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28 安堵

メアリが必死にドアを叩く音が聞こえていた。マクラレン侯爵はそれも聞こえないようで、ただ、私を見下ろしていた。

ぎらりと光るナイフの切っ先が私の方を向いている。いつ、それが私を切りつけるかわからない。心臓がうるさい。少しでも気を抜くと、叫びだしてしまいそうだった。それでも、彼を刺激するわけにはいかなかった。


「レオ、……それをしまって?」

「大丈夫、大丈夫だからね、フィオナ、すぐに僕のものにしてあげるから」

「お願い、話を聞いて」

「君は僕の花嫁になるんだ、嬉しいだろう? 嬉しくないはずがない、だって君は、僕を待っていたんだから」


繋がれたままの手が、再び握りなおされる。彼の中の私は、きっともうずっと歪んでしまっているのだろう。どうして、そうなってしまったのだろうか。

あの結婚式の日、私たちはそれぞれの幸せのために歩き出したのではないの?


「少し傷むかもしれないけど、すぐに手当してあげるから……ッ」


ナイフが、私の顔に向かってくる。どうしよう、どうしたら。心臓がうるさい。背筋が冷たい。こわい。助けて、だれか、だれか!


(テオドール様……!)


ぎゅ、と目をつぶった、その時だった。


「フィオナ嬢、無事か!」


ガキン、と金属のへしゃげる音がして、ドアが開く。馬車のなかが明るくなって、伸びた手がマクラレン公爵の襟首を掴み、地面に叩きつけた。

その声を聞いて、どうしようもなく、泣きそうになった。ぽつりと、その名前を呼ぶ声が溢れる。眼の前で倒されたその人が、必死に私に向かって何かをいう。それらすべてが、彼の中で作られたものでしかなくて、理解ができなかった。


テオドール様が、マクラレン侯爵を馬車の外に出す。騒ぐその言葉が、遠く聞こえた。


「お嬢様!」


そっと一歩踏み出すと、メアリが駆け寄り抱きしめてくれた。ぎゅ、と強いその力に、ようやく安堵する。ああ、助けが来てくれたのだ。あの悪夢のような時間が、終わった。

それでも、私の方へ向かおうと、彼はテオドール様の拘束から逃れるために暴れていた。


「よかった、お嬢様……!」

「メアリ……」

「わたしが、不用意にドアを開けたから……!」

「それは違うわ、貴女のせいじゃない」


お互いに抱きしめ合って、宥める。あのとき、様子を窺おうと外に出るのは何もおかしいことじゃなかった。どうしてこんなことが起こると思うだろう。メアリや御者のせいなんかじゃない。


「フィオナ嬢、大丈夫か」

「テオドール様……」


護衛に彼を引き渡したテオドール様がこちらに向かって歩いてくる。メアリが一歩下がって離れた。私も一歩前に踏み出す。


「すまない、助けるのが遅くなった」

「いいえ、本当に、ありがとうございます」


謝られることなど、ひとつもない。こうして助けに来てくださったことが、何よりも感謝するべきことだ。

――でも、もしも間に合っていなければ? そんなことを考えて、膝が震え始める。助かったあとに、その恐怖で震えるなんて。心配をかけてはいけない、と顔を上げようとしたとき、テオドール様が一歩近づいてきた。


「すまない、触れることを、許してほしい」


その言葉とともに、テオドール様の腕の中に抱きしめられた。一瞬、何が起こったのかわからなくて、でも、その温かさに、ぐ、と胸が苦しくなる。


「テオドール、様」

「……無事で、よかった……!」


強く抱きしめられるその力に、その言葉に、込み上げてくるものを抑えることができなかった。じわりと、視界が歪んで、すぐに溢れ、こぼれだす。


「大丈夫だ、もう、大丈夫だから……!」


ああ、来てくれた。あのとき、頭の中で読んだ名前、それはテオドール様のものだった。私を宥めるように、ただ抱きしめてくれるその優しさに、みっともないと思うのに、どうしても縋りたかった。


「わ、わたし、こわくて、でも、怒らせちゃだめだと、おもって」

「ああ、貴女はよくがんばった」

「貴方が来てくれて、よかった……!」

「っ、ああ……!」


テオドール様の腕の中で何度も繰り返せば、テオドール様の力が強くなる。それが、心地よく、安心できた。


「姉さん!」

「っ、アル……!」


こちらにかけてくる足音と、アルの声が聞こえた。テオドール様の腕が緩んだ。そっと、その熱が離れていく。


「姉さん! 無事で良かった……!」

「アル、来てくれたの……っ」

「当たり前だろう! っくそ、あいつ……!」

「待って、アル! だめよ!」

「一発殴ってやらなきゃ気がすまないよ!」


マクラレン侯爵のほうに走っていこうとするアルテリアの腕を掴む。それでも止まろうとしないアルを、今度はテオドール様が襟首を引っ張って止めてくれた。


「ああくそ……! ……テオ、ありがとう」

「いや、……馬車がうちの近くまで来ていたからなんとか間に合った。運が良かった」

「それでも、君がいなければどうなってたか……」

「そう、そうね……」

「っ、姉さん!」


アルの姿を見て、気が抜けてしまったのかくらりと視界が揺れた。テオドール様が支えてくれたけれど、それは止まなかった。薄白む思考を必死に保とうとする。でも、それも間に合わず、意識は闇の中に落ちていった。



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