子煩悩
アレンの悪役ムーブは、すっかりなりを潜めていた。
もちろん、本人に自覚はない。
屋敷では相変わらず不満を漏らし、使用人たちに偉そうな態度を取っている。
「まったく、どうして俺がこんなことまで気にしなければならないんだ」
今日も今日とて、アレンは不機嫌そうに文句を言っていた。
使用人たちは、いつも通りのアレンだと安心する。
しかし、彼らは知っていた。
アレンには、誰にも見られたくない秘密があることを。
それは、子供を溺愛しているということだった。
アレンは人目を避け、子供と二人きりになれる時間を作っていた。
そして、その時間になると普段の態度が嘘のように変わる。
「よし、今日は何をして遊ぼうか」
子供の前では、普通の父親だった。
子供が積み木で遊んでいれば、もっと遊びやすいものを用意してやりたいと思う。
文字に興味を示せば、覚えやすい教材を作ってやりたいと思う。
ただし、アレンは自分の本心を素直に口にするつもりはなかった。
それでは悪役令息としての威厳が損なわれるからだ。
だから、使用人を呼びつけると、いつものように偉そうに命令する。
「おい、積み木を作れ」
「かしこまりました」
「それから、あいうえお表も作れ」
「……あいうえお表、でございますか?」
「そうだ。文字を覚えるための表だ。文字と、それに対応する絵を一緒に載せれば分かりやすいだろう。そんなことも分からないのか?」
「なるほど! 確かに、それは良いアイデアでございますね!」
「ふん。当然だ」
アレンは満足そうに頷いた。
子供の教育のために考えたとは、口が裂けても言わない。
あくまでも、自分の思いつきを実現させるために命令しただけなのだ。
もっとも、命令された使用人は、アレンの意図などとっくに察していた。
最近のアレンは、子供のために何かを用意させることが増えている。
しかも、そのたびに子供が喜びそうな工夫まで細かく指示してくるのだ。
どう見ても、子供を喜ばせたい父親である。
しかし、誰もそれを口にしなかった。
アレンが必死に隠しているつもりなのだから、そっとしておいてあげよう。
それが、屋敷の使用人たちの共通認識だった。
やがて、積み木が完成し、あいうえお表も用意された。
アレンは子供と一緒に積み木で遊び、あいうえお表を見せながら文字を教えた。
子供が楽しそうにしているのを見て、アレンは内心で満足する。
うむ、よくできている。
やはり、俺の命令は正しかったな。
アレンは、自分の隠れた教育方針に満足していた。
だが、話はそれだけでは終わらなかった。
使用人の一人が、完成したあいうえお表を見て感心したのだ。
文字だけを並べるのではなく、絵と組み合わせることで、文字を知らない子供でも覚えやすくなる。
これは、子供の教育に役立つのではないか。
そう考えた使用人は、アレンの許可を得て、あいうえお表を領内でも活用できるようにした。
すると、評判は上々だった。
農民たちの中には、文字を読めない者も少なくない。
しかし、絵と文字を組み合わせた表なら、子供たちにも教えやすい。
子供が文字を覚えれば、親も一緒になって学ぶようになる。
こうして、あいうえお表は領内の各地へと広まっていった。
やがて、子供だけでなく大人の間でも文字を学ぶ者が増え、領地全体の識字率が上昇していったのである。
その結果、領地の運営にも良い影響が出始めた。
お触れを読める者が増え、商取引の記録を自分で確認できる者も増えた。
文字を読めることが、日々の暮らしに役立つと実感する領民も増えていく。
もちろん、アレンはそんなことを知る由もなかった。
ある日、領地の報告書を読んでいたアレンは、ふと気になる記述を見つけた。
「……領内の識字率が上がっている?」
以前よりも、文字を読める農民が増えているらしい。
アレンは首を傾げた。
「いったい何があったんだ?」
報告を持ってきた使用人は、平然と答えた。
「旦那様が作らせた、あいうえお表のおかげでございます」
「……は?」
「子供たちにも分かりやすいと評判になりまして。今では領内のあちこちで使われております」
「俺は、ただ子供のために作らせただけだぞ?」
「はい。存じております」
使用人は微笑んだ。
アレンは眉をひそめた。
「なぜ、それが領地全体に広まるんだ……」
「大変素晴らしいご発案だったからでございましょう」
「……ふん。まあ、俺が考えたものだからな。当然か」
アレンは腕を組み、満足そうに頷いた。
子供を喜ばせるために用意したものが、領地の発展にまでつながった。
しかし、本人はあくまでも、自分の命令が優れていたからだと思っている。
そして今日も、アレンは誰にも知られていないつもりで、子供のために新しい遊び道具を考えていた。
屋敷の使用人たちは、その姿を温かく見守っていた。
アレンの悪役ムーブは、子供の前では完全に消えている。
それでも屋敷では、相変わらず不満を漏らし、偉そうに命令を下す。
本人は、それでうまく隠せていると思っているのだから、なおさら面白い。
そして、アレンのわがままは、なぜか領地の発展を促すのだった。




