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静かな湖畔の森のおくで、引きこもったヲタクの話  作者: 櫻木サヱ


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3/6

 外に出る理由は、だいたいロクでもない

 異変は、通知から始まった。


 スマホが震えた。

 見慣れたアイコン。

 いつもの、ネットの知り合い。


『まだ生きてる?』


 雑すぎる安否確認に、思わず笑いそうになる。

 この人は、私が療養という名の引きこもりに入ったことを、唯一ちゃんと知っている存在だった。


『一応』

『湖と森と回線に囲まれて』


 送信。

 既読がつくまで、少し間があった。


『最悪の組み合わせじゃん』

『ホラゲの初期装備』


 その通りすぎて、返す言葉がない。

 私はスタンプで誤魔化した。


 外に出ない生活は、三日を過ぎると完成する。

 五日を超えると、外に出る理由を見失う。

 そして一週間経つと、「出なくていい理由」だけが増える。


 なのに、この日は違った。


 昼過ぎ、突然、別荘の中が静かになった。

 静か、というより、切れた。


 エアコンが止まり、

 冷蔵庫の音が消え、

 パソコンの画面が暗くなる。


「……は?」


 停電。

 よりによって。


 私は即座にスマホを確認した。

 電波はある。

 でも、バッテリーは心許ない。


 別荘の中に、非常用の何かがあった気はする。

 でも、それを探すために動く気力が、今はない。


 窓の外を見る。

 湖は、相変わらずだ。


 でも、昨日までと違う。

 近い。


 距離が縮んだ気がする。

 もちろん、物理的にはそんなはずない。

 でも、視界の中で占める割合が、増えている。


 私は、仕方なく外に出ることにした。

 非常事態だ。

 引きこもりにも、例外はある。


 玄関を開けた瞬間、空気が変わった。

 湿っていて、重い。

 森の匂いが、近い。


 イヤホンをつけようとして、やめた。

 スマホのバッテリーは節約したい。


 一歩、外に出る。

 足元の砂利が鳴る。


 その音が、湖に吸い込まれた。


 湖畔までの距離は、ほんの数十メートルのはずだった。

 なのに、歩いても歩いても、辿り着かない。


「……道、こんな長かったっけ」


 立ち止まる。

 振り返る。


 別荘は、ちゃんとそこにある。

 逃げ道はある。


 なのに、前を見ると、湖しかない。


 水面が、微かに揺れていた。

 風はない。

 何かが、水の下で動いているみたいに。


 ぽちゃん。


 音がした。

 今度は、はっきりと。


 私は、反射的に後ずさる。

 足が、何かに触れた。


 冷たい。


 見下ろすと、水だった。

 いつの間にか、湖の縁に立っている。


「おかしい」


 声に出すと、余計におかしくなる。

 森が、音を立てない。

 鳥も、虫も、いない。


 水面に、自分の顔が映った。

 疲れていて、青白くて、

 でも、目だけがやけに冴えている。


 その横に、

 もう一つ、影が揺れた。


 見間違いだ。

 そう思った瞬間、

 スマホが震えた。


 通知。


『外出た?』


 心臓が跳ねた。

 なんで分かる。


『出てない』

 咄嗟に嘘をつく。


 湖から、目を離せない。

 水面が、少しずつ歪んでいる。


『じゃあいい』

『今、変な夢見てさ』


 変なのは、こっちだ。


 私は、全力で後退した。

 湖から、距離を取る。

 視線を切る。


 数歩下がると、

 さっきまでの違和感が、嘘みたいに消えた。


 道は短い。

 別荘は近い。

 湖は、いつもの場所にある。


 まるで、何もなかったみたいに。


 中に戻ると、電気がついた。

 エアコンが動き、

 冷蔵庫が音を立てる。


 パソコンも、普通に起動した。


 私は、その場に座り込んだ。

 笑えない。


 スマホを見ると、

 さっきの通知は残っている。


『湖、見る夢』

『引きこもり向いてないって』


 私は、返信しなかった。


 その夜、

 イヤホンをしても、

 推しの声が、湖の音に負けた。


 ぽちゃん。

 水が鳴る。


 それはもう、

 気のせいではなかった。

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