ちょっと、休んでこっか
高層ビルが見当たらない、ヨコハマのお洒落な雰囲気は一切ない、雑然とした街。昭和から続いているであろう塗炭の大衆酒場、居抜きの小型スーパーマーケット、ラーメン屋、風俗店、その他用途不明の雑居ビル。
行き交う人々を観察すると、赤いビニル製のジャンパーを着た猫背気味な中高年の女、目が虚ろな黒ずくめの痩せた若い男。
幼いころ、両親に連れられて大道芸を観に来た覚えがあるこの辺りは、大人になって改めて訪れるとだいぶディープだ。
みなとみらい地区からここまでの数キロを歩いてきたので、かなり疲れている。
「この辺ね、夢叶と舞ちゃんとでよく飲みに来るんだ」
「へぇ」
怖くないのだろうか。
「ちょっと一杯どう?」
換気扇から煙が出ている焼き鳥屋の前を通りかかったとき、美奈さんが僕を誘った。
焼き鳥屋ならいいだろう、一人では行かないだろうし、社会経験だ。美奈さんに先導されて店内に入ると、カウンターのみの狭い店で、脚が長くピッチの狭い赤い丸椅子が所狭しと並んでいるだけだった。
店内ではグレーと黒のポロシャツを着た中年男二人組がジョッキ片手にレバーを囓っている。
大将は白い割烹着を着た痩せ型の老爺。一人で切り盛りしているのだろうか。
メニュー表はなく、壁に掛けられた木札に書かれたものから選ぶようだ。
「ビールでいい?」
「はい」
「おっちゃーん! 生2つとカワネギマレバーモモツクネ塩とタレで2つずつ、あと冷やしトマト!」
「はいよっ」
大将、美奈さんの矢継ぎ早な注文をちゃんと聞き取れているのだろうか?
「違うのが来たらそれでいいんだよ」
「エスパーですか?」
「猫島くんはわかりやすいもん」
ニカッと笑う美奈さんの左腕が、僕の右腕と触れ合う。それほどまでに密な店。窮屈な空間が苦手な僕は、混んできたらここにいられないだろう。
ジュージューと小気味良い音を立てながら焼き上げられてゆく小さな串刺しの肉。その間にジョッキビール、少し間を置いて半月切りの冷やしトマトが差し出された。長方形の皿に盛られたトマトには塩がまぶされていて、右上部にはマヨネーズがちょこんと乗っている。
「それじゃ、カンパーイ」
「カンパーイ」
くびっ、ぐびっと一気に飲み干した美奈さんは「おっちゃんビールもう1杯!」と、僕が一口飲んで一息ついているところで早くも2杯目に突入した。
黒いプラスチック製の箸でトマトをつまんでいると僕も1杯目を飲み干し、2杯目はレモンサワーにした。こちらはステンレスのタンブラーだ。
焼き鳥は、若干の焦げ目がついていてカリッ、ジュワッとしている。
「うまい! 大将うまいよ!」
美奈さんが大将に言った。
「ありがとうございます」
串焼きを竹格子の団扇で扇ぎ、煙を散らす大将は、こちらを見ず慎ましく礼を言った。
「いやー、食った食った!」
店を出て、ポンポンと自らの腹を叩く美奈さん。空はまだ明るく霞んでいる。
遊び回り歩き回り、血行の良い身体にアルコールが駆け巡り、僕は少しふらついている。
「おっと、大丈夫?」
ふらついて前のめりになった僕を、美奈さんが背後から両手で抱えて持ち直させてくれた。背に触れたその感触に、心の臓が刹那にぎゅっと引き締まった。
「ちょっと、休んでこっか」
美奈さんが立ち止まったのは、宿泊も休憩もできる、リーズナブルなホテルの前だった。




