第5章② 実験
その頃ユウは―
研究室。
白い部屋だった。
壁も床も天井も、すべてが白い。
照明の光がその白さに反射して、目が痛くなるほどだった。
消毒液の匂いが強い。
鼻の奥に刺さるような刺激臭だった。
中央には金属の椅子が置かれていた。
まるで病院の手術台のような椅子だった。
背もたれは高く、腕を置くための台が左右に張り出している。
その両端には、金属製の拘束具が付いていた。
見ただけで分かる。
これは座るための椅子じゃない。
縛るための椅子だ。
その周りには白衣の研究者たち。
十人以上いる。
全員が無言でユウを見ていた。
その視線には好奇心があった。
だが人間に向ける種類の好奇心ではない。
珍しい生き物を見るような、あるいは壊れ方を観察するような、冷たい興味だった。
その中に、一人だけ目立つ人物がいた。
白髪の男。
年齢は五十代くらいだろうか。
鋭い目。
整った顔立ち。
知的だが、どこか狂気を感じさせる視線。
その男が口を開いた。
「神城ユウ」
ユウは黙っていた。
男はゆっくり微笑んだ。
「やっと会えた」
その言葉に、ユウは眉をひそめた。
「誰だ」
男は答えた。
「Dr.クロード」
静かな声だった。
「この研究所の責任者だ」
ユウの目が鋭くなる。
「俺たちをここに連れてきたのはあんたか」
クロードは否定もしなかった。
ただ軽く肩をすくめた。
「座りなさい」
ユウは動かなかった。
次の瞬間。
後ろにいた軍人がユウの肩を強く押した。
体が椅子に押しつけられる。
ガチン。
腕に冷たい感触。
金属の拘束具だった。
両腕が固定される。
逃げられない。
ユウは歯を食いしばった。
この体は小さい。
元の自分なら、まだ抵抗のしようもあったかもしれない。
だが今の体では、ただ押さえ込まれるだけだった。
研究者の一人が近づいてきた。
手には注射器。
中には――
黒い液体。
どろりとした、不気味な色だった。
光を反射しない、底のない闇みたいな色。
ユウは低く言った。
「それ何だ」
クロードは平然と答えた。
「実験薬だ」
「君たちの体にある可能性を調べる」
その言い方は、まるで検査でもするかのように軽かった。
ユウの腕に注射が刺さった。
冷たい感触。
そして液体が体内に流れ込む。
数秒後。
異変が起きた。
体の奥が――
焼けるように熱くなる。
「……っ!!」
ユウの体が震えた。
心臓が激しく鼓動する。
ドクン。
ドクン。
ドクン。
鼓動が、体の内側から殴りつけてくるようだった。
血液が沸騰しているような感覚。
全身の血管が熱を帯び、皮膚の下を何かが這っているみたいだった。
呼吸が苦しい。
息を吸っても、熱い空気しか入ってこない。
肺の中まで焼けていくようだった。
「記録!」
「数値上昇!」
「反応速度、予想より早い!」
研究者たちが一斉に動き出した。
メモ。
モニター。
計測器。
クロードはその中心で、興味深そうにユウを見ている。
「どうだ?」
その口調には、心配も共感もない。
ただ結果を知りたいだけの響きがあった。
ユウは答えられない。
呼吸が苦しい。
体が熱い。
視界が揺れる。
そして――
腕の皮膚が、ゆっくりと灰色に変わり始めた。
石の色だった。
研究者が声を上げる。
「石化反応、確認!」
研究員の一人がモニターを見たまま声を上げる。
「反応速度が早すぎます」
別の研究員が記録用端末を操作しながら言った。
「通常個体の初期反応を大きく上回っています」
「進行率は?」
クロードが視線を外さずに尋ねる。
「右腕部より開始。肘下まで到達、しかし――」
研究員が息を呑む。
「停止しました」
「停止?」
隣の研究員が顔を上げる。
「自然停止ですか?」
「外部抑制ではありません」
「自己適応の可能性があります」
その言葉に、部屋の空気がわずかに変わった。
クロードの口元が、静かに歪む。
「やはりそうか」
「記録を最優先で残せ」
「血中濃度、神経反応、筋硬度、すべてだ」
「はい」
「他個体との差異比較も出します」
「急げ」
クロードはユウを見つめたまま言った。
「これは失敗作の延長ではない」
「初めての成功例だ」
ユウは自分の腕を見る。
皮膚が硬くなっていく。
感覚が薄れていく。
まるで自分の腕じゃなくなっていくようだった。
石像。
その言葉が頭に浮かぶ。
(俺も、ああなるのか)
その瞬間、脳裏にフラッシュする。
カイトの足。
灰色に変わっていく皮膚。
笑おうとしていた顔。
「クリアしてくれよ」
ユウの目にはあの時見た光景が浮かんでいた
するとクロードの目を輝かせて口を開いた。
「素晴らしい」
「やはり君か」
ユウは苦しみながら言った。
「……何をした」
クロードは静かに答えた。
「君の体には」
ゆっくり言葉を選ぶ。
「石化粒子への適応能力がある」
ユウは理解できない。
理解したくもなかった。
クロードは続けた。
「ほとんどの人間は石になる」
「しかし君は違う」
クロードは笑った。
「君は」
わずかに間を置く。
「石化を耐えられる」
「初めての存在だ」
その時だった。
隣の部屋から悲鳴が聞こえた。
「助けてくれぇぇ!!」
ユウが振り向く。
ガラス越しに見えた。
別の迷い子の体が――
完全に石になっていく。
その少年は泣いていた。
「いやだ……」
「いやだああ!!」
両手を伸ばし、何かにすがるように叫んでいる。
けれど、その指先から先に灰色へ変わっていく。
足が止まり、腰が固まり、胸が動かなくなっていく。
だが研究者たちは止めない。
誰一人動かない。
ただ観察している。
数秒後。
少年は完全な石像になった。
動かない。
声もない。
ただの物へと。
研究室は静かだった。
静かすぎて、その異常さだけが際立っていた。
ユウの体が震えた。
クロードはメモを取りながら笑みを浮かべ言った。
「残念だ」
「失敗作だな」
その言い方は、壊れた器具でも処分するみたいだった。
その瞬間。
ユウは理解した。
ここでは――
自分たちは人間じゃない。
ただの
実験材料なのだと。




