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26 衝動の波に

「それじゃあ行ってきます」

「ええ、二人によろしくね」


屋敷を出て、メアリと一緒に馬車に乗り込む。外出は久しぶりだった。

家にいる間はいつも通り本を読んで、時々刺繡をしていた。外に出ない方がいい、と言われて数週間経って、そろそろいいだろうと許可が下りたのだ。

少し過保護な気もするけれど、私のことを思ってくれているからこそと思えば、嬉しかった。


今日は、テオドール様に誘われてラングレー公爵家に行く日だった。新しくサンルームが出来たらしく、それを見に来ないか、と誘われたのだ。


『貴女のことが好きなんだ、フィオナ嬢』


あの日から、この言葉を思い出さない日はない。思ってもみなかった言葉に困惑が大きかったけれど、だいぶ落ち着いてきた。時間をください、とお願いしたけれど、テオドール様はどう思っているのだろう。


「お嬢様、何だか嬉しそうですね」

「え、そうかしら」

「はい、顔色もいいですし。今日が楽しみだったんですね」


メアリがそう言って微笑んだ。自分ではわからなかったけれど、そうか、私は今日を楽しみにしていたのか。テオドール様に出会ってから、自分の世界が広がったように思う。これまでは本を読むことしか楽しみがなかったのに、いつの間にかテオドール様とお話する時間を楽しいと思うようになっていた。


「そうね、……わたくし、楽しみなんだわ」

「ふふ」


言葉にすると、より一層自覚する。メアリと目を合わせて、小さく笑う。なんだかくすぐったい感覚に、心がそわそわとした。我が家からラングレー家は馬車であればそんなにかからない。

きっと、テオドール様はまた外で待ってくださっているのだろう。到着してから出てくればいいのに。


「素敵な方ですもんねえ、我が家のメイドたちも毎回、誰が給仕に行くか揉めるんですよ」

「まあ、そうなの?」

「はい。でもお嬢様の専属はわたしなので、結局わたしが行くことになるんですけど」

「それはそうよね」


メアリは昔からローズ家に仕えているメイド長の娘で、小さいころは私の側仕えとして一緒に遊ぶこともあった。だから、他の使用人よりもずいぶん砕けた話し方をする。メイド長にはそれで叱られることもあるみたいだけれど、私がそのままで、とお願いをしている。


「そういえば——……」

「えっ、あ……!?」


話を続けようとした瞬間、ガタン!と大きく馬車が揺れた。馬のいななきが、周囲に響く。御者の悲鳴のようなものが聞こえて、馬車が止まった。

バランスを崩した私をメアリが支えてくれて座席から落ちるようなことはなかったけれど、何が起こったのかわからなかった。


「いたた……、お嬢様、大丈夫ですか?」

「ええ、ありがとう。メアリも大丈夫?」

「はい、何が起こったんでしょう……、ちょっと様子を見てきますね」


メアリが鍵を開けて、外に出ようとしたとき、御者の「いけません!」という声が聞こえた。反射的にドアに手を伸ばしたけれど間に合わず、メアリの手が誰かに引っ張られ、外に投げ出される。


「メアリ!」


外に放り出されたメアリが、地面に叩きつけられる。どうやら意識はあるようで、慌てて立ち上がり、こちらに向かってきている姿が見えた。

でも、それはすぐに、中に入ってきた影と、締められたドアによって見えなくなる。


「ああ、やっと会えた……」


がちゃん、と鍵が掛けられて、その人がぽつりと呟いた。


「マクラレン、侯爵……」


昏い瞳で、微笑みながら私を見下ろす姿にぞっとする。どうしてこの人がここに居るのか、何がしたいのかわからずに一歩後ずさる。


「そんな堅苦しい呼び方はよしてくれよ。前のように、レオと呼んでくれ、フィオナ」

「……どうして、こんなこと……」

「どうして? 君が会ってくれないからじゃないか! 何度も面会を求めているのに、断られてばかりだ……!」

「面会……?」


初めて聞くことだった。ここ数週間、何の接近もないと思っていた。私には伏せられていただけで、本当に面会を求める手紙が届いていたのだろうか。だとしたら、この人はまだ私を諦めていないという、こと?


「ああ、その様子じゃあ君は知らなかったんだね。だから断られたんだ。だって君が僕の面会を断るはずがない」


自分の都合のいいように変換して、納得したように頷く姿に、このまま彼を刺激してはいけない、と本能的に悟る。きっとメアリか御者が助けを呼びに行ってくれているはずだ。だから、それまで彼を落ち着かせないといけない。


「ごめんなさい、わたくし、知らなくて」

「いいんだよ、だって君も僕に会いたかっただろう?」

「え……」

「わかってるんだ。僕が君のことを思わない日はなかったように、君も僕のことを考えてくれていたんだろう?」


そのはずだ、と彼は頷いてこちらを見た。この人は一体、何が言いたいのだろう。数年前のあの日、婚約を破棄したのは彼の方だ。結婚式だって出席した。あなたは、幸せだったはずじゃない。


「大丈夫だ。もうすぐ離縁が成立する。君を迎える準備はできているんだ。なのに、なのに! どうして求婚が受け入れられない! どうして突き返されるんだ!」

「きゃっ……!」


ぐい、と腕を強く引かれる。その衝撃で床に倒れてしまう。

私を見下ろして、マクラレン侯爵が何かをぶつぶつと言っている。それが恐ろしくて、何も言えなくなる。


「フィオナ、あの夜会の日に君は多くの男にその美しさを知られてしまった。ずっと僕を待ってその姿を隠していたのに」

「マクラレン侯爵、落ち着いて——」

「レオって呼べって言ってるだろ!!」


掴まれた腕を、ぎゅう、と握りこまれる。食い込んだ爪が二の腕に刺さって、痛みを生む。


「ッ、……レオ、おねがい、痛いわ……」

「ああっ、ごめんよ、君を傷つけるつもりはなかったんだ……」

「ええ、わかってるわ……」

「でも君が悪いんだよ。僕の離縁が成立するまで、おとなしく家で待っていてくれればよかったのに。あんな、あんな男と……!」

「っ、!」


ガン!と壁を殴られ、びくりと肩が跳ねる。

どうしようもなく、怖い。少しでも、間違えれば、何をされるかわからない。そう思うほど、彼の様子はおかしかった。何が彼を、そこまで駆り立てるのだろう。私への想いというには、歪み過ぎているような気がする。


「駄目だよフィオナ、君は、僕と結婚するんだ」

「あのね、レオ」

「だって約束したじゃないか、僕は君を幸せにすると言ったんだ。だから君も、僕のプロポーズを受けてくれただろう」

「プロポーズ、って……」

「学園に入る前、大きな花束を抱えて君に言ったんだ、覚えてるだろう?」


確かに覚えている。でもそれは、十年近くも前の話だ。彼との婚約が破棄されるよりもずっと前のこと。もしかして、彼の中で記憶が混濁しているのだろうか。それほど追いつめられる何かがあったというのだろうか。

とにかく、刺激してはいけない。私の腕を掴む手に、自分の手を重ねる。離してほしいという意思表示だったけれど、彼はそれを繋いでほしいと勘違いしたらしい。私の手を取って、ぎゅうと握りこんだ。


「フィオナは僕のことが好きなんだよね? あんな、見た目と家柄だけでちやほやされるような男、君にはふさわしくない。あの夜会の日だけだったんだろう? 聞いたよ、あいつとアルテリアが友人らしいね。アルテリアが頼んだのかい? それともあいつが君を誘ったのかな」

「それは……」

「あいつが誘ったんだろ!? くそ、横からかすめ取るようなことをしやがって……!」


ぎち、と手を握る力が強くなる。また爪が食い込んで、顔を顰めてしまう。心臓が、ずっとばくばくしている。

こんなことをして、上手くいくはずがないのに。何をしたって頷くことはないけれど、これが自分の首をどんどん絞めていると、何故気が付けないのだろう。


「わかってるんだ、ローズ伯爵は僕が君を裏切ったと勘違いして怒ってるんだろう? でも大丈夫! 頷かざるを得ない状況を作ればいいんだ」

「何、言ってるの」

「君の美しい顔に傷がつけば、もう誰も君を娶ろうなんて思わなくなるはずだ。ああ僕は別だよ。僕は、君にどんな傷があろうと愛しているからね」

「ひッ……」


マクラレン侯爵がポケットに手を入れたかと思うと、中から取り出されたのは、小さなナイフだった。彼がしようとしていることが、やっとわかった。


彼は、私を傷ものにしたいのだ。


「愛してるよ、フィオナ」


きらりと、ナイフの先端が光った。


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