15.つま先で精一杯
「あなたの父親に対して、こう言うのは何だが、公爵は中枢から除いた。あなたが残した政策の数々も、可能な限り実現させた。これからもあなたが過ごしやすいよう、出来る限り心を配る。だから──どうか皇宮に戻ってきて欲しい。俺の……子どもと一緒に」
「……!」
シュテファンの言葉に胸が高鳴る。
そう出来たら、どんなに良いか。
でも──。
「ですが私が戻ると……、アンネはどうするんです……?」
声が震える。彼女の名がまるで鋭利な刃物のように、私の心を突き刺してくる。
なんて殺傷力の高いヒロイン。
「……? アンネ?」
私が身を切られながら尋ねた名前を、シュテファンは心底不思議そうに聞き返した。
「シュテファン様には、アンネがいるでしょう?」
(あなたと彼女の仲睦まじい様子を見る勇気は、私にはないの。それに彼女だって嫌がるわ)
前妻──まだ離婚してないけど──が子どもを連れて戻ってくるなんて、アンネの立場がないはず。
そんな私の心境をよそに、シュテファンが眉根を寄せる。
「待ってくれ。アンネとは誰だ? あなたは何の心配をしている?」
その様子は本気でわかってないように見える。もしとぼけてるなら、凄まじい演技力だ。
「アンネ・ヴィンケル。伯爵家の令嬢で侍女を務めていた彼女です」
(もう! ここまで言わせないで。名前を出すだけで辛いのに。私は小説を読んで知ってるんだから、隠さないで欲しいのに)
「……? ……! ──!!!」
私の前でシュテファンの表情が、"思い当たった"とでも言うように変化した。
「もしやとは思うが、あなたが言っているのは媚薬犯のアンネか?」
「媚薬犯? 犯人は、シュテファン様が知らない侍女だったのでしょう?」
媚薬事件は名の知れぬモブ侍女が、皇帝に懸想して起こった事件だったはず。
皇帝に愛されるヒロイン、アンネには無縁の話。
媚薬事件という言葉に、ルーイを身籠るきっかけになった夜の記憶が鮮明に蘇り、すぐそばにいるシュテファンの太い首筋にドキリとする。
不埒な私の視線に気づかぬまま、シュテファンが改めて私に言った。
「事件の犯人の名は、アンネ・ヴィンケルだ。ヴィンケル伯爵家の。俺とは面識のない侍女だった」
「……え……?」
(面識がない? どういうこと?)
「ア、アンネとシュテファン様は、両想いなんですよね?」
「は!??」
険悪な声に驚いて、当時を辿る。
(あっ、あのタイミングではまだ恋人未満だっけ? ででで、でも、皇宮にまで呼んでたのに?)
「なんだそれは! いつ俺が、あんな女と両想いになったんだ。はっ、まさかあの女に何か吹き込まれていたのか?」
「えっ、えっ?」
「くっ、あの女……! 取り調べた際も、あなたに対する不敬な発言が多かったと周りの者が言っていた。だが、まさかあなたにまで巫山戯た嘘を告げていたとは」
「恋仲では……、ないのですか?」
「断じて違う! それじゃまるで、俺が浮気男じゃないか」
「で、ですが、シュテファン様が彼女を皇宮に呼んだのでしょう?」
「俺が? なぜ? まったく知らない女だぞ? なんで皇宮に呼ぶんだ」
「ええ……?」
いろいろ、思ってたのと違う。
「第一あの女は、事件後すぐに追放している。──こんな禍根を残していたなら、もっと罰を与えておくべきだった」
シュテファンが悔しそうに呟く。
私も媚薬事件の犯人は、皇宮から追い出されたと聞いていた。
その犯人がアンネだったなら、じゃあ──。
(この世界線のシュテファンは、アンネと出来てない?)
それはつまり、私が期待しても良いということ?
「ではアンネとは──、何もなかったのですね?」
駄目押しで確認すると。
「当然だ! 俺はあなたと出会って以来、ずっとあなた一筋だ!!」
「!!! ひと、すじ?」
(そんな話は初めて聞きますが?)
びっくりして。目が転がり落ちるかと思うくらいびっくりして。
当惑のままにシュテファンに釘付けになる。と、彼は彼で自分に驚いたように、あたふたと慌てながら真っ赤になった。
「そのお言葉は……、本当ですか? シュテファン様」
「……」
小さい声だけど、彼はきっぱりと言い切った。
(アンネと彼は無関係だった! 私に一筋だって、言ってくれた!)
どうしよう。胸いっぱいの歓喜に、今にも踊り出しそう。心臓はすでに、ラテンのリズムでステップを踏んでいる。
「花嫁姿のあなたを見て……なんて美しい女性だろうと心惹かれた。その後、寝室で堂々と話して、あなたの物怖じしない態度に──」
(生意気だと思った?)
「完全に、陥落した」
「?!」
「結婚して以来、二心を抱いたことは決してない」
「なのに、あなたにそんな誤解まで抱かせていたなんて……。自分が不甲斐ない……」
しょぼくれた犬のように、シュテファンが項垂れる。
「初夜のやらかしで嫌われたのはわかっていたから、頑張って歩み寄ろうと部屋に通ったんだが……」
(あ、毎日お茶を飲みに来ていたのはそういう──。って)
「嫌われた?」
「……違うのか?」
(あわわ、何その子犬の眼差し!)
切ないクゥンが聞こえて来そう。
なんてことだろう。
彼は私に、嫌われたと思っていたなんて。逆じゃないの?
(本気で不器用だわ、この人)
不器用で、無骨で、繊細で、ずば抜けて美丈夫で、優しい。
離宮と戦場で育ってきた彼は、それこそ同年代の友達や異性なんて珍しく、私にどう接していいか分からなかったのだろう。
そんな彼が新妻に寄り添うため、精一杯努力してくれていたのだとわかって、胸に熱いものが込み上げて来た。
私が小説を妄信しすぎず、彼にもっと目を向けていたら。
こんなすれ違いは起こらなかったかも知れない。
「シュテファン様……」
ん、というように皇帝が私と目を合わせた。
その頬に、そっと手を伸ばす。
「それこそ誤解です」
ごめんなさい、あなたを置き去りにして。それから。
「私はあなたを、愛しています」
思い切り、つま先立ちで背を伸ばした。
彼に精一杯、近づけるように。
私の口づけは、彼の顎にほんの少し、触れただけだったけど。
次の瞬間、抱え込まれるようにして、彼の唇が私のそれに重なった。
むさぼるように求められて、そんな彼に応じながら、(五年ぶりにして二回目のキスなのでは)と、熱い吐息の中気づく。
「──俺は学習した」
「え?」
「こんな行き違いが生まれたのも、気持ちを言葉にしなかったせいだ」
「!」(ド正論!)
「だからこれからはきちんと伝えていく」
剝き出しの気持ちが、声になって射抜いてくる。
「愛してるエリザ。俺はもう、あなたと離れるつもりはない。当然、離婚もなしだ。良いよな?」
(あ、今の彼、なんだか素っぽい──)
年下らしい表情を見せて強請る彼に頷くと、またも口を塞がれて。
私から愛を伝えた皇帝は。
その後漲る自信で、愛の言葉を千も万も降らせてくれた。
聞き終える頃には、すっかりずぼずぼに溺れ切っていたから、私はホント、よく溺れる。
それからたくさん、話をした後。
「その……、ルーイにあなたのことを紹介したいのですが……、よろしいですか?」
「もちろん、そうしてくれると嬉しい。ルーイは先ほど話してくれた託児所に?」
「はい。そろそろ時間なので、お迎えに行こうかと」
「なら──俺も一緒に行って、良いだろうか」
「もちろんです」
にっこりと、彼に微笑む。心無しか、ぎこちなく緊張している様子の彼が可愛い。
最初にルーイになんて言おう。驚くよね、お父さんだよ、なんて。
ルーイには、仕事の都合で遠く離れてると説明していた。この町では父親が出稼ぎに出ることが多く、周りの友達もそんな境遇だったので、特に疑問は持たれてない。
けど、まだ見ぬ父親に会いたがっていたから……。
(いや、でも人見知りもするんだっけな──。どうかなぁ、反応、わかんないなぁ)
浮き立つ気持ちでそんなことを考えながら、私たちが徒歩で託児所に向かうと。
門の付近に騒然と人だかりが出来、警邏隊まで遠巻きに見ている。
「何かあったんですか?」
顔見知りのママ友(?)に、声掛けると、相手が真っ青な表情で振り返った。
「あっ、ルーイくんのお母さん! 今呼びに行こうとしてたの。ルーイくんが──」
エリザの中では解決がまだだったアンネさんの件でした。
さて、毎日「更新無理かも…!」と、ムリムリ詐欺を展開中ですが、他サイトへの転載準備やエッセイ連載の用意などで、2月頭の予定が乱れております。更新お休みしたら、それやってる、と温かく待ってやってくださいませー。いつもありがとうございます♪ヾ(*´∀`*)ノ
作中の"それからたくさん、話をした"部分は、実はベッドに並んで話してた想定なのですが…。なぜか二人は寝室に移動したようです。"R15"ということで、そのあたりバッサリ削りましたので、あとで調整するかも知れません…(;´∀`) どうしよう…。




