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〈13〉鉛の矢

海斗とさやかは部屋に入り、リビングのソファに座った。さやかも、もうこの部屋で何をするのか、ハッキリと分かっていた。さやかの気持ちは高ぶっていた。しかし、〈もう何もかも海斗に委ねればいい〉と、さやかは思っているせいか、妙な落ち着きが生まれた。さやか以上に高ぶっているのは他でもない、キューピッドのミカリだった。ミカリの焦りは、もうほとんど限界にまで達していた。打つ手が全く思いつかないのだ。

〈どうすれば、さやかをあの男から救える?どうすればいいんだ!〉

心ばかりがはやっていた。

さやかはソファに深く腰掛けて、手と手を握りしめて、親指のところを唇に軽くリズム良くぶつけていた。海斗はさやかを見ていった。

「何か飲む?」

「ん、いい」と軽く首を横に振った。

海斗は冷蔵庫からミネラルウォーターとグラスを二つもって、さやかの隣に座り、テーブルの上にグラスを置いた。そして、グラスにミネラルウォーターを注ぎ、さやかに渡した。さやかは、無言で軽く会釈してグラスを受け取り両手で持った。そして一口、唇を濡らす程度、水につけた。海斗はそんなさやかを尻目にグラスに注いだミネラルウォーターを一口飲んだ。二人は無言だったが、どことなく高揚感だけが、部屋中に充満しているように思えた。海斗はもう一口、グラスを口にし、ミネラルウォーターを飲んだ。そして、そのままテーブルにグラスを置いて、さやかの方に体を向けた。さやかはグラスを唇につけたままで、飲んではいなかった。そんなさやかから海斗はグラスをとって、テーブルに置いた。そして、そのまま体をさやかの前に向けて、両腕でさやかをはさむ格好になって、ソファの背もたれに手をつけた。そして、さやかの軽く俯いている顔の額に海斗は自分の額を近づけていき、額と額を軽く合わせるようにして、さやかの俯いていた顔を上にあげた。さやかは静かに目を閉じていた。海斗はその表情を見て瞬間的に悟った。

〈これだよ。この表情だ!この従順さが俺を欲情させる。征服欲を一気に高めてくれる。そして俺を満たす〉

海斗はそのままさやかの唇に唇を重ねた。そして、徐々に激しくさやかの唇を吸い始めていった。

その姿をミカリはわななきながら見ていた。ミカリは自分がパニック状態に陥り、ヨタヨタと宙に浮いているのがやっとの状態だった。そんなミカリに見られていることとも知らずに、海斗のさやかへの口づけは、より激しさを増していった。さやかもまた、その海斗の激しい口づけに対し、口づけで、一生懸命に答えていた。

ミカリにとって、そんな二人の求め合うようなキスは、まさに衝撃的だった。ほとんどショックに均しい。ミカリは、このまま意識が遠のくのと一緒に自分も天界に、キュートピアへと消えていってしまうのでは、という思いにかられた。それはミカリが、それだけ七尾さやかに感情移入しているということを意味していた。二人の口づけはミカリにとって、トドメを刺されるかのようなものだったのだ。ミカリは絶望に打ちひしがれ、このまま意識と一緒に何もかも天界へと消えていきそうになったとき、突然、ミカリの脳裏に閃きを強く感じた。

〈そうだ!鉛の矢だ!鉛の矢を撃てば良いんだ!鉛の矢をさやかに撃って、さやかに海斗を嫌わせれば良いんだ!〉

ミカリにとって、その閃きは、まさに救い、そのものだった。鉛の矢を撃たれたものは、はじめに見た人を忌み嫌うようになる。恋のキューピッドとしては、鉛の矢は、キューピッドにとってはあるまじき矢ではあったが、今のミカリにとってはまさに救いの矢に思えてならなかった。ミカリはみるみる覇気を取りもどしていった。そして、弓と鉛の矢を取り出してミカリは思った。

〈これだ!これだよ!この矢をさやかに撃てば良いんだ!〉

ミカリは弓に鉛の矢をかけ、そして引きはじめた。

〈初うちが、まさか鉛の矢だなんて。でも、背に腹は代えられない〉

ミカリは目一杯、弓を引いた。その姿を、待ってました、といわんばかりに見ているものがいるとも知らずに。それはグラシアーノである。グラシアーノは気配を殺して静かにミカリたちをずっと見ていたのだ。しかし、常に海斗によって動揺させられていたミカリには、グラシアーノが傍にいることなど知る余裕すらなかったのだ。ミカリは、ソファでさやかの上に、覆い被さるようにキスをしている海斗をよけるように、鉛の矢の狙いをさやかの胸に向けた。そして、心の中で「行け!」という言葉と同時に矢を放った!その瞬間、矢が放たれると同時に、グラシアーノが手の中で握っていた1㎝ほどの大きさの月桂樹の実を親指の爪で勢いよく弾いた!するとその月桂樹の実はミカリが放った矢にぶつかり、矢の方向が若干逸れた!ミカリは思わず「アッ」と悲鳴をあげた!月桂樹の実がぶつかってそれた鉛の矢は、さやかの胸に刺さらず、海斗の背中へと刺さったのだ。海斗は一瞬、背中にチクリとした痛みを感じたのか、唇を離して、一瞬、目を瞑ってから背中の方を見た。そして、チクリとしたところ、人には見えない鉛の矢が刺さったところをさすった。そして、再びさやかの顔を見た瞬間、海斗は急に、さやかに激しい憎悪が湧き出てくるのを感じた。そして、海斗は目を閉じているさやかを冷ややかな目で見下しながら、さやかに言った。

「そうやって、無防備を装い、男をくわえ込むのか?この売女!」

「え、」

さやかは一瞬聞き間違えたのかと思い、思わず目をあけた。そして、目の前にいる海斗を見た。海斗の目は鋭く、何か汚いものでも見るような顔をしていた。さやかは只々困惑していた。

「どうしたの?」

「どうしたのじゃねぇよ!この売女!ちょっといい顔したらホイホイついてきや勝手!この尻軽女め!俺はそういう軽薄な女が嫌いなんだよ!」

海斗は、そう吐き捨てると思わず、さやかの頬に平手打ちをかました。さやかは痛みよりも、驚きでワケがわからなくなっていた。さやかは、打たれた頬に手をあてるが、状況は全く飲み込めないでいた。そんなさやかに構わず、海斗はさやかに罵声を浴びせ続けた。

「カマトトぶって、節操なく、誰にでも笑顔を振りまきやがって。そういう、いい顔しいの女は嫌いなんだよ。見ているだけで、反吐が出るほどむかつくんだよ!」

海斗はそういって、打ちつけた頬とは反対の頬を打った。海斗は鉛の矢を受けて人が変わったのだ。そして、海斗は「この売女め!」と、さやかに散々罵声を浴びせながら、憎しみの思いを込めて、さやかの頬を打ちつけ続けた。何度も打ち付けた。それをさやかは手で顔を覆って、防ごうとしている。さやかの顔を覆う手と手の隙間からさやかの表情が見える。さやかは赤く晴れた頬を涙で濡らしていた。そんなさやかを見て、ミカリは嘆いた。

〈こんな筈じゃ・・・。こんな筈じゃなかったのに〉

海斗は、罵声を浴びせながら、手で顔をかばっているさやかに、お構いなく平手打ちを続けた。そんな海斗にさやかは懇願するように言った。

「お願い!もうやめて!もうやめてください!」

そういって、さやかは体を倒して、ソファに顔を埋め、海斗に背中を向けて、背を丸くした。

ミカリはそんなさやかの姿をみて、うちひしがれた。

〈本当なら、さやかが海斗を嫌いになって、それで全てが終わる筈だったのに・・・〉

結果的に、さやかは海斗にもてあそばれることは無かったが、さやかの心を深く傷つける羽目となった。そして、ミカリもさやかと同様、深く傷ついた。例え、狙った矢の方向が変わったとしても、自ら放った矢でさやかを酷い目に合わせてしまったのだから。ミカリは自分の浅はかさを、未熟さを嘆いた。

そんなミカリを見て、グラシアーノの顔は笑っていた。



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