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鬱展開大好き主人公VS優しい世界  作者: 石蕗石


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空気の読めない天才少年と王子・中

事件が起きたのは、入学式から数日後の早朝のことだった。

ノエルはその日、たまたまいつもより早く目が覚め、たまたま二度寝をする気が起きず、たまたま早く校舎についた。

そしてたまたま、それをいち早く発見したのである。

教室のドアを開けてすぐ、ぴゅうと吹いた風にノエルは眉を顰めた。この国の新学期は雪が溶けて交通の便が良くなってから行われるが、この時期でもまだ朝の風は冷たい。

原因は明白だった。教室の窓が開いていたのだ。そしてそれより明白な異変が部屋の中にあった。

窓際の列の後ろから二番目、隣国からやってきた天使のように優しい王子様がいつもちょこんと座るその席に、インク瓶が転がっていたのである。

勿論中身はぶちまけられて、特別クラスの優雅で座り心地の良い椅子にも、机にも、べったりと真っ黒な汚れが広がっている。

狙い澄ましましたと言わんばかりのピンポイントの汚れは、どう見たって嫌がらせじみていた。

ノエルは眉を顰めて、ひとまず教室の中へ一歩入った。いつまでも出入口で黙って見ていても仕方ないと思ったからだ。ただし近寄る気にはなれない。インクはまだ特有のぬらりとしたツヤを持っていたから、完全に乾ききってはいないのだろう。あの横を通って自分の席に行くのは少々憚られたし、なによりこれがいじめだとしたら、犯人がいる。現場の保存は重要に違いない。


現場、なんていうとまったく事件じみているが、そうではなくこれは事故だという可能性も十分にある。

なにせ相手は大国の王子だ。王太子ではなく三男とはいえ、十分すぎる権力者である。だれかが嫌がらせでこれをやったとしたら、損得を考えられなくなるほどの恨みがあるか、よほどの愚か者かのどちらかだろう。

それならまだ、偶然こんなことが起きた、と考えたほうが自然である気がした。

まず気になるのは、開け放たれた窓だ。普通教室の窓は授業が終わった後に施錠される。他の窓は閉まっているし、鍵も下りているようだ。だからあの窓だけがなぜか施錠されず開いているのには、当然それなりの理由と意味があるだろう。

次にインク瓶がどこのものか。少し近づいて見てみると、どうやらノエルでも知っているほどの高級メーカーの瓶のようだ。もっとも本当に知っているだけで、手に取ったことすらない。おそらくこれは王子が置いていったものだろう。机にはインク瓶置きやペン立てが備え付けられており、ペンは持ち帰る者が多いが、インク瓶は置きっぱなしにする者も多い。王子もそのタイプだったのだろう。優美なガラス製の蓋もついていたはずなのだが、それはどこかに転がっていってしまったのか見当たらない。

最後に、椅子の座面の無事だった部分に付いた動物のものらしき毛。三センチほどの短いもので、色は白っぽい灰色。王子が寮にペットを持ち込んでいるという話は聞いたことが無いし、大した量が付いているわけでもないから、王子の服から付着した、あるいはインク汚れと同じように誰かが悪戯で付けたという理由は考えにくいだろう。動物の毛一、二本を故意に付けたところでなんなのだ、という話である。

ここまでくれば、施錠し忘れた窓から動物が入り込み、インク瓶をひっくり返してぶちまけた、なんていう予測は立ちはする。学園内や周囲の街路樹などには、リスに似てそれより一回り大きいビグレルという野生動物が生息していて、校舎の中に入ってきてしまう事件は年に数度は起きているのだ。

可能性としては十分あり得るだろうけれども、なにもこんなちょうど面倒くさい場所で面倒くさいことが起きなくても良いものを。とノエルは嘆息した。

そこで、背後の扉がぱたりと開く。とっさに振り返れば、そこにいたのはジーンだった。


「おっ、早いじゃん……って、えっ何これ何これ」


盛大に汚れた王子の席を見て、ジーンが目を丸くする。誰だってそうだろう。


「さあ……。多分動物でも入ってきたんじゃないか」

「うわー……。よりにもよって……」

「全くだ」


扉を開けたまま立ちすくむジーンの側まで寄ってそんな話をしていると、いつの間にか廊下からも話し声がしている。そろそろ登校してきた生徒が増えてきた頃だろう。ジーンの後ろからやってきた進学組の生徒も、背後から中を覗き込んでうわっと声を上げた。


「わあ、どうしたんだよあれ……」

「わからないよ、ボクが来たときにはもうあれだったし」

「とりあえず先生を呼んだほうが良いだろうな」


クラスメイトとそう話すうち、扉の前に溜まり始めた生徒達の後ろから、中を覗き込んだらしい生徒がこう言い出した。


「なにあれ、嫌がらせ?」


誰の声かはわからない。多分他のクラスの人間だ。状況的にはまったくそう見えるし、実際ノエルも最初はそう疑った。しかし声はざわざわと広がり、今度は誰かがこう言い出す。


「ノエルじゃないか?」

「あいつが一番怪しいだろ」


そんな誰かの声に、ノエルはしれっと無表情を貫く。唯一教室の中に入っている自分が最初に登校してきた生徒だというのは、簡単に察せられることだろう。そして人当たりが悪く友人の少ない自分は、不特定多数の生徒からそれなりに薄らと嫌われている。そんな声が上がることも不思議ではない。どうでも良いけれど。

そう自分では思うのだが、こういうときに自分以上に怒る人間が居るのだ。


「あ? 誰だよ今言ったやつ」


普段より低い声でそう言うジーンに、誰とも知れない集団の中の声がぴたりと止む。ジーンは交友範囲が広い。成績も比較的良い。それゆえそれなりに人気があるし、影響力もある。そんな人間からあからさまに怒気を向けられれば、こそこそと陰口をたたく程度の奴はたいてい黙ってしまうのだ。

しかし今回は例外だったのか、また別の場所から声が上がった。


「状況的にはそうだろ!」

「他に犯人がいるの?」


こちらを犯人かと疑っている人間だけでなく、そうでないなら他に王子に嫌がらせをした犯人がいるのだ、と疑うことすら億劫で、犯人だと決めつけたいやつもいるのだろう。また声を荒げそうになったジーンの肩を、ノエルはぽんと叩いた。


「ジーン、べつにいいよ。状況的に俺が疑われるのは不思議でもなんでもない」

「でもノエルがこんなことするわけないだろ!」


当たり前にこちらを信じてくれるジーンの信頼は、嬉しい。そしてそれで十分だった。

それに、少なくともここにいる同じクラスの人間からは、いまのところこちらを疑う声はあがっていない。それもそうだろう。ぱっと見てみただけでも外部に犯人がいると疑える状況だ。自分は嫌がらせをしない人間だと思われるかどうかより、迂闊に決めつけるような愚か者が近くにいない、ということこそがノエルにとっては喜ばしかった。

それに疑ってかかる人間をこの場で言い負かしたところで、結局自分を嫌う人々がいなくなるわけでもないのだから、ジーンには悪いが余計な負担だと言えるだろう。

ノエルは自分が好かれるような性格と言動をしていないと理解しているし、成績が良すぎてとっつきにくいという言い分も理解はできずとも慮ることができる。そして、心を読む魔法の研究をしていた男の息子だから人の心が読めるかもしれない、という理由で自分を嫌う人々がいることだって、不可解ではないし間違ってもいないと思っている。

じりじりと空気の悪くなる中でノエルが気にしているのは、果たして実際のところは何が起きたのか、ということだけだ。誰かに好かれること、誰かに嫌われること、そんな曖昧なことよりも、ノエルにはただ真実だけが興味の的だった。

そんななかでふと人垣の向こうから、鈴を鳴らすようなきれいな声が聞こえた。


「どうしたのですか?」


その途端、廊下に集まっていたクラスメイトや野次馬達が、壁際に張り付くようにしてざっと分かれて彼に道を作った。

整った顔に困惑と遠慮がちな微笑みを浮かべ、現在渦中の人と言っていいだろうライア・エル・ファルシール殿下はコツコツと靴底を鳴らして教室へとやってきた。中を見ればすぐに、自分の席が不自然に汚れていることがわかるだろう。いままでざわざわと上がっていた声から、ノエルが容疑者になっていることも把握しているはずだ。

入学初日から妙にこちらを気にかけていた彼でも、この展開にはさすがに多少の不快感を覚えることだろうし、もっと言うならノエルに不信感を抱いても不思議ではない。

それはべつに構わない。糾弾されても、それはそれだ。しかし、せめてこの王子が自分の席の掃除の前に現場検証を教師に命じてくれないかと、それだけが心配なのだ。

なんと言い出すのかを周囲の誰しもに注目されながら、王子は自分の席へと向けていた顔を、ぱっとノエルへと向け、にっこり微笑んだ。


「大丈夫です。貴方がやったなどとはまったく思えません!」


廊下まで聞こえそうなはっきりとした声量ときれいな発音で、王子はそう断言した。

そしてひょいと廊下へ戻り、くるりと周囲を見回して片手を軽く上げる。


「どなたか、教員の方を呼んでいただけますか? 困ったことにこの教室内で事件が起きたようですから、原因究明のために本日のホームルームを中止にしていただく必要があるかも知れません。交渉をしてみなくては」


それを聞いて、人垣の端にいた誰かが、先生を呼んできます、と声を上げて駆けていった。その後も集まった野次馬に解散するよう慎み深い言い回しで要求し、クラスメイト達に他に変わった点がないか探すのを協力してくれるよう声をかけ、ライアは次々と混乱を治めていく。

随分と面倒ごとに慣れた手際の良さに、ノエルは少しばかりあっけにとられていた。そしてそれと同時に、自分に対してただひたすらに都合の良いライアという存在に対して、初めて疑念を覚えた。

自分は会話が下手で、協調性がなくて、面白みも多分なく、そして人の心を読める魔術師の息子だから、と嫌われている。

全てが事実だ。そして根強く自分を嫌う人々の疑念は、ある意味当然のことだと言えた。

ノエルは彼らの心配どおり、人の心を読めるのだ。

正確には感情を、だが。


例えば魔獣と呼ばれる動物たちは技術としての魔法を習得しておらずとも、それぞれが様々な魔法を使うことができる。

同じように、人間の中にも、魔法を習う前から扱える者は存在する。それらは大抵小さな風を起こせるだとか、撫でた場所を少しだけ癒やすことができるだとか、触れたものを温めることができるなんていう、そんな些細なものだ。強いものであれば大きな学校や宮廷、神殿などからスカウトが来て、将来有望な魔術師として育てられることになる。

ノエルにもまた、生まれながらに扱える魔法があった。それが人の感情を読む魔法だ。

それに父が気付いたのは、彼の観察力の賜だ。自分に似てまったく対話能力が低い息子が、しかし人の気持ちだけはたびたび良く理解していることを不思議に思い、ノエルと根気強く対話して原因を見つけ出したのである。

幼い頃はせいぜい、特別集中すると、嬉しそうだとか怒っていそうだとか、そんなぼんやりとした気持ちがわかる程度だった。そんなことは、むしろ魔法を使っていなかろうがわかる人間のほうが多いだろう。

しかし繰り返し使うことによって魔法の精度は少しづつ上がり、ノエルはだんだんと感情を細かく理解できるようになってしまった。


心を読む魔法は、実現すれば役に立つ場面は多い。例えばスパイや犯人捜しなどでは勿論活躍できるし、あるいは大怪我や大病でコミュニケーション手段を失った人とも対話できるようになったり、土砂崩れや雪崩などの災害が起きたとき、魔力が薄く魔術師でも探知が難しいような相手でも、思考を辿って瓦礫の中から探し出すこともできるだろう。

一方でデメリットはわざわざ語る必要も無いほど存在していた。

もしも自分の横に自分の頭の中を読める人間が居たとしたら、たとえやましいところがなかろうが、落ち着かない人間のほうがこの世には多いだろう。たとえ思考が読めるわけではないと言い訳しても、ノエルの特技が知られてしまえば、一般社会から排斥されるのは時間の問題だ。あるいは権力者によって殺害を命じられるか、利用される可能性もある。

だからノエルの父はノエルに力のことを隠すよう厳しく言いつけ、ノエルが自分の魔法の制御をしやすいよう、心を読む魔法の研究をしてくれた。幸いこの魔法に興味のある人間は大勢いたし、研究は上手くいっていた。ノエルは父のお陰で今では完璧に魔法を制御し、普段はまったく他人の感情を覗かず過ごしている。目の前の相手の感情の機微を魔法でつぶさに知れるよりは、察しが悪く人の気持ちがわからないままでいるほうが、結果的に面倒が起きないだろうというのは、父との話し合いでも達した結論である。

とはいえ孤児になってからはどうしても相手の真意を知る必要がある場面も多く、何度か魔法を使ったこともあったのだが、乱用はしていない。

しかし、今、どうしても、ノエルは王子が何を思っているのか気になって仕方がなかった。

本当に自分を疑っていないのか? この奇妙な出来事をどう感じているのか? そもそも本当に自分と仲良くなりたいのか?

知らないことは、知りたい。それはノエルの中で一番と言って良いほど大きな欲求だ。

ついでに言うなら、その気になれば平民一人あっさりと存在を消せるであろう程の権力者が自分をどう思っているのか確認することは、自衛として当然必要という気もしないでもない。

魔法の発動は簡単だ。感情を読みたい対象に意識を集中して、じっと見つめれば良い。元々興味のあるものを凝視しがちなノエルは、この魔法を使っていて不審に思われたことは一度もなかった。

だからいつものように、王子をじっと見つめる。知りたい、という純粋な気持ちのままに。

その視線に気付いたのかこちらを振り向いた王子は、再びにっこりとノエルへ笑いかけた。


「ノエルくん、一緒に事件を解決しましょうね!」


そう言う王子の心の中は、……喜びに満ちあふれていた。

あるいは夢見るような、もしくは未来への希望を感じているというか。

例えるならそう、学園に来たばかりの新入生が、きっと楽しい生活が始まるのだとわくわくと心躍らせるような、そんな感情が彼の中には満ちていたのだ。

そこに疑念だとか、悪意だとか、悲しみだとか、暗いものは欠片も見当たらない。王子はただただこの事件を夢いっぱいに前向きに受け止めているし、ノエルのことも好いているようだった。無邪気としか言いようがない。

魔法をぱっと解除した直後も、ノエルはあんまりにも明るい感情に当てられて、なんだか目の前がチカチカするようだった。

王子はノエルがやったのではないと本当に腹の底から思っているし、自分の席が何故かめちゃくちゃ汚れていてもまったく気にしていないし、自分たちで事件を解決するのを当然のことだと思っている。

この王子様はちょっと変だ。けれど悪気はない。

そして本当のことを探求しようという意欲がある。

それだけわかれば十分だった。


「殿下、気付いたことがあるんだけれど……」


そう話しかけたノエルに、ライアはやっぱりただただ楽しそうに笑うのだった。

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― 新着の感想 ―
あのね、多分だけどね、疑ってないとかじゃなく『誰が犯人だとしても面白そうだなぁ!』って心の底から思ってるだけだと思うの
友達が冤罪かけられそうで困ってるのに、めっちゃ喜んでる王子もそれはそれで怖いけどw 同情とか義憤とかじゃなく、一点の曇りもない歓喜!
王子! 供給だよ! やったね!! お肌がツヤツヤして目がキラキラしちゃうね。 ノエルくんはこのまま王子を踏み台にして幸せになってくれると信じています。踏み台は嬉しそうに笑っていると思うんで平気じゃな…
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