50話 同じ方向
試食が終わると、全員で片付けを始めた。
誠は紙皿をまとめ、樹は使った椅子を壁際へ戻していく。
明日香と香織はキッチンカーの中で、残った料理と調理器具を片付けていた。
神谷は、明日香が書いた材料費のメモを見ている。
「この値段で出すのか」
「予定ではね」
「安くないか」
「最初から高くしたら買ってもらえないでしょ」
横からメモを見た香織が尋ねる。
「これ、材料費だけですか?」
「そうだけど」
「容器代は?」
明日香が止まった。
「……入れてない」
「ほかにもありそうだな」
神谷はメモを返した。
「一回、使う物を全部書き出せ」
「分かった」
「白石さん、あとで確認してもらってもいいですか」
「私で分かる範囲なら」
香織はそう答えたあと、壁際の椅子へ歩み寄った。
澪の膝掛けの端を揃え、ずれていた背もたれへ掛け直す。
持ち帰ることはしなかった。
「明日も来ます」
香織が言った。
「私も来るよ」
明日香が続ける。
「もともと作業する予定だったし」
「その作業は、いつ終わるんだ」
神谷が聞く。
「もうすぐ」
「朝も聞いたな」
「朝よりは近づいてる」
ガレージ内の照明が、一つずつ消されていく。
「樹、送るぞ」
誠が車の鍵を取り出した。
「俺はもう少し残る」
「帰れ」
神谷が即座に言った。
「今日の記録を整理したいんですけど」
「家でやれ」
「ここにパソコンもあります」
「お前のじゃない」
「邪魔はしません」
「いる時点で邪魔だ」
誠が樹の肩を押した。
「諦めろ。飯食って元気になったからって、また徹夜する気だろ」
「そこまでは」
「否定が弱い」
明日香がキッチンカーから顔を出す。
「ちゃんと寝ないと、明日の分はないよ」
「それは困ります」
「そこなんだな」
誠に押されるまま、樹はガレージの外へ出た。
御影も少し遅れて続く。
夜の通りは静かだった。
住宅と小さな工場が並び、街灯の明かりが道路へ落ちている。
御影は車へ向かいながら、周囲へ視線を巡らせた。
停車中の車。
建物の窓。
屋根。
電柱。
目立つものはない。
それでも、何かが引っかかった。
足が止まる。
同時に、隣を歩いていた樹も止まった。
二人の視線が、ほとんど同じタイミングでガレージ向かいの建物へ向く。
屋根の縁。
その先にある暗い空。
何も見えない。
微かな回転音が聞こえた気もした。
だが、すぐに通り過ぎた車の音へ紛れた。
御影は樹を見た。
樹もまだ同じ場所を見ている。
「三雲君」
「はい」
「今、何を感じた」
樹はすぐには答えなかった。
視線を動かし、屋根から電線、その上の空へと順に確認する。
「分かりません」
「分からない?」
「ただ……」
樹は目を細めた。
「あそこに、何かいる気がしました」
「音か」
「それもあると思います。でも、それだけじゃないです」
「危険を感じたか」
「そこまでは」
樹は少し考える。
「見られているような気がします」
御影は再び、暗い空へ視線を向けた。
自分が感じたものと同じだった。
位置も。
方向も。
気づいたタイミングまで。
「御影さんもですか」
「ああ」
御影は短く答えた。
「同じ場所だ」
樹の表情がわずかに変わる。
驚いたというより、自分の感覚が思い込みではなかったことを確かめた顔だった。
「何がいるんでしょう」
「まだ分からない」
御影はそれ以上、空を探さなかった。
こちらが気づいたと悟らせる必要はない。
ガレージのシャッターが降り始める。
金属音に紛れて、再び微かな回転音が聞こえた。
今度は少しずつ遠ざかっていく。
御影は方角だけを記憶した。
「今日は帰る」
「いいんですか」
「今追っても、相手に気づかせるだけだ」
樹が頷く。
「じゃあ」
御影は車のドアを開けた。
「明日、確かめる」
シャッターが閉じる。
澪の膝掛けが掛けられた空席も、ガレージの中へ隠れた。
暗い空には、何も見えなかった。
だが、二人が同時に感じた違和感まで、偶然で片付けるつもりはなかった。




