一歩進んで二歩下がる
ある日、アレンの屋敷に婚約者のマリンが訪れた。
「お邪魔するわね」
「ああ。ゆっくりしていってくれ」
マリンは屋敷の中を歩きながら、周囲を見回していた。
以前にも来たことがあるが、今回は少し気になるものが目に入った。
「……ここは何?」
「使用人用のトイレだ」
「使用人用?」
「ああ。屋敷で働いている人間が使うためのものだ」
主人や客が使う場所とは別に、使用人が使えるトイレが用意されている。
マリンは少し驚いた。
「わざわざ使用人のために作ったの?」
「働いているんだから、そのくらいあったほうがいいだろ」
アレンは何でもないことのように答えた。
使用人が仕事中に遠くまで行く必要もなく、主人や客に気を遣う必要もない。
アレンにとっては、仕事をしやすくするための設備を用意しただけだった。
マリンは屋敷の中をさらに見ていく。
使用人が仕事をしやすいように配置された道具。
休憩できる場所。
使いやすく整えられた作業場。
特別に豪華というわけではない。
だが、使用人を粗末に扱っている屋敷ではなかった。
「……使用人のことは、ちゃんと考えているのね」
「当然だろ。働いてもらっているんだから」
「そう」
マリンは少しだけアレンを見直した。
これまでの言動を考えれば、簡単に評価を変えるつもりはない。
それでも、使用人のために設備まで用意していることは悪くないと思った。
「少しだけ見直したわ」
「そうか?」
アレンは特に気にしていない。
二人が廊下を歩いていると、マリンはふと違和感を覚えた。
「……あれ?」
「どうした?」
「前に来たときより、使用人が増えていない?」
「ああ。増やしたぞ」
「どうして?」
「必要だからだ」
アレンは当然のように答えた。
「屋敷の仕事も増えたし、人手が多いほうが楽だからな」
「そう……」
マリンは納得しかけた。
しかし、すぐに別のことを思い出した。
「それって、奴隷も増やしているってこと?」
「ああ」
「……」
マリンの表情が変わった。
「最近、また奴隷を買ったの?」
「買ったぞ」
「どうして?」
「護衛が必要になったからだ。アリス一人では、複数の相手に襲われたときに対応できないからな」
アレンにとっては、自分の身を守るために必要な人材を増やしただけだった。
だが、マリンには別の印象を与えた。
せっかく使用人を大切にしていることを知って、少し見直したばかりだった。
それなのに、今度は奴隷を増やしている。
「……そう」
マリンの中で、先ほどまで上がっていた評価が下がっていく。
そして、さらに気になることがあった。
「それで、メイドも増えているのよね?」
「ああ」
「……何人くらい?」
「これからも増やすつもりだ」
「どうして?」
アレンは少し考えてから答えた。
「跡継ぎのためだ」
「……」
マリンは言葉を失った。
「俺の家は子どもができにくいからな。万が一に備えて、子どもを持つ可能性のあるメイドも増やしている」
アレンは淡々と説明する。
アレンにとっては、家を残すための保険だった。
しかし、婚約者であるマリンにとっては、簡単に聞き流せる話ではない。
「せっかく少し見直したのに……」
「何がだ?」
「何でもないわ」
アレンは首を傾げる。
使用人を大切にすることと、必要な人材を増やすことは別の話だと思っている。
だが、マリンの評価はそう簡単には割り切れなかった。
使用人のために設備を整えている。
そこは確かに少し見直せる。
しかし、奴隷を増やしている。
その時点で、せっかく上がった評価はまた下がった。
さらに、跡継ぎのために子どもを持つ可能性のあるメイドまで増やしている。
「……やっぱり、アレンはアレンね」
「だから、どういう意味だ?」
「そのままの意味よ」
マリンはため息をついた。
使用人を大切にしていることは分かった。
そこだけなら、少しは見直してもいい。
けれど、奴隷を増やしていることを知れば、やはり複雑な気持ちになる。
そのうえ、跡継ぎのためのメイドまで増やしている。
マリンの中で、せっかく少し上がったアレンへの評価は、結局また下がってしまった。




