〈14〉掟破り
さやかは、ホテルから自分のマンションに泣きじゃくりながら、逃げるように帰った。そして、ベッドに顔をつっぷして、体を小刻みに振るわせながら泣いていた。そして、さやかの脳裏に先ほどまでの出来事が走馬燈のように浮かんでいた。そして、さやかは思った。
〈なぜ、泉堂さんに、あんな酷いことを言われなければいけないの?泉堂さんは私のことが嫌いだったの?ずっと憎んでいたの?〉
さやかは自問自答した。しかし、答えは出ない。なぜなら、今夜、さやかに振りかかかったこの悪夢のような出来事は海斗自身が起こしたくて起こしたことではないのだ。全てはキューピッドのミカリの放った鉛の矢が起こさせたことだったからだ。
さやかはこの悪夢から立ち直るすべを知らない。ただ今は泣くことしか出来なかった。そんなさやかの後ろ姿をキューピッドとして見ていたミカリは自責の念にかられていた。そして、ミカリは人には見えないキューピッドから、人間になりすまして、さやかの部屋に現れ、さやかの後ろに立った。しかし、只々泣きじゃくるさやかには、部屋に人間になったミカリがいることに気がつかない。ミカリはそんなさやかに優しくそっと声をかけた。
「そんなに泣かないで」
さやかは背後から聞こえた声にゆっくりと顔をあげて後ろを見た。すると見ず知らずの若く色白の美少年が立っていた。さやかの頭は、つい先ほどの悪夢といい、頭の中が混乱していたせいか、さほど驚きもせず尋ねるようにそっと呟いた。
「誰?」
「あの男はさやかさんを幸せにしない。君を傷つけるだけだ」
そういうとミカリは突然、手に弓と金の矢を出した。さやかは、突然、目の前に現れたミカリと、そして、弓と矢に、これから一体何が起こるのか、分からなかった。そんなさやかをよそに、ミカリは弓をかまえて、金の矢を引いた。
さやかは自分に向かって引かれている弓を見て、思わず戸惑いを見せた。
「え、何?」
さやかは条件反射的に、胸の前で両腕をクロスさせるように身構えた。そんなさやかに、ミカリは構わず、さやかの胸めがけて、金の矢を放った。金の矢は、さやかの胸に突き刺さると同時に消えた。さやかは、「うっ」と声を発しながら、前屈みになって、胸を押さえた。そして、眉間に皺を寄せながらミカリを見た。するとさやかの表情は段々穏やかな表情へと変わっていった。そして、さやかは愛おしそうな声で言った。
「ああ、ミカリ」
さやかのミカリを見る目は、乙女の恋をしている目、そのものだった。さやかはミカリに恋したのだ。もうさやかの頭の中に先ほどの悪夢はない。只々一途な瞳でミカリを見つめていた。ミカリはさやかの前に行き、そして、しゃがんで、その場でさやかを強く抱きしめた。そして、目を瞑って呟いた。
「さやかを幸せに出来るのは僕だけだ」
こうしてミカリはキューピッドの掟を破ってしまった。
キューピッドの掟、それは人に恋をし、そして、その人に自分を好きにならせる為に、自らの欲の為に弓を引くこと。これはキューピッドとして絶対にやってはいけない掟であった。人に恋をする。これは特に、初うちも済ませてない新人のキューピッドにとっては、もっとも陥りやすい盲点であった。経験もないのに人に肩入れし過ぎて感情移入してしまい、その想いがそのまま人への恋へと発展してしまう。ミカリはまんまとその盲点に堕ちてしまったのだ。それだけ、ミカリはさやかを愛おしく思っていたのだ。ミカリは掟を破ってしまった。しかし、今のミカリにはそんなことはどうでも良いことだった。そんなことは全く頭になく、今はたださやかを愛したかった。
抱き合うミカリとさやか。
グラシアーノはマンションの外からカーテン越しに見える二人のシルエットを見て、
「他愛ない・・・。まぁ、ひよっ子相手じゃ、こんなもんかな」
グラシアーノはミカリの掟破りを見届け、そして、消えた。
そして、翌朝、マンションのベッドの上で一人、幸せそうに眠るさやか。しかし、そこにはミカリの姿はなかった。ミカリはキュートピアに連れ戻されたのだった。これから掟破りとして、裁判にかけられる為に・・・。




