貧乏性が呼ぶ不幸について
子どものころ、森崎家ではしばしば消耗品が尽きていた。お風呂に入るとボディーソープがない、またある日はシャンプーやコンディショナーがない。洗濯洗剤も食器用洗剤もない。そんなことが高頻度で起きていた。
わたしが就職して消耗品を購入するようになってからはほぼ起きなくなったが、母がすべてを買い揃えていたころは、予備を持たない性格による災いに苛まれていた。
お風呂に入ってもお湯で流すしかできない。その不快たるや。
父は家事に無関心。男用のシャンプーやボディーソープを自分で買い揃えていたから問題なかったし、洗濯や食器洗いもしない。
とにかく切り詰め切り詰め、予備は持たない。その割に買い物に行くと無駄遣いをする。トイレの消灯忘れも多い。
そんな人間の人生が、好循環を生むわけがないのだ。家庭内でも社会全般でも。恐らく職場でも、良い仕事はできていないのだと思う。頑張ってるのに給料を上げてくれないとよく嘆いているが、職場からすれば実績がなければ昇給する義理はない。もし実績を上げているのに昇給しないとなればブラックである可能性が高いので退職や、わたしのような兼業を慫慂する。
現代においては物価高騰が顕著だが、やはり母の性格は変わらない。予備を持たないということは、次に購入するころには価格が上がっている。手元にある千円札の価値が、そのころには7百円程度になっている可能性がある。
昭和時代、国鉄の初任給は1万円だったと、とある先輩は言った。現代で1万円など到底考えられないが、じわりじわりと物価が上がり、現在に至っている。
すなわち予備を持たないイコール資産価値を考慮できないということ。足の速いものならまだしも、ではあるが。
貧乏性は、自分も周囲も不幸にする。
惨めさの強要を無自覚にする。
そういう者に、わたしはなりたくない。




