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3026  作者: Dar_3026
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22/60

22話 御影玲司

 数日前――

 玄関の鍵を閉める音が、静かな部屋に響いた。

 男はネクタイを少しだけ緩め、上着を椅子の背へ掛ける。

 冷蔵庫からミネラルウォーターを取り出し、一口飲んで息をついた。

「……ふぅ」

 テレビの電源を入れる。

 静まり返った部屋にニュースキャスターの声が流れ始めた。

 特に見るつもりはない。

 習慣のように流しているだけだった。

 机へ向かい、今日の出来事を思い返す。

 提出書類が一つ。

 確認事項が二つ。

 頭の中で整理しながら、ボールペンを手に取る。

『続いてのニュースです』

 ペン先が紙へ触れる。

『北日本科学大学は本日、新たな高性能断熱材の開発に成功したと発表しました』

 男は手を止めることなく書き続ける。

『この新素材は従来製品を大きく上回る断熱性能を持ち、建築分野だけでなく、宇宙・医療分野など幅広い応用が期待されています』

 画面には研究室の映像が映し出される。

 測定装置。

 研究員。

 完成した試作品。

 興味はない。

 再びペンを走らせる。

『なお、この研究には、先月のフォーラムで注目を集めた高校生、白石澪さんも共同研究者として参加しています』

 ペン先が止まった。

 テレビには、一人の少女が映っていた。

 教授の隣で説明を聞き、小さく頷く。

 映像は、それだけだった。

 数秒後には別の映像へ切り替わる。

 ニュースは次の話題へ進み、海外情勢を伝え始めた。

 男はテレビを消す。

 部屋は静寂に包まれた。


「……」


 もう一度、書類へ目を落とす。

 続きを書こうとする。

 だが、ペンが動かない。

 頭に浮かぶのは、新素材ではない。

 大学でもない。

 たった数秒映った、あの少女だった。

「……なんだ」

 思わず呟く。

 事件性はない。

 見覚えもない。

 気になる理由も思い当たらない。

 それなのに。

 胸の奥で、小さな違和感だけが静かに残り続けていた。

「……疲れてるな」

 自嘲気味に笑い、書類へ視線を戻す。

 それでも。

 頭の片隅から、白石澪という名前だけは、最後まで消えなかった。



 翌日。

 男はいつもと変わらない時間に家を出た。

 通勤途中のコンビニでブラックコーヒーを買い、車へ乗り込む。

 エンジンをかけると、ラジオから朝のニュースが流れ始めた。

 交通情報。

 天気予報。

 週末のイベント。

 どれも聞き流せる内容だった。

 赤信号で車が止まる。

 横断歩道を、制服姿の高校生たちが笑いながら渡っていく。

 その姿をぼんやり眺めていた男は、小さく眉を寄せた。

「……またか」

 思い浮かんだのは、数日前にニュースで見た少女だった。

 白石澪。

 数秒しか映らなかったはずの顔が、不思議なほど鮮明に頭へ浮かぶ。

 信号が青へ変わる。

 後ろの車がゆっくりと動き始め、男もアクセルを踏み込んだ。

 仕事中は、そのことを忘れていた。

 目の前の業務をこなし、人と話し、必要な書類へ目を通す。

 普段と何も変わらない。

 昼休みになるまでは。

「御影さん」

 御影は顔を上げた。

 食堂で昼食を取っていると、後輩が向かいへ腰を下ろした。

「珍しいですね。一人ですか」

「ああ」

「最近、忙しいんですか?」

「いつも通りだ」

 御影は短く答え、味噌汁を口へ運ぶ。

 後輩は少し首を傾げた。

「なんか、疲れてません?」

「そう見えるか」

「ええ。何か考え事してるような」

「……そうかもしれないな」

 それ以上は話さなかった。

 自分でも説明できない。

 だから、人に話せるはずもない。

 午後。

 デスクへ戻り、資料を確認する。

 パソコンへ表示されたニュースサイトが目に入る。

 画面を閉じようとして、指が止まった。

 記事一覧の中に、小さな見出しがある。

『北日本科学大学、新素材を発表』

 クリックする。

 読み始めて数秒。

「……違う」

 探しているのは、この記事じゃない。

 御影はページを閉じ、椅子へ深くもたれ掛かった。

 何をしているんだ。

 自分でも苦笑する。

 新素材に興味があるわけじゃない。

 大学にも用はない。

 気になっているのは、あの少女だけだ。

 それが一番理解できなかった。

 仕事を終え、帰宅する。

 夕食を済ませ、テレビをつける。

 ニュース番組が始まっていた。

 無意識にチャンネルを変えながら、同じ話題が流れていないか探している自分に気付く。

「……らしくないな」

 リモコンをテーブルへ置き、小さく息を吐く。

 こんなことは初めてだった。

 理由の分からない違和感が、一日で消えることはある。

 二日続くことも、たまにはある。

 だが。

 数日経っても、ここまで頭から離れないことは一度もなかった。

 御影はソファへ深く腰を下ろし、静かに天井を見上げる。

「……確認するか」

 誰に聞かせるでもなく呟いたその一言は、静かな部屋へ溶けていった。



 確認を決めた翌日。

 ノックを三回。

「失礼します」

「入れ」

 御影はドアを開け、執務室へ入った。

 上司は書類へ目を通したまま、顔を上げない。

「どうした」

「少し気になることがあります」

「事件か?」

「いえ」

 御影は首を振る。

「まだ、何もありません」

 その一言で、上司の手が止まった。

 ゆっくり顔を上げる。

「……何もない?」

「はい」

「それで、お前が来たのか」

 御影は頷いた。

 机の上へ一枚のメモを置く。

 そこには一人の名前だけが書かれていた。

 白石 澪。

 上司は名前へ視線を落とす。

「高校生か」

「数日前のニュースで見ました」

 上司はメモを指先で軽く叩いた。

「それだけか?」

「はい」

 部屋にエアコンの送風音だけが流れる。

 上司は御影の表情をじっと見つめた。

「事件性は?」

「ありません」

「接点は?」

「ありません」

 御影は淡々と答える。

 迷いはない。

 だが、自分でも理由を説明できないもどかしさだけが胸に残っていた。

「犯罪歴」

「まだ確認していません」

 上司は椅子へ背中を預け、小さく息を吐く。

「家族」

「確認していません」

 窓の外では、遠くを走る車の音がかすかに聞こえた。

 上司は腕を組み、天井を一度見上げる。

「……つまり」

「理由は説明できない、と」

「はい」

 しばらく沈黙が続いた。

 普通なら、ここで話は終わる。

 理由もなく一般人を調べることなど認められない。

 だが。

 上司は小さく息を吐いた。

「お前が『確認したい』と言う時は、必ず確認する理由がある。」

 御影は何も答えない。

「半年前の密輸事件」

「三か月前の情報漏えい」

「先月の偽装会社」

「お前は全部、『違和感』を持った。」

「そして必ず裏付けを取ってから報告してきた。」

「偶然にしては出来すぎてる」

 上司は苦笑する。

「お前は勘だけで報告する男じゃない。」

「だから今回も確認だけ許可する。」

 御影は静かに視線を上げた。

「ありがとうございます」

「勘違いするな」

 上司は人差し指で机を軽く叩く。

「正式な捜査じゃない。業務の合間でいい。

 現地へ行くなら周辺を見るだけにしろ。

 何も無ければ、それで終わりだ。

 事件性が見えた時だけ次へ進め。」

「了解しました」

 御影は一礼し、執務室をあとにする。

 ドアが閉まる。

 上司は机の上へ残されたメモを見つめ、小さく呟いた。

「白石……澪か」

 その名前を、もう一度だけ口の中で転がした。

 執務室を出た御影は、自席へ戻るとパソコンを立ち上げた。

 白石澪。

 キーボードへ名前を入力し、検索を実行する。

 表示されたのは、数日前のニュース記事がいくつか。

 高校生。

 数学。

 北日本科学大学との共同研究。

 札幌科学技術フォーラム。

 どの記事も内容は似ていた。

 派手な経歴があるわけでもない。

 炎上した過去もない。

SNSもほとんど利用していないようだった。

「……綺麗すぎる」

 思わず小さく呟く。

 どこにでもいる高校生だった。

 御影は椅子へ深く座り直した。

 違和感はない。

 ……資料の上では。

 それでも胸の奥の感覚は変わらなかった。

「何かある」

 根拠はない。

 資料はすべて「問題なし」と言っている。

 経験も「考えすぎだ」と告げている。

 それなのに。

 長年積み重ねてきた感覚だけが、静かに警鐘を鳴らし続けていた。

 夕方。

 御影は車へ乗り込む。

 エンジンをかけることなく、ハンドルへ軽く手を置いた。

 フロントガラスの向こうでは、仕事帰りの車が途切れることなく流れていく。

 資料だけでは分からない。

 そう判断した。

「……一度、見てみるか」

 静かにエンジンを始動させる。

 車はゆっくりと駐車場を出ていった。

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