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3026  作者: Dar_3026
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6話 自分以外の力

 翌日の放課後。

 理科室には、昨日と同じ静かな時間が流れていた。

 澪は昨日の実験結果を見直しながら、新しい条件を書き加えていく。

 失敗した理由。

 不足していた材料。

 代用品による誤差。

 一つずつ整理し、次の実験方法を考える。

 カチリ。

 立体パズルが静かに回る。

「白石」

 佐伯が理科室へ入ってきた。

「昨日の続きか?」

「はい」

「ちょっと見せてもらってもいいか?」

 澪は迷うことなくノートを差し出した。

「どうぞ」

 佐伯はノートを受け取り、最初のページを開く。

 数式。

 図。

 計算式。

 実験結果。

 ページをめくるごとに、その表情が少しずつ変わっていく。


「……」


 さらにページをめくる。

 止まる。

 もう一度戻る。

 別のページを見る。

「白石」

「はい」

「これ、本当に自分で考えたのか?」

 澪は少しだけ考えた。

「分かりません」

「分からない?」

「考えた、という感覚ではありません」

「では?」

「思い出した……に近いです」

 佐伯は眉をひそめる。

「誰かに教わった?」

「記憶にはありません」

「本で読んだ?」

「覚えていません」

「インターネットは?」

「調べていません」

 佐伯は黙り込んだ。

 嘘をついているようには見えない。

 むしろ本人が一番困っている。

 もう一度ノートへ目を落とす。

 理解できる部分もある。

 だが、その先は大学レベルどころではない。

 それでも理論は破綻していなかった。


「……」


 佐伯はゆっくりとノートを閉じた。

「白石」

「はい」

「先生一人では判断できない」

 澪は静かに頷く。

「はい」

「大学時代の恩師に相談してもいいか?」

「構いません」

 佐伯は少し驚いた。

「迷わないんだな」

「もし私が間違っているなら、教えていただきたいので」

 その返答に、佐伯は小さく笑う。

「そうか」

「ありがとう」

 佐伯は理科室を出ようとしたとき、扉の前で一度立ち止まり、振り返った。

「白石」

「はい」

「これは、まだ誰にも話してないな?」

「先生が初めてです」

「分かった」

 佐伯は静かに頷く。

「まずは私が確認する」

 扉が閉まる。

 足音が廊下の向こうへ消えていった。

 理科室に静けさが戻る。

 澪は再びノートを開く。

 そして、佐伯が指摘したページを見つめる。


「……」


 カチッ。

 立体パズルが、小さく音を立てた。

「一人では、確認できませんね」

 初めて、自分以外の力が必要だと認めた瞬間だった。



 数日後。

 放課後の理科室には、いつもより少し緊張した空気が流れていた。

 佐伯の隣には、見慣れない男性が立っている。

 年齢は五十代ほど。

 白衣こそ着ていないが、落ち着いた雰囲気から研究者であることが伝わってきた。

「白石さん」

 佐伯が穏やかに紹介する。

「こちら、私が大学時代にお世話になった山城先生です」

 男性は軽く頭を下げた。

「北日本科学大学工学部の山城です。よろしくお願いします」

「白石澪です」

 澪も一礼する。

「先生から話は伺っています」

 山城は柔らかく微笑んだ。

「ノートを見せていただいても?」

「はい」

 澪は机の上のノートを両手で差し出した。

 山城は礼を言うと、その場でページをめくり始める。

 理科室には紙をめくる音だけが響いた。

 最初の数ページは静かだった。

 実験結果。

 考察。

 修正点。

 淡々と読み進めていた山城の指が、一枚のページで止まる。


「……」


 もう一度読む。

 次のページへ進む。

 そして前のページへ戻る。

 何度か繰り返したあと、山城は小さく息を吐いた。

「先生」

 山城は佐伯へ視線を向けた。

「これは、本当に白石さん一人でまとめたものですか?」

「私が確認した限りでは、その通りです」

 佐伯は静かに答える。

「私も最初は信じられませんでした」

 山城はゆっくりと澪へ向き直った。

「白石さん」

「はい」

「どこかの論文を参考にしましたか?」

 澪は首を横に振る。

「いいえ」

「大学の研究室へ出入りしたことは?」

「ありません」

「誰かに教わった記憶は?」

「ありません」

 山城は腕を組んだ。

 澪の表情をじっと見つめる。

 困っている様子はある。

 だが、嘘をついている様子はまったくない。

「では、この理論はどうやって?」

 少し考えたあと、澪は静かに答えた。

「……思い出した、という表現が一番近いと思います」

 佐伯は山城を見る。

 山城も言葉を返さない。

 理科室が静まり返る。

 やがて山城はノートを閉じた。

「先生」

 佐伯が姿勢を正す。

「はい」

「この内容は、高校で扱う範囲を超えています」

「……やはり、そうですか」

「ええ」

 山城は頷いた。

「少なくとも、ここに書かれた計算には大きな破綻がありません」

 山城は再びノートを開き、一つのページを指差した。

「ですが、この実験」

 澪もページを覗き込む。

「必要な設備がありません」

「はい」

 澪は静かに頷いた。

「学校では再現できませんでした」

「その判断も正しいと思います」

 山城は少しだけ笑みを浮かべた。

「失敗した原因まで、きちんと整理できていますね」

「ありがとうございます」

 山城はノートを閉じ、佐伯へ向き直る。

「先生」

「はい」

「一度、大学で正式に確認したいと思います」

「ご協力いただけますか」

 佐伯は安堵したように笑った。

「もちろんです」

「私も、その方がいいと思っていました」

 山城は最後に澪を見る。

「白石さん」

「はい」

「近いうちに、もう一度お時間をいただけますか」

「構いません」

「ありがとうございます」

 山城は穏やかに微笑み、理科室をあとにした。

 扉が閉まる。

 静けさが戻る。

 澪はノートを開き、山城が指差していたページを見つめた。

 山城教授でも、考え方は同じだった。

 つまり。

 つまり。少なくとも、理論は否定されなかった。

 カチッ。

 立体パズルが、小さく音を立てる。

「……次は、大学の設備ですね」

 新しい検証方法が決まり、澪は静かにノートへ一行書き加えた。

『大学設備にて再検証』



 翌週。

 放課後の理科室へ入ると、佐伯がどこか落ち着かない様子で待っていた。

「白石、ちょっといいか」

「はい」

 澪は荷物を机へ置き、佐伯の前へ立つ。

 佐伯は一枚の封筒を差し出した。

「北日本科学大学からだ」

 澪は静かに受け取り、中の書類へ目を通す。

 数秒後、小さく顔を上げた。

「札幌科学技術フォーラム……ですか」

「ああ」

 佐伯は嬉しそうに頷く。

「大学側から正式に推薦があった」

「君の研究を展示してほしいそうだ」

 澪はもう一度書類を読み返した。

 開催日時。

 会場。

 展示内容。

 質疑応答。

 一つひとつ確認していく。

「どうだ?」

 佐伯は少し期待した表情を向ける。

 澪は書類を閉じた。

「参加します」

「おお!」

 佐伯は思わず声を上げる。

「よかった……!」

 その反応に、澪は少しだけ首を傾げた。

「そんなに珍しいことなんですか?」

「珍しいなんてもんじゃない」

 佐伯は苦笑しながら椅子へ腰掛ける。

「高校生が大学推薦で札幌科学技術フォーラムへ出展なんて、先生も初めてだ」

「そうなんですね」

 澪は淡々と頷く。

「私としては、大学の設備で検証できるなら十分です」

 佐伯は思わず笑ってしまう。

「そこなんだな」

「はい」

「展示より実験の方が楽しみです」

 その返答に、佐伯は肩をすくめた。

「君らしい」

 理科室に穏やかな空気が流れる。

 佐伯は改めて資料を開いた。

「これから準備で忙しくなるぞ」

「展示パネルも作る」

「実験内容も一般の人に分かるよう説明しなきゃならない」

 澪は資料を見ながら、小さく呟く。

「分かるように……」

 研究内容を理解することは得意だ。

 だが、それを誰かへ伝える経験はほとんどない。

 資料を読み返す。

 専門用語ばかりでは伝わらない。

 式だけ並べても理解してもらえない。

 しばらく考え込む。

 そして。

 カチッ。

 立体パズルが、小さく音を立てた。

「……説明も、検証の一つですね」

 佐伯はその言葉に目を丸くする。

「検証?」

「はい」

「相手に伝わらなければ、私の理解も足りないということです」

 佐伯はゆっくり頷いた。

「なるほど」

「その考え方は、研究者向きかもしれないな」

 澪は静かに微笑んだ。

「そういう考え方もあるんですね」

 佐伯も笑みを返す。

「じゃあまずは、展示資料作りから始めよう」

「はい」

 澪は新しいノートを取り出し、表紙へ静かに書き込む。

『札幌科学技術フォーラム』

 その文字を見つめ、小さく頷く。

 これもまた、一つの実験だった。

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