22 甘い憂鬱
「すみません、もう大丈夫です」
取り乱してしまったことをテオドール様とアルテリアに謝ると、二人は気にするなという風に首を振った。その様子に、ほっと息をつく。
「姉さん、夜会であいつが話しかけてきたんだって?」
「ええ……、二人で話したいことがあると言われて。でも、テオドール様が間に入ってくださったの」
「様子がおかしかったからな。それから、マクラレン侯爵家は事業に失敗したと聞いた」
「ああ、僕も聞いたことあるよ。投資に失敗したんだろう? それで商会が傾いてるんだってね」
サファヴィ侯爵に聞いたことと同じだった。やはり、社交界では有名な話なのだろう。私の元にそれが回ってこなかったのは、アルテリアや両親が情報をブロックしていてくれたのかもしれない。本当に、支えられてばかりだ。
「知らなかったわ」
「知る必要はないからね。……あいつ、姉さんを側室にして、うちから支援を得るつもりなんじゃないかな」
「そう考えるのが妥当だろうな」
「だったら、融資を求めるだけでいいはずじゃない」
元婚約者の家に融資を求めるなんて、貴族としてのプライドが許さないかもしれない。それでも、多くの商会員を思えばこそ、そんなことは言っていられないはずだ。それを我が家が受け入れるかどうかは、置いておいて。
私がそう言うと、二人がこちらを向いて、難しい顔をした。その意図がつかめずに首を傾げれば、アルテリアが、少しだけ唸って口を開いた。
「さっきも言ったけど、あいつまだ姉さんのことが好きなんだよ」
「まさか。もう何年経ってると思っているの」
「そうじゃなきゃ、わざわざ常識外れに釣書なんか送ってくるわけないよ」
レオナルド、……マクラレン侯爵が、まだ私のことを好き? そんなはずはない。だって、手を離したのは彼だもの。あの日、彼の結婚式に行った日、そこで私たちの関係はすべて切れた。そのはずだ。
あれ以来会ってはいないし、遠い噂でお子さんが生まれたということも聞いた。彼は、幸せな生活を送っているはずだ。
そう思うのに、昨日の彼の目を思い出すと、背筋が凍る。見たことのないほど、昏い瞳だった。
「……だとしても、わたくしが頷くわけ、ないじゃない」
「当たり前だよ。……やっぱりあいつ、事業失敗しておかしくなっちゃったんじゃない?」
「だとしたら、何をしでかすかわからない。フィオナ嬢はしばらく一人で行動しない方がいいだろう」
「……ええ、そうします」
常々、貴族令嬢が一人で出かけるのはやめるよう言われていた。それでも図書館やちょっとした買い物に家の馬車を使うのが申し訳なくて、出歩いていた。それも、もうやめたほうがいいだろう。
彼が本当に接触してくるかはわからない。私が断れば、諦めて引き下がる可能性もある。
「基本的には誰か家の者を連れていってね。時間がある時は僕も一緒に行くし」
「そんなに頻繁に出かけることもないから大丈夫よ、ありがとう」
「姉さんさえよければ、テオもつけるし」
「俺はおまけか」
「おまけだよ」
ふたりの軽妙なやり取りに、思わず笑ってしまう。彼らなりの、励ましなのだろう。それを受け取って、頷く。
彼の本当の意図はわからないけれど、あまりいい状況でないことは確かだ。それに、大量に届いた釣書についても考えなければならない。あの山は、見れば見るほど憂鬱だった。
「それで、姉さん、気になる男はいたの?」
「っ、ちょっと……!」
私の隣に座りながら、アルが聞いてきた。反射的に、その服の裾を引いてしまう。そんなわけがないってわかっているくせに。それに、よりにもよってテオドール様の前で。……はたと気づく。私、テオドール様にそんなこと、知られたくないって思ってる。
「居ないだろう」
「何でテオが答えるんだよ、わからないだろう」
「俺より好条件の男が居るとは思えない」
「……!」
テオドール様がさらりと、そんなことを言った。思わず、顔を覆いたくなってしまった。この前から、テオドール様は、こうなってしまった。私に想いを伝えてくださってから。我慢しないとは言っていたけれど、それがこれなら、もう少し我慢してほしい。
うへ、とアルが、わざとらしく顔を顰めた。
「君さあ、もう少し隠した方がいいよ。ほら見て、姉さん俯いちゃった」
「すまない。だが事実だとは思わないか?」
「それを姉さんの前で堂々と言うなって言ってるんだよ」
アルのため息が聞こえるけれど、私はそのまま、顔をあげられなくなってしまった。テオドール様の顔が見られない。その表情が、昨日のような、砂糖を溶かしたようなものだったら、耐えられる気がしないから。
「……わたくし、用事を思い出しましたので、これで失礼します」
「フィオナ嬢、部屋まで送ろう」
「懲りないなあ」
談話室を後にしようとしたところで、すっとテオドール様が私の隣に並ぶ。部屋までなんてすぐなのに、送られるようなこともないのに。でも、頷かなければならないような気がして、一緒に歩き出す。
「……」
「……」
部屋までの間、私たちの間に沈黙が落ちる。何か言うべきなのか悩んで、何かを言葉にしようとするたびに、呑み込んでしまう。どうしようもないことを、口走ってしまいそうで。
——私は、本当にその隣に立つに値する人間なのか。
それはずっと思っていることだった。テオドール様は誰もが憧れる人だ。現に、昨日の夜会では注目の的になっていた。話しかけてきたご令嬢だっていた。何も、私じゃなくていい。でも、それがまるでテオドール様の言葉を否定しているような気がして、言うこともできない。
「フィオナ嬢、昨日のことだが」
「っはい」
「突然のことで、その、驚かせたと思う」
「ええと……」
はい、ともいいえ、とも言えずに、曖昧な返事になってしまう。相変わらずその顔は見られないけれど、何だか少しだけトーンが落ちているような気がした。
「貴女に想いを告げたことは後悔していない。だが、……そんなに警戒させたかったわけではないんだ」
まもなく部屋に着くというところで、テオドール様が立ち止まった。つられて立ち止まって、テオドール様を見る。
警戒、しているのだろうか、わたしは。
確かに驚いた。そんなことがあるなんて、考えもしなかった。でも、嫌悪感は全くなかった。
「警戒は、していません」
「……ああ」
「ただ、……その、何といいますか……」
「はっきり言ってくれ。悪いところは直す」
「……、恥ずかしいんです」
「何?」
ぽつり、と呟いた言葉はどうやらテオドール様には届かなかったらしい。それをもう一度伝えることは勇気が必要だったけれど、言わなければ、きっとずっとこのままだと思う。
すう、と息を吸った。
「恥ずかしいんです! ……わたくし、こういったことに慣れていなくて、テオドール様の言葉ひとつひとつに、どうしたらいいかわからなくなってしまうんです……!」
自分が思っているよりも、大きな声が出てしまった。はあ、と息を吐いてテオドール様を再び見る。失礼になっていなかっただろうかと不安になったけれど、つい、と私から目を逸らしたその耳が赤いのが、見えてしまった。口元を覆う手の隙間から、口角があがっているのも。
「な、んで」
「いや、そうか、……貴女は俺を意識してくれているのか」
「え、あっ」
「いいことを聞いた。やはり、伝えてよかった」
こちらを向いて、とろりと目を細めるテオドール様の破壊力ときたら、……それは、もう、とんでもなかった。きっと多くのご令嬢がこれを見れば、黄色い悲鳴をあげたことだろう。あまりのことに、息をのんでしまった。でも、これは、伝わっていないんじゃないだろうか。
だって現に、彼はすっと私の手を取って、指先に、口づけた。
「っ、許可を得ていないのに、手を取らないでください……!」
「失礼、思わず」
「~~! テオドール様、もう、そんな方ではなかったじゃないですか……!」
ぱっと手を離して、我慢できずに両手で顔を覆う。初めて会ったときの、不機嫌そうな様子から、今に至るなんて誰が思うだろう。アルが居なくて二人で過ごしているときだって、おくびにも出さなかった。私に、そんな、想いを寄せてくださっているなんて、夢にも思わなかった。だからこそ、この変化は突然なのだ、私にとっては。
「すまない、あまりに可愛らしくて」
「っそういうのを、控えてくださいと言っているんです」
「そうか……」
私の言葉に、少し悩んだ後に、「そうだ」とテオドール様が声をあげた。
「それでは、慣れるよう練習をしよう」
「……はい?」
どうやら、改めてくださるつもりは、ないらしい。




