25話 企業からの連絡
午後一時。
山城雅人は事務室からの電話で席を立った。
「来客ですか?」
『はい。先日のフォーラムをご覧になった企業の方で、先生へご挨拶したいとのことです』
「企業名は?」
『東都先端技術総合研究所、と名乗られています。アポイントはありませんが、お時間を五分ほどいただきたいと』
山城は少し考えた。
こうした来訪は珍しくない。
フォーラムの後には企業や大学関係者が研究内容について話を聞きに来ることもある。
「分かりました。応接室へ伺います」
受話器を置き、資料を閉じる。
研究室の学生へ一言だけ声を掛けると、静かに部屋を後にした。
◇
応接室では、一人の男が立ち上がった。
三十代後半ほど。
濃紺のスーツに、落ち着いた笑顔。
「突然お時間をいただき、申し訳ありません」
丁寧に名刺を差し出す。
山城も名刺を受け取り、自分の名刺を返した。
「本日は、先日のフォーラムのお話を伺えればと思いまして」
「ありがとうございます」
二人は向かい合って腰を下ろす。
「断熱材の研究、大変興味深く拝見しました」
「まだ基礎段階ですが」
「それでも十分に将来性を感じました。特に熱伝導率の改善は印象的でした」
「ありがとうございます」
「現在も大学で検証を続けられているのでしょうか」
「ええ。耐久性や量産性も含めて確認しています」
「なるほど」
男は小さく頷きながらメモを取る。
「実用化までは、まだ時間が掛かりそうですか」
「そうですね。急ぐつもりはありません」
「慎重に進められている、と」
「研究は焦るものではありませんから」
男は穏やかに笑った。
「まったく、その通りです」
会話は自然だった。
研究内容への理解も浅くはない。
質問も要点を押さえている。
山城も警戒する理由は特に見当たらなかった。
しばらく研究内容についての話が続く。
「共同研究という形で進められているそうですね」
「ええ」
「学生の皆さんも参加されているとか」
「はい」
「大学院生が中心ですか?」
「学部生もいます」
「そうでしたか」
男は少しだけ間を置く。
「フォーラムの記事を拝見したところ、高校生の方も参加されていたようですが」
「ええ、一名おります」
「珍しいですね」
「本人の能力が非常に高かったもので」
男は感心したように頷く。
「飛び級制度を利用されているのでしょうか」
「いいえ」
「失礼ですが、先生はどういった点を評価されたのですか」
「論理的思考ですね」
「なるほど」
男はまたメモを取る。
「将来が楽しみな人材ですね」
「そう思っています」
山城は自然に答えた。
しかし。
その瞬間、胸の奥に小さな違和感が生まれる。
研究の話から学生の話へ移ること自体は珍しくない。
だが。
話題が戻らない。
「進学先は決まっているのでしょうか」
「まだ高校生ですので」
「企業との共同研究にも興味はありそうですか」
「本人次第ですね」
「先生から見て、人柄はいかがでしょう」
山城は相手の目を見る。
男は終始穏やかな笑顔を浮かべている。
質問も失礼ではない。
それでも。
どこか重心がずれていた。
本当に研究へ興味がある人間なら、そろそろ材料や実験設備、今後の計画へ話を戻すはずだ。
だが、この男は戻らない。
興味は少しずつ、一人の高校生へ寄っている。
「失礼ですが」
山城は穏やかな口調で尋ねた。
「御社では、若手研究者の発掘もされているのですか」
「ええ、将来有望な人材とのご縁は大切にしております」
「そうですか」
男は一度だけ頷き、静かに言った。
「もし差し支えなければ、一度、その高校生をご紹介いただけないでしょうか」
やはり。
山城の中で違和感が一つに繋がる。
ここまで十五分近く話してきた。
研究の話もした。
技術の話もした。
しかし、この男が本当に知りたかったことは、一つしかない。
山城は微笑んだ。
「申し訳ありません。学生個人をご紹介することはしておりません」
男は表情を変えなかった。
「そうですか」
それだけ言って静かに立ち上がる。
「お忙しいところ、ありがとうございました」
「こちらこそ」
男は丁寧に一礼して応接室を後にした。
ドアが閉まる。
静寂が戻る。
山城は受け取った名刺をもう一度見つめた。
企業として不自然な点はない。
会話にも破綻はない。
それでも。
「……違うな」
小さく呟く。
研究者は、質問の向きを見る。
この男が見ていたのは研究ではない。
研究者でもない。
白石澪。
最初から最後まで、その一点だけだった。
早々に企業名について調べてみる。
「これは…」
山城は名刺を胸ポケットへしまうと、足早に研究室へ戻った。
「佐藤君」
「はい、教授」
「白石さんが次に大学へ来る日程、外部には伝えないように」
「……何かあったんですか?」
山城は少しだけ考え、小さく首を振る。
「まだ分からない」
「ただ――」
一拍置いて、静かに続ける。
「嫌な予感がする」
◇
翌日。
もうそろそろ誠が迎えに来る時間だった。
スマートフォンが震える。
『悪い! 会社から呼び出された!』
『人が足りないらしい』
樹は思わず苦笑した。
「本当に呼び出されたな……」
『悪い!今日は行けそうにない』
「了解。仕事頑張れ」
通話を切ると、樹は一人で大学へ向かった。
◇
大学へ着くと、研究室の空気はどこか重かった。
普段なら学生たちの話し声やキーボードを叩く音が聞こえている時間だ。
だが今日は、不思議と静かに感じる。
澪も同じことを思ったのか、小さく首を傾げた。
「先生、何かあったんですか?」
山城教授はパソコンから目を上げると、穏やかに頷いた。
「二人とも、少しいいかな」
樹と澪は向かいの椅子へ腰を下ろす。
山城は一呼吸置いてから口を開いた。
「昨日、少し気になる連絡があった」
「気になる連絡?」
「ああ。科学フェアの研究について話を聞きたいという企業からだ」
それだけなら珍しい話ではない。
優秀な研究には企業が興味を示すこともある。
樹も最初はそう思った。
「最初は研究についての話だった」
山城は静かに続ける。
「だが、途中から質問の内容が変わった」
「変わった?」
「誰が考えたのか。誰が中心だったのか。普段は何をしているのか」
山城は澪へ視線を向けた。
「彼らが知りたかったのは、研究ではない」
一拍。
「君だった」
澪の表情がわずかに強張る。
「……私?」
「紹介は断った」
研究室に静かな沈黙が流れる。
樹は腕を組んだ。
企業が優秀な学生に興味を持つこと自体は理解できる。
だが、何かが引っ掛かる。
「その会社って、有名なんですか?」
「私も知らなかったので、少し調べてみた」
山城は机の上のメモへ目を落とす。
「会社そのものは実在している。違法な企業でもない」
そこで言葉を切る。
「ただ、おかしい」
「何がですか?」
「本業は電子機器の販売だ。研究部門も開発部門もない」
樹が思わず顔を上げる。
「科学フェアの研究へ興味を持つ理由が見当たらないんだ」
それは確かに妙だった。
もし新技術を探しているなら分かる。
だが、研究設備も開発実績もない会社が、学生個人について執拗に尋ねてくる理由は思いつかない。
「もちろん、私の考えすぎならそれでいい」
山城は少しだけ笑った。
「ただ、念のためだ」
「しばらくは、知らない相手に研究の話や個人情報を話さないようにしてほしい」
澪は静かに頷く。
「……分かりました」
樹も返事をしようとして、
ふと、止まった。
胸の奥が、小さく軋む。
理由は分からない。
誰かを見たわけでもない。
何か証拠があるわけでもない。
それなのに。
胸の奥で、小さな警鐘だけが鳴り続けていた。
「三雲君?」
山城の声で我に返る。
「え?」
「どうかしたかい?」
「いや……」
自分でも説明できない。
ただ。
「……なんか嫌な感じがする」
思わず口から漏れた。
澪が不思議そうに首を傾げる。
「嫌な感じ?」
「うん……」
樹は苦笑した。
「気のせいかもしれないけど」
山城は静かに頷いた。
「そういう違和感は案外、馬鹿にできないものだ」
「私も、昨日はその違和感があったから調べてみた」
そう言って穏やかに笑う。
「何もなければ、それが一番だ」
樹も「そうですね」と返した。
それでも胸のざわつきだけは、どうしても消えなかった。




