおおらかで忍耐強い性格のおかげで、二人の友情は長続きしている。
おかげで学園での暮らしは、ノエルにとって概ね問題なく過ぎていった。
父親が少々珍しい魔法を扱っていてしかも高名、という点とノエル自身の社会性の低さはたびたびトラブルを引き起こしたが、肝心の勉学を阻害するほどではない。だからノエルにとっては何も起きていないのとほぼ変わらないのだ。
ただし、来年度からは話が違ってくる。
「ノエル、そろそろボク以外にも友人を作ったほうが良いと思うよ」
「勉強に支障はないよ」
「そういう意味じゃなくてさ……。ほら、来年からは貴族の人たちと同じクラスになるんだし……。ノエルなら学園の研究室にだって入れるだろうけれど、個人的に貴族と親しくなってパトロンになってもらうのも、研究を仕事にしたいなら必要なことだよ」
「……それはそのとおりだ」
ジーンに釘を刺されずともノエルだって、研究者に必要なのは好奇心とアイデアと根気だけではないことくらいは、さすがにわかっている。
学園に貴族の子弟と特別優秀な市井の子供が混在するクラスがあるのは、なにも双方の社会勉強のためだけではない。
貴族は貴族同士社交界デビュー前に親睦を深め、また、民間の優秀な人材を発掘するために。将来を期待されている若き学者達は、官僚や学者、魔術師として自分を売り込むために、という意図もあるのだ。学園としても、自分たちが育てた学者が貴族とつながりを持てれば、自分たちの地位を維持する助けになる。
研究だけをして生きていける研究者なんて存在しない。研究と生活にかかる金を調達できるか、あるいは調達してくれる相手を見つけられた研究者だけが、己の好奇心の赴くままに人生をかけて研究に励めるのだ。
だからノエルにとってあまりにも難解な「人付き合い」というやつに、いまこそ向き合わなければならなかった。
どうせいつかはそうする必要があったのだから、教員達からある程度のフォローを期待できる学園という場で機会に恵まれたのは良いことだ。
ノエルは一応そう思っていた。
そのうえでの、新学期初日の「嫌だけど」なのである。
ほぼ反射でそう答えた後、なんだか不味いことになったぞ、とはさすがにノエルも理解していた。同時になんで? とも思っていたけれど。
友人のジーンおよび、侯爵が父を支援していた関係で微かに付き合いのあった侯爵令嬢が、それはもう必死に自分をフォローしてくれたことには、ちゃんと申し訳ないと感じている。
そして平民である自分にまでやたら丁寧に話しかけてくる他国の王子様が、おそらく良い奴なのだろうということもわかっている。
そしてわかったうえで、ノエル・スレイドは正解の対応がわからないのだ。
こんなことになるなら、もっと本気で答弁の例題集でも作っておくべきだった。ノエルはそう痛感した。
なぜだか自分の不味い対応が許され、大国の王子と親交を結べたのは間違いなく良いことだ。一体何がこの椿事の原因なのか、さっぱり分からないという点に目を瞑ればだが。
原因が分からないまま予想外に解決してしまった問題というのは、言うまでも無く厄介だ。
ノエルの言動のまずさはジーンを見習うなどして解決していくほかないが、王子の無闇矢鱈と広い心は、あれはあれで不気味ではあった。この印象は口外しないほうがいいことくらいは一応弁えているが。
席が近かった、という接点しかない隣国の王子はとにかく友好的で、毎日挨拶は欠かさないし、ニコニコしながら授業の難しい点を質問してくるし、答えてやれば律儀に礼を言うし、こちらから隣国の魔術史について質問をすればわかる範囲で丁寧に教えてくれる。
学園内の食堂では庶民用のメニューだろうが構わず注文しているし、ノエルやジーンが頼んでいるものと同じものを興味深そうに、かつ美味しそうに食べているし、たまにそれに侯爵令嬢も巻き込まれている。
おかげで、極端な優秀さと人当たりのまずさで浮いていたノエルは、なにがなんだかわからないうちにやたら楽しげな王子に巻き込まれ、妙に充実した学園生活を送ることになってしまった。いや、学生としてはこれまでも十分充実していたのだ。しかしいわゆるカースト上位のグループに属することになった結果、今まで多少はあった成績優秀者の平民へのやっかみやら、ノエル自身の暗さへの陰口がここのところ明らかに減っているのである。自分への誹謗中傷について、気になるほどではなくとも目の前を飛ぶハエのような鬱陶しさは感じていたため、ちょっとしたストレスが消えたのは確実に良い事だった。
数日過ごした結果、ノエルは王子にある程度の信頼感を覚えていた。王子はジーン並に人当たりが良くフォローが上手いため、ノエルが躓きそうなポイントを予測すると先回りして助け船を出し、会話が上手く回るように仕向けてくれて、会話のストレスが少ない。これが非常に助かった。ノエルに不足していたジーン以外との世間話の例文は、おかげで安全かつ迅速に集まりつつあるといえる。
これなら、まあ、なんとかやっていけるだろう。
そう思った矢先の出来事だった。




