33 新たな歩み
マクラレン侯爵の処遇がローズ伯爵家に伝えられたのは、あの出来事から一週間程経ってのことだった。
王宮から届いた手紙には、マクラレン侯爵は爵位を他の親戚に譲り、平民として生きていくことになる、と書かれていた。さらに、フィオナとの接触を禁じるため、ローズ家の領地とは真反対にある王家直轄の地域で暮らすことになるという。
「貴族籍の剥奪なんて……」
呆然としたようにフィオナがつぶやいた。その言葉アルテリアはすぐに反応した。眉を寄せて、フィオナの方を見やる。
「姉さん、まさかこの期に及んで可哀想だなんて思ってないよね」
「まさか。……でも、奥様とご子息は、どうなるのかしら」
「それこそ姉さんの気にすることじゃないよ」
アルテリアがぴしゃり、と言ってのける。フィオナの心配ももっともだが、それを気にし始めてしまえばキリがない。
それでもフィオナは「そうね」と何かを飲み込むように頷いた。その様子にアルテリアがああもう、と頭を掻く。
「侯爵夫人はあいつと離縁して愛人のところに行ったらしい。息子の方は、将来侯爵家を継ぐためにその親戚の養子になったんだって」
「……教えてくれてありがとう、アル」
「いいえ。姉さんが余計な心配をするくらいならこれくらいお安い御用ですよ」
「ふふ」
社交界に精通しているアルテリアなら、きっと知っているだろうということも、フィオナが頼めば教えてくれるだろうこともわかっていた。結果、そのとおりアルテリアは知り得た情報をフィオナに話した。
フィオナだって、マクラレン侯爵を心配などしていない。可哀想などとも思っていないし、おそらく許すことはできないだろう。それでも、それに類する他の家族にまで責が及ぶことは願っていなかった。
「それより姉さん、今日はテオとランチだろう」
「あ、そうだわ、もうこんな時間」
「わざわざ馬車で迎えに来るんだろ? 過保護だよね」
「心配してくださってるのよ」
あの事件があってからと言うもの、フィオナとテオドールが一緒に出掛けるときは必ずテオドールが馬車で迎えに来るようになった。もう大丈夫、というフィオナも「貴女が心配だから」という真っすぐな言葉で絆されてしまう。
アルテリアからは先ほどのように過保護だと揶揄われてしまうけれど、それほどまでに大事にされていると考えてみれば、フィオナはそれほど嫌な気持ちにはならなかった。
「お嬢様、まもなくラングレー家の馬車が到着いたします」
「はい、すぐに行くわ」
「楽しんでね」
「ええ、ありがとう。アルも今日は出かけるんでしょう?」
「そうなんだよ。最近気になる子が出来てね、その子と」
「ふふ、今度紹介してね」
軽い言葉を交わして、フィオナは部屋を出ていった。アルテリアはその背中を見送りながら、早く結婚してしまえばいいのに、と思っていた。
フィオナとテオドールが恋人になって、数か月経った。婚約はまだかと公爵夫妻は急かしているようだけど、テオドールはきっとフィオナの気持ちが落ち着くのを待っているのだろう。わが親友ながら律儀な奴だ、なんて思いながらアルテリアも立ち上がった。今日もまた、運命の相手を探すために出かけなければならない。
「テオドール様、お待たせしました」
「いや、時間ちょうどだ」
馬車が到着するのと同時に、フィオナが玄関ホールに到着した。外に出ると、テオドールがちょうど馬車から出てくるところだった。
エスコートのためにテオドールが手を差し出せば、フィオナがその手を取る。
「やっと貴女をサンルームに招待できるな」
「ええ、楽しみにしていました」
「気に入るといいんだが」
最初に招待しようとした日から、数か月経った。その間もふたりで出かけることはあったけれど、大体が買い物や観劇、レストランでのディナーであり、ラングレー家に行くことはなかった。
「母上が会いたがっていた。いつも早く連れてこい、と」
「公爵夫人にお会いするのも久しぶりですね、楽しみです」
「相手にするのはほどほどで構わないからな」
「わたくしもお話したいですから」
馬車の中で向かい合ってそんな会話を交わす。恋人になった当初は、その関係性の変化に戸惑ってうまく話せないこともあったけれど、今となっては慣れたものだ。ふたりの間には、穏やかな空気が流れていた。
しかし、それゆえに、フィオナは少しだけ緊張していた。
ラングレー家にできたというサンルームは公爵夫人がデザインした素晴らしいものになったと聞いている。美しい花が植えられ、日焼けをしないように考慮されながらも、明るく日差しが入る仕様だという。
これまでラングレー家に呼ばれることは、あのドレスの採寸のとき以外なかったのに、こうして改めて呼ばれたことに、意味を感じずにはいられないのだ。
(恋人になって、それなりに経ったから、もしかすると……)
正直に言えば、アルテリアや両親も、二人の婚約は秒読みだと思っているようだった。その空気を日々感じながら、しかし自分から言うこともできずにフィオナはやきもきしていた。この関係性の先にあるものが何かなんて、いわずともわかっている。しかし、それを言葉にされることを待っているのもまた、確かな話だった。
「わあ……」
「気に入ってくれるといいんだが」
「とても素敵です……!」
サンルームに案内されたフィオナは、その美しさに感嘆の声を漏らした。天気の良い日を選んだらしく、すりガラスになった天窓からはやわらかな陽が差していた。
色とりどりの花はフィオナが好きなものから、見たことのないものまでたくさんあった。それらを眺めながら、二人でランチをとる。ラングレー家のシェフはもともとは王宮で働いていたらしく、いずれのメニューも美味しく、食事が進んだ。
そんなフィオナを見ながら、テオドールがふっと笑う。
「気に入ってくれたようでよかった」
「はい、どれも美味しくて……」
「ほかにも好きなものがあったら教えてほしい」
その優しげな瞳に、フィオナもほっと息をつく。数か月前に初めて告白をされた日から、ずいぶんとこの瞳には慣れたものだ。最初はあんまりに甘くて、逃げ出したくなってしまっていたのに。それでも、今となってはこれがなくなることが想像もできなかった。
デザートまで食べ終わって、お互いの近況を教え合う時間が続いた。有名な役者の出る舞台が開幕するから一緒に行こう、だとか、最近はレモンを使ったスイーツが流行っているだとか。そんな話をしているとき、ふと、テオドールが口を噤んだ。
その様子にフィオナが首を傾げると、テオドールが立ち上がって、一歩フィオナの方へと近づいた。
どこか緊張したような面持ちのテオドールに、フィオナは、あ、と思う。きっと、これは。
「……フィオナ嬢」
「は、はい」
テオドールの様子に、声が上ずってしまう。そんなフィオナの様子にも気づかないほど緊張しているのか、テオドールがポケットから何かを取り出す。ここまでくれば、次に何が来るかなどわかりきっている。心臓が一瞬で早鐘のように鳴り始めた。
「その、俺はあまりこういったことが得意ではないから、そのまま伝えようと思う」
「……はい」
「フィオナ嬢、貴女のことを愛している。……俺と、結婚してほしい」
そう言って差し出されたのは、薄紫のケースに入ったダイヤモンドの指輪だった。きっと、誰しもが憧れる状況だろう。フィオナは、すぐに返事をしようと口を開いた。しかし、呼吸が一つ零れただけで、何も言葉が出てこなかった。
返事がないことに、不安を覚えただろうテオドールが顔をあげる。目の前のフィオナの様子を確認しようとして、ぎょっとする。フィオナは、泣いていた。
「フィオナ嬢……!?」
「ご、めんなさい、わたくし、私……」
ごめんなさい、という言葉に、テオドールの肩がびくりと跳ねる。一世一代のプロポーズのあと、最初に聞く言葉が謝罪だというのは、何と心臓に悪いことだろう。「フィオナ嬢」ともう一度テオドールが震える声で名前を呼ぶ。
「違うんです、……う、嬉しくて……」
「嬉しくて……? では、」
「っ、……はい、わたくしも、貴方と、テオドール様と一緒に居たいです」
ぽろぽろと涙をこぼしながら、フィオナが微笑んだ。それは、これまで見てきた誰の涙よりも、美しく見えた。その返事を聞いた瞬間、テオドールはたまらずフィオナを抱き寄せた。自分より小さなその身体を抱きしめて、大きく息を吐く。
「断られる、かと……」
「そんなこと、絶対にないです」
「ああ、貴女も俺を好いていてくれると思っていたから、肝が冷えた」
そっと身体を離して、見つめ合う。ゆっくりと、ふたりの顔が近づき、どちらともなく口唇を合わせた。それが、ふたりの初めての口づけだった。
次回が最終回です。




