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静かな湖畔の森のおくで、引きこもったヲタクの話  作者: 櫻木サヱ


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 ログアウトできない場所

 湖は、名前を呼ばない。

 声もしない。

 なのに、確実に「こちらを知っている」感じだけが増えていく。


 それに気づいたのは、また夜だった。


 配信のコメント欄を眺めながら、私はほとんど無意識に、

 ウィンドウを一つ閉じ、

 もう一つ閉じ、

 最後に、何も映っていないデスクトップを見つめていた。


 やることは、まだある。

 ソシャゲの周回も終わってないし、アニメも途中だ。

 でも、指が動かない。


 湖が、視界の端にある。


 カーテンは閉めている。

 なのに、そこに「ある」感じがする。


 私は、会社にいた頃のことを思い出していた。

 思い出すつもりはなかった。

 勝手に、再生された。


 朝礼。

 数字。

 進捗。

 「分からないことは聞いてね」という、最も信用できない言葉。


 聞いた。

 聞いた結果、「それ前にも説明したよね?」って言われた。

 言われた瞬間、頭の中が真っ白になった。


 分からないから聞いたのに。

 分からないままにするほうが怒られると思ったのに。


 その日から、私は質問できなくなった。


 メモは増えた。

 付箋も増えた。

 でも、理解は追いつかなかった。


 画面の文字が、湖みたいに見えた。

 深くて、底が分からなくて、

 覗き込むほど、自分が落ちていきそうになる。


 「大丈夫?」


 その一言が、怖かった。

 大丈夫じゃないときにしか、言われないから。


 湖は、そういう顔をしている。

 優しそうで、何も言わなくて、

 でも、近づいたら戻れないやつ。


 その夜、夢を見た。


 オフィスの床が、じわじわ濡れていく夢だ。

 誰も気づかない。

 私だけが、足首まで水に浸かっている。


 助けを呼ぼうとすると、

 声が、水音に変わる。


 目が覚めたとき、喉が痛かった。


 スマホを確認する。

 未読メッセージが、一件。


『まだ起きてる?』


 例のネットの知り合いだ。

 この時間に来るのは、珍しい。


『起きてる』

『どうした』


 少し間が空いて、返信が来た。


『さっきからさ』

『君のアイコン、ずっとオンラインなんだけど』


 背中が、ぞわっとした。


 私は、画面を見た。

 通話アプリ。

 確かに、オンライン表示になっている。


 でも、私は何もしていない。


『それ、たまにあるバグ』

『気にしないで』


 そう返しながら、

 自分でも分かるくらい、手が震えていた。


 湖が、近い。


 窓の外を見る勇気はなかった。

 でも、見なくても分かる。


 あそこは、

 失敗した人間が、立ち止まるのに向いている。


 質問できなかった私。

 「向いてないかも」って言われた私。

 逃げるみたいに辞めた私。


 全部、湖は知っている。


 だって、何も言わないから。

 否定もしない。

 期待もしない。


 「ここにいればいいよ」

 そう言わない代わりに、

 ずっと同じ距離で、待っている。


 私は、イヤホンをつけた。

 推しの声を流す。


 でも、その声の向こうに、

 水の重たい気配が混ざる。


 まるで、

 ログアウトしようとすると、

 エラーが出るみたいに。


 この場所は、

 引きこもりに優しい。

 でも、再起動には、向いていない。


 それが分かってしまったのが、

 何より怖かった。

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