27 救出劇
フィオナ嬢が我が家に来るという日、いつもより一時間も早く目が覚めてしまった。
新しくできたサンルームは、口実でしかない。母上が造らせたそれはよく陽が差すけれど、日焼けをしないように天井は乳白色の磨りガラスになっている。お茶会がしやすいように、そういう仕様になっているのだろう。
今日は、そこで一緒にランチをとることになっている。そのあとは我が家の図書室に案内しようと思っている。
「あら、早起きね」
「……おはようございます」
食堂に顔を出すと、母上はすでに食事をとっていた。今日は王宮のお茶会に呼ばれているらしい。早めに出発するんだろう。訳知り顔で笑う顔に、居心地の悪さを覚えながらも席につく。
それからは、時間の流れがゆっくりだった。早く彼女がくればいいのに、なんて思いながら過ごした。
約束の時間に近くなってから、玄関ホールから外に出る。ジェイムスからは「せっかちですね」なんて言われたけれど、そわそわしながら部屋に居るほうが落ち着かなかった。
「……あれは?」
ふと、ジェイムスが声をあげる。視線は門の方に向いていた。そちらの方を見ると、誰かがこちらに走ってくるのが見えた。
「あれは……、ローズ家の、御者のはずだ」
「様子がおかしいです、行きましょう」
門まで駆けつければ、息も絶え絶えな御者が青ざめた顔で「フィオナお嬢様が、」と言った。心臓が、一瞬で冷たくなるような感覚がした。
「落ち着け! 何があった!」
「馬車に、男が! マクラレンのやつが、お嬢様の乗る馬車に立てこもって……!」
「……! ここからどのくらいだ!」
「すぐです! 走って、5分ほどのところで、もうすぐ着くはずだったのに……!」
クソ、と吐き捨てる。何をするかわからないと思っていたが、まさかこんな強硬手段に出るとは。
ジャケットを投げ捨て、走り出す。
「ジェイムス! 護衛を呼んで来い! 警衛隊への通報も忘れるな!」
「かしこまりました!」
馬を取りに行こうかとも思ったが、その距離なら走った方が早いだろう。
体力には自信がある、走るのにも。だが、ずっと心臓がばくばくとうるさかった。息が簡単に切れる。でも、止まるわけにはいかなかった。
早く、早く着け。たった数分が、永遠にも思えた。
ローズ家の馬車が見えるころ、気管がこれでもかというほど痛みを訴えていた。そんなこと、知るものか。
馬車に近づけば、フィオナ嬢の専属メイドが、必死にドアを叩いていた。窓から、マクラレン侯爵の頭が見えた。
「退け!」
「っ、はい!」
数歩下がったメイドを確認して、思いきり地面を踏み込む。そして、思いきり力に任せてドアを押し蹴った。
ガキン!と金具が外れ、内鍵が外れる音がした。そのままドアを開いて中に押し入り、男の襟首を掴み、床にたたきつける。
「ぐあッ……!」
「ッは、フィオナ嬢、無事か!」
「テオ、ドール様……」
震えた声が、俺の名前を呼ぶ。その小さな体が、震えている。怪我をしているわけではなさそうで、ほっと息を吐くが、カランと音がして、フィオナ嬢の足元にきらりと光るものが見えた。そちらを見やると、ナイフが転がっていた。頭にカッと血が上るのが分かる。その頭を思いきり掴んで、もう一度床にたたきつける。男が、苦しげな声をあげた。
「くそっ、くそ……! 離せ!」
「貴様……!」
「僕はフィオナを迎えに来ただけだ! 何故お前が邪魔をするんだ! 離せ! なあフィオナ、こいつに言ってくれ、僕たちは愛し合ってるんだと、誤解があるんだと……!」
「フィオナ嬢、聞かなくていい!」
その腕を掴み上げて、馬車の外に投げ飛ばす。地面に倒れこんだその身体を押さえつけて、動けないように拘束する。変わらずに抵抗するから、ぐ、と体重を掛ければ砂利がめり込むのか鈍い声が上がった。
「お前がフィオナを夜会になんか連れ出さなきゃ……! こんな手を取る必要もなかったんだ……! 僕が離縁するまで、彼女は待ってくれるはずだったんだよ!」
「聞くに堪えないな」
「黙れ黙れ! くそ、くそっ……! フィオナ、助けてくれ、こいつに言ってくれよ……!」
男がフィオナ嬢の名前を呼ぶと同時に、メイドがフィオナ嬢の元に駆け付ける。「お嬢様!」とその身体を宥めるように抱きしめた。
その様子に視線を向ければ、フィオナ嬢は青ざめた表情で震えていた。どれほど、怖い思いをしただろうか。ますます目の前の男が許せなくなり、もう一度頭を掴んで叩きつけたい衝動に襲われる。しかし、それをするわけにはいかなかった。必要以上の暴力は、酌量の余地を与えてしまう可能性がある。奥歯を噛みしめて、その感情を必死に抑えた。
「テオドール様!」
抵抗する男を抑えていると、しばらくして護衛の声が聞こえた。ジェイムスから聞いてすぐに来てくれたのだろう。ロープを持ってこちらに走ってくる。その姿は三人ほど見えた。
「引き受けます」
「ああ、頼む」
「くっ……! 離せよ! 僕は侯爵だぞ……!」
護衛に引き渡してもなお騒ぐ姿が、ひどく愚かに見えた。護衛に命じてロープでその身体を拘束し、布で口を塞いだ。これ以上こいつの声を聞くことは堪えられなかった。
「警衛隊に引き渡すまでここで監視してくれ」
「わかりました」
「くれぐれも傷はつけるなよ。なんせ、『侯爵様』だ」
わざとらしくそう言えば、男はかっと目を開いてこちらに向かって来ようと身体を捩らせた。しかしすぐに護衛に捕まり、地面に跪かされる。みっともない。こんな男が、一時でもフィオナ嬢の婚約者であったのかと思うと、はらわたが煮えくり返りそうだった。
「フィオナ嬢、大丈夫か」
「テオドール様……」
馬車に近づいて声を掛ければ、メイドが一歩引いて後ろに下がる。フィオナ嬢の表情はまだ硬い。それでも、助けることが出来たことの安堵の方が大きかった。
「すまない、助けるのが遅くなった」
「いいえ、本当に、ありがとうございます」
気丈にふるまってはいるが、その肩は震えていた。今になって、また、心臓がうるさくなった。もしも間に合っていなければ? 彼女が、心だけでなくその身さえも傷つけられてしまっていたら? 想像するだけで、ぞっとする。
「すまない、触れることを、許してほしい」
「え……、っ」
許可も待たずに、フィオナ嬢の身体を抱きしめる。
彼女が無事であることに、その奇跡にどうしようもなく苦しくなった。こんな感情は知らなかった。大切な人が危険にさらされる恐怖、そして彼女が感じた恐怖。それら全部を払拭したくて、ただ、彼女を腕の中に閉じ込めた。
「テオドール、様」
「……無事で、よかった……!」
「っ、……ふ、ぅ……ッ」
小さな嗚咽が聞こえる。怖くなかったはずがない。それでも努めて冷静であろうとしたのだろう。でなければ、あの男はもっと早くに手を出していたはずだ。どこまでも淑女らしい姿に、敬意さえ覚える。だが、今はそれを脱ぎ捨ててもいいから、とにかく安心してほしかった。貴女を害すものは、もういないのだと。
「大丈夫だ、もう、大丈夫だから……」
「う、っ……う、ああ……っ」
腕の中で震える小さく、愛しい存在が少しでも、気を休められるように。その身体を強く抱きしめた。
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