休暇制度
アレンは屋敷の廊下を歩いていた。
すると、掃除をしているメイドの様子がおかしいことに気づいた。
手は動いているものの、どこか上の空だ。同じ場所を何度も拭いているし、表情も暗い。
アレンは足を止めた。
「おい、何だその辛気くさい顔は」
「は、はい! 申し訳ございません、若様!」
メイドは慌てて頭を下げた。
「謝れと言っているんじゃない。仕事をするなら、ちゃんと仕事をしろ。そんな顔をしていたら、こっちまで気分が悪くなるだろうが」
「申し訳ございません……」
「だから謝罪はいらん。何かあったのかと聞いているんだ」
「実は……子供が熱を出してしまいまして」
「子供?」
「はい。朝から熱がありまして、夫に看病を任せてきたのですが、やはり心配で……」
メイドは申し訳なさそうにうつむいた。
アレンは面倒くさそうに頭をかいた。
「なるほど。それで仕事が手につかないわけか」
「はい。本当に申し訳ございません」
「お前、今すぐ帰れ」
「……え?」
メイドが顔を上げた。
予想外の言葉だったのだろう。驚いた表情でアレンを見つめている。
「聞こえなかったのか? 帰れと言ったんだ」
「ですが、まだ仕事が残っておりますし……」
「お前一人いなくなったところで、この屋敷が回らなくなるわけでもないだろう」
「しかし……」
「仕事に集中できない人間を置いておいても仕方がない。掃除のやり直しをさせられる方が面倒だ。ほら、さっさと帰れ」
「ありがとうございます、若様!」
メイドは深々と頭を下げた。
「勘違いするなよ。俺は辛気くさい顔を見ながら仕事をされるのが嫌なだけだ。感謝されるようなことはしていない」
「それでも、ありがとうございます!」
「……話が通じないな。もういいから帰れ」
アレンは手を振ってメイドを追い払った。
メイドは何度も頭を下げると、急いで屋敷を出ていった。
その後ろ姿を見送ったアレンは、ようやく廊下の掃除が再開されることに満足した。
「まったく。仕事中に余計なことを考えるなよな」
そもそも、子供が熱を出したからといって、仕事中ずっと心配していたところで熱が下がるわけではない。
それなら家に帰って様子を見ていた方が、本人にとっても都合がいいだろう。
アレンとしては、それだけの話だった。
◆
「メイド長」
「はい、若様。何か御用でしょうか?」
アレンは廊下の向こうで仕事の指示を出していたメイド長を呼び止めた。
「さっき、子供が熱を出したというメイドを一人帰らせたぞ」
「はい。本人からも報告を受けております」
「何か問題があるか?」
「いいえ。メイドの人数には余裕がございますので、業務に支障はございません」
「そうか」
アレンは少し考え込んだ。
人手に余裕があるということは、誰かが急に休んでも仕事が回るということだ。
ならば、最初から休みを設けておけばいい。
全員が限界まで働かなければ維持できないような仕組みにしておく意味が分からない。
「なら、メイドの数に余裕があるなら、月に数日ずつ仕事をしない日を作ってやれ」
「……休暇、ということでしょうか?」
「ほかに何があるんだ?」
「いえ、しかし……使用人が定期的に休暇を取るというのは、あまり聞いたことがございませんので」
「聞いたことがないから何だ?」
「いえ……」
メイド長は返答に困った。
この世界では、使用人は主人の都合に合わせて働くものだ。
仕事がなければ休めることもあるが、あらかじめ休みの日を決めるという習慣は一般的ではない。
家族が病気になった場合でも、代わりの人員がいなければ仕事を優先するのが当たり前だった。
しかし、アレンにはそんな常識など関係なかった。
「全員が同じ日に休む必要はないだろう。交代で休ませればいい。人数が足りているなら、できるはずだ」
「それは可能ですが……よろしいのですか?」
「何がだ?」
「休暇を認めれば、その分、働く日が減ってしまいます」
「だから何だ?」
アレンは不思議そうに聞き返した。
「人手が足りていると言ったのはお前だろう。余裕があるのに全員を働かせ続ける理由があるのか?」
「……ございません」
「なら決まりだ。月に何日か、必ず休める日を作れ」
「承知いたしました」
「それと、家族が病気になったり、本人の体調が悪くなったりした場合も、必要なら休ませろ。いちいち許可を取るために時間をかけるな」
「かしこまりました」
「急に休まれたら困るというなら、最初から人員に余裕を持たせておけばいい。普段からぎりぎりの人数で回そうとするなよ」
アレンはそれだけ言うと、話は終わりだとばかりに歩き出した。
メイド長は、その背中を見送りながら考え込んだ。
定期的な休暇。
家族の事情による急な休み。
そして、欠員が出ても仕事が回るだけの人員配置。
どれも、使用人にとってはありがたい制度だった。
しかも、休暇を認める代わりに給料を減らすという話もない。
「……若様は、ずいぶんと合理的なお考えなのですね」
メイド長は小さくつぶやき、すぐに制度の導入に取りかかった。
◆
それから数か月後。
「若様、メイドの応募が届いております」
「またか?」
アレンはソファーに寝転がったまま、メイド長の報告を聞いた。
「はい。今回も複数名から応募がございました」
「人手が足りないわけでもないのに、まだ募集していたのか?」
「今後の欠員に備えて、ある程度の人員を確保しておくようにとのご指示でしたので」
「そうだったな」
アレンは適当に返事をした。
確かに、休暇を取る人間が増えれば、その分の人員は必要になる。
だからといって、ぎりぎりの人数で仕事を回すのは面倒だ。余裕があるなら、その状態を維持できるようにしておけばいい。
「それで、今回は何人採用するんだ?」
「面接の結果にもよりますが、三名ほどを考えております」
「任せる。仕事ができる人間を選んでおけ」
「かしこまりました」
メイド長は一礼してから、ふと思い出したように付け加えた。
「ちなみに、応募者が増えているのは、休暇制度の評判が広まっているためのようです」
「休暇制度?」
「はい。月に何日か必ず休めるうえ、家族の急病などでも休暇を認めてもらえる。そのような職場は珍しいそうです」
「……そんなことで応募が増えるのか?」
アレンは首を傾げた。
仕事ができる人間なら、働いた分だけ給料をもらえる方が重要なのではないか。
休みが何日あるかなど、そこまで大きな違いになるとは思っていなかった。
「以前から働いているメイドたちの評判もよろしいようです。知人に紹介している者もいると聞いております」
「ふーん」
アレンは興味なさそうに相づちを打った。
しかし、メイド長の説明は間違っていなかった。
使用人が休暇を取ること自体は、絶対に不可能というわけではない。だが、定期的に休めると決まっている職場は少ない。
まして、家族が病気になったからといって、気兼ねなく仕事を休める場所となれば、さらに限られる。
そのため、アレンの屋敷は使用人たちの間で評判になっていた。
仕事を辞めずに家族の面倒を見られる。
体調が悪いときに無理をしなくて済む。
休暇を取ったからといって、周囲から責められることもない。
働く側からすれば、長く勤めるうえで大きな利点だった。
「まあ、応募が増えるのは別に構わん。人手が足りなくなってから慌てるのも面倒だからな」
「では、今後も余裕を持って採用を進めます」
「そうしてくれ」
アレンはそれだけ言うと、再びソファーに寝転がった。
自分が導入した制度が、使用人たちの間で評判になっている。
しかし、アレンにしてみれば、特別なことをしたつもりなどなかった。
人手が足りているから休ませる。
急に休まれても困らないように人員を確保する。
仕事に集中できない人間を無理に働かせない。
どれも、自分が面倒な思いをしないための判断にすぎない。
「さて、今日は何をして遊ぶかな」
アレンは、屋敷の労働環境よりも自分の暇つぶしの方が重要だった。
こうして、本人にはまったく自覚がないまま、アレンの屋敷はこの世界でも珍しいほど働きやすい職場になっていった。
そして今日も、メイドたちは休暇を取りながら、アレンの屋敷で働いている。




