9話 少女の発表
札幌未来科学交流館の前には、多くの人が集まっていた。
スーツ姿の男女が談笑しながら館内へ向かい、その横を大学生らしき集団が資料を片手に足早に通り過ぎていく。
休日のイベントというより、学会のような落ち着いた空気だった。
「思ったより堅い雰囲気だな」
誠が辺りを見回しながら呟く。
「ニュースじゃもっと一般向けのイベントかと思ってた」
「俺も」
受付で受け取ったパンフレットを開く。
大学研究室の展示。
企業の技術紹介。
特別講演。
思っていた以上に専門色が強い。
数日前、何気なく見ていたニュース。
高校生が札幌科学技術フォーラムへ特別招待される。
そんな短い特集だった。
目当てのページを探し、手を止める。
そこには、あの時テレビで見た名前があった。
特別招待研究発表
白石 澪
『熱流制御に関する基礎研究』
名前の横には、小さく「大学推薦」と書かれている。
「大学推薦だったんだ」
思わず声が漏れた。
誠も横からパンフレットを覗き込む。
「ニュースじゃそこまで言ってなかったよな」
「うん」
「高校生なのに大学推薦か……」
誠は感心したように息を漏らした。
「すげぇな」
「そうだね」
樹は素直に頷いた。
「だから余計に聞いてみたくなった」
「どんな研究なんだ?」
「それもだけど」
少し笑う。
「ニュースじゃ数十秒しか映ってなかったし」
「ちゃんと本人の話を聞いてみたい」
「お前らしいな」
誠は苦笑する。
「面白そうと思ったら、とりあえず見に行く」
「その方が早いからね」
樹はパンフレットを閉じ、腕時計へ目を落とした。
十時五十七分。
「あと三分か」
「急ぐぞ」
二人は講演ホールへ向かった。
入口には既に多くの人が集まり、開演を待っている。
教授らしき人物が資料へ目を通し、企業の研究者同士が小声で意見を交わしていた。
最後列の席へ腰を下ろす。
ほどなくして照明がゆっくり落ち、ざわめきが静まっていく。
一人の女子生徒が壇上へ歩み出た。
ニュースで見た制服姿だった。
樹は手元のパンフレットへ目を落とす。
『白石 澪』
その名前を確かめるように、もう一度壇上を見た。
静かに姿勢を正した。
◇
壇上へ立った白石澪は、会場を一度見渡すと、小さく一礼した。
「本日はお忙しい中、ご来場いただき、ありがとうございます。
これより、『熱流制御に関する基礎研究』について発表させていただきます」
落ち着いた声だった。
緊張していないわけではない。
それでも言葉が乱れることはなく、一つひとつ丁寧に積み重ねていく。
スクリーンへ最初のスライドが映し出された。
熱は高い場所から低い場所へ移動する。
そんな中学校で習うような基本原理から始まり、実験方法、測定結果、考察へと話は進んでいく。
専門用語は多い。
だが、説明は驚くほど分かりやすかった。
「高校生って聞いてたけど……」
誠が小さく呟く。
「普通に大学の講義じゃねぇか」
樹も静かに頷く。
説明は論理的で、無駄がない。
一つの結果に対して複数の可能性を挙げ、その中から実験結果に最も一致するものを選び出している。
飛躍がない。
だから聞いていて気持ちがいい。
会場の研究者たちも真剣な表情でスライドを見つめていた。
やがて発表は終盤へ入る。
「以上の結果から、熱流を制御することで、従来より高い断熱性能が得られる可能性を確認しました」
スクリーンには最後の実験結果が表示される。
会場は静まり返っていた。
高校生への拍手というより、一人の研究者へ送られる拍手。
そんな空気だった。
やがて誰かが拍手を始める。
その音は少しずつ広がり、講演ホール全体を包み込んだ。
樹も自然と手を叩く。
「すごいな」
誠が素直に感心する。
「うん」
樹もそう思った。
本当に、よく考えられている。
ただ――。
「……惜しい」
思わず心の中で呟いた。
どうしてそう思ったのか。
自分でも分からなかった。
間違っているわけじゃない。
理論も実験も、きちんと積み上げられている。
でも。
あと一歩。
本当にあと一歩だけ届いていない。
そんな不思議な感覚が胸に残った。
壇上では、澪が静かにマイクを持ち直す。
「それでは、ご質問をお受けします」
澪がそう告げると、すぐに一人の男性が手を挙げた。
大学教授らしい初老の男性だった。
「実験条件についてお聞きします。
温度差を三十度に設定されていますが、その理由を教えていただけますか」
「はい」
澪は一枚前のスライドへ戻す。
「実験開始時の安定性と再現性を考慮した結果です。
十五度、三十度、五十度で比較したところ、三十度が最も測定誤差を抑えられました」
「ありがとうございます」
教授は満足そうに頷き、席へ戻る。
続いて企業研究者が手を挙げた。
「実用化を考えた場合、コスト面はどのように考えていますか」
「現段階では基礎研究ですので、実用化までは考えていません。
ただ、素材の変更によって改善できる可能性はあります」
簡潔で無駄がない。
質問はさらに二、三続いた。
測定方法。
誤差。
使用した装置。
どれにも澪は落ち着いて答えていく。
「……すごいな」
誠が小さく呟く。
「ちゃんと全部答えてる」
「うん」
樹も素直に感心した。
知識だけじゃない。
自分で考え、自分で検証してきた人の話だ。
だから答えに迷いがない。
やがて会場が静かになる。
質問は一通り終わったようだった。
樹はゆっくりと手を挙げる。
「はい」
澪の視線がこちらを向く。
「すみません」
「一つ、お聞きしてもいいですか」
「はい」
樹は少しだけ考えながら口を開いた。
「今回の研究って、熱が外へ逃げることを前提に考えていますよね」
「はい」
「熱を止めるんじゃなくて」
樹は少し考えた。
「熱が流れる向きそのものを、設計する方向では考えませんでしたか」
「逃げる熱を遮るだけじゃなくて、別の場所へ誘導するとか」
「もし、その前提を変えられたら、結果も変わるのかなって」
澪は返事をしない。
スクリーンではなく、自分のスライドへ視線を落としたまま考え込んでいる。
数秒。
会場にも沈黙が流れた。
誠は隣で小声になる。
「……なんか変なこと聞いたか?」
「いや」
樹は首を横へ振る。
「気になっただけ」
その時だった。澪の中でカチッっという音がした気がした。
「……なるほど」
澪が静かに顔を上げる。
「その前提では考えていませんでした」
会場のあちこちで小さく資料をめくる音がした。
教授が腕を組み直す。
企業研究者が身を乗り出す。
壇上の澪は、樹だけを見ていた。
「もしよろしければ」
一呼吸置いて続ける。
「その考え方について、もう少し詳しくお聞きしてもよろしいでしょうか」




