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3026  作者: Dar_3026
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11話 出会いのあと

 札幌未来科学交流館を後にすると、夏の日差しが街を明るく照らしていた。

 休日らしく歩道には家族連れや買い物帰りの人が行き交い、ついさっきまでの静かな講演ホールとはまるで別の世界のようだった。

「腹減ったな」

 誠が大きく伸びをする。

「頭なんか使ってないはずなのに、不思議だ」

 樹は思わず笑った。

「聞いてるだけでも疲れるんじゃない?」

「いや、お前の質問で疲れた」

 誠は苦笑しながら肩をすくめる。

「会場の空気、一瞬止まったからな」

「そんなに?」

「そんなに」

 二人は顔を見合わせて笑った。


 少し歩いたところで、誠がふと思い出したように口を開く。

「でもさ」

「面白かったな」

 樹も素直に頷く。

「うん」

「発表もすごかったし」

「話もできたしね」

 誠は横目で樹を見る。

「お前、嬉しそうだったぞ」

「そう見えた?」

「見えた」

 樹は少しだけ考えてから笑った。

「久しぶりだったんだ」

「同じところで立ち止まる人に会った気がして」

「同じところ?」

「分からないことを、ちゃんと『分からない』って考えられる人」

 誠は小さく笑う。

「なるほどな」

 しばらく二人は黙って歩いた。


 街の喧騒が耳に入る。

 信号の音。

 車の走る音。

 遠くで遊ぶ子どもたちの笑い声。

 いつもの札幌だった。

 それなのに。

 樹には、その景色が朝とは少しだけ違って見えた。

 ニュースで見かけた一人の高校生。

 何となく会ってみたい。

 そんな軽い気持ちで足を運んだフォーラム。

 たった一つの質問。

 たった一度の出会い。

 それだけで、自分の世界が少し広がった気がした。

「さて」

 誠が笑う。

「まずは飯だ」

「賛成」

 二人は並んで歩き出した。



 帰宅して夕食を済ませると、部屋はいつもの静けさを取り戻した。

 窓の外から聞こえるのは、遠くを走る車の音だけ。

 机の上には、フォーラムでもらったパンフレットが置かれている。

 何気なく手に取り、ページをめくる。

 白石澪。

 熱流制御に関する基礎研究。

 昼間に聞いた発表を思い返しながら、樹は小さく息をついた。

「面白かったな」

 誰に聞かせるでもない独り言だった。

 パンフレットを閉じ、椅子にもたれる。

 天井をぼんやり眺めていると、不意に胸の奥がざわついた。


「……?」


 何かが引っ掛かる。

 昼間にも感じた、あの違和感。

 言葉にならない何か。

 目を閉じた、その瞬間だった。

 知らない図形が頭の中へ浮かぶ。

 幾重にも重なる線。

 規則的に並ぶ格子。

 その中心を流れる、光のようなもの。

「……何だ?」

 思わず身を起こす。

 次の瞬間には、もう消えていた。

 図も。

 感覚も。

 何一つ思い出せない。

「夢……?」

 首をひねる。

 違う気もする。

 でも説明はできなかった。

 樹は苦笑しながら頭をかく。

「今日は考えすぎたかな」

 そう呟いて立ち上がる。

 部屋の電気を消すと、静かな夜が戻ってきた。



 その頃。

 白石家の一室には、机を照らすスタンドライトだけが灯っていた。

 部屋の壁一面には参考書や専門書が並び、机の上には今日の発表で使った資料とノートが広げられている。

 澪は制服から部屋着に着替えると、静かに椅子へ腰を下ろした。

 バッグから一冊のメモ帳を取り出す。

 昼間、控室で書き留めた走り書き。

 熱が逃げる。

 逃がさない。

 境界。

 移動。

 短い言葉が、ページいっぱいに並んでいる。

 その中で、一つだけ丸で囲まれた言葉があった。

『前提』

 澪はその文字を見つめたまま、しばらく動かなかった。

 熱は高い場所から低い場所へ移動する。

 それは疑うものではない。

 教科書にも書かれている。

 文献にも書かれている。

 自分も、その前提で研究を積み重ねてきた。

 だから今日まで、一度も考えたことがなかった。

 その前提自体を疑うという発想を。

 ゆっくりとペンを手に取る。

『前提』

 その横へ一本線を引き、新しく書き加えた。

『本当に?』

 書き終えた瞬間、思わず手が止まる。

 今まで積み重ねてきた研究を、自分自身で問い直そうとしている。

 普通なら怖い。

 積み上げたものが崩れるかもしれない。

 それでも、不思議と嫌な気持ちはしなかった。

 知らない世界への扉を見つけたような。

 そんな高揚感だけが、胸の奥に静かに広がっていく。

 澪はノートを閉じ、小さく息をついた。

「……面白い」

 その一言は、誰に聞かせるでもない独り言だった。

 窓の外では、札幌の夜景が静かに輝いている。

 新しい研究は、もう始まっていた。

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