20 甘い困惑
「貴女のことが好きなんだ、フィオナ嬢」
ざわめく喧騒の中、その言葉だけがはっきりと聞こえた。
冗談、なわけがない。テオドール様はそんな冗談は言わない。
友愛の意味、でもない。その瞳が語っていた。
突然のことに、どうしようもなく逃げ出したくなった。テオドール様の瞳の色を送られたその意味すら理解していなかった私は、なんと鈍かったのだろう。
「その、突然すまない。本当は、ちゃんとしたところで言いたかったんだ。……でも、言わずにはいられなかった」
「あ、あの、わたくし」
「いや待ってくれ、何も言わないでくれ」
「……」
手で言葉を制され、思わず口を閉じる。何と言っていいかわからなかったので、ちょうどよかったかもしれない。
——私は、その言葉に何と答えるのが正解なのだろう。
「このままじゃ、一生貴女に意識されないんじゃないかと思って」
「テオドール様……」
「俺は貴女よりも年下だし、貴女にとっては弟の友人でしかないだろう。でも、少しでも可能性があるなら考えてみてくれないか」
テオドール様の真っすぐな瞳に、ただ頷くことしかできなかった。どうして、なんで、そんな言葉が頭の中をぐるぐると巡る。
私は、そんな風に思われるに足る人間なのだろうか。
「姉さん、テオ」
「っ!」
「アルテリアか」
「……、あー、もしかして」
「ああ、言った」
私とテオドール様を交互に見て、アルテリアがため息を吐く。そして、私の腕をとった。
「君って本当に、姉さんのことになるとどうしようもなくなるね」
「……否定はできない」
「せめて夜会が終わるまで待てなかったのかい。ほら、使い物にならなくなっちゃった」
くい、とアルテリアが私を指さす。使い物にならない、なんて酷い言い方だ。けれど、否定はできなかった。
先ほどからずっと頭の中で、いろんな言葉が飛び交っている。そして、目の前にいるはずのテオドール様を見ることが出来ない。
「……本当にすまない、フィオナ嬢」
「いえ、あの、」
ドレスを、きゅ、と握る。ああ、だめね。
(きちんと言葉で伝えてくださった方に、こんな態度をとるのは、いけないことだわ)
テオドール様との出会いを思い出す。最初は、何て不器用な方、と思った。王立図書館で会った時の不躾さは思い出すだに笑ってしまう。アルテリアの友人として出会った後は、何度も一緒に過ごす日があった。それはとても心地がいいもので、私にとっては、心休まる時間だった。
すう、と息を吸って、顔をあげる。
「テオドール様」
「っ、ああ」
「お時間を、いただけないでしょうか」
私のその言葉に、テオドール様は驚いたように目を開いた。彼の想像する私は、何と答えると思っていたのだろう。
「正直、すぐに断られると思っていた」
「……すぐに断れるほど、わたくしは貴方を知らないわけではないんです」
「それは、どういう……」
「はいそこまで」
私たちの間に、アルテリアの腕が差し込まれる。じとじとと、私とテオドール様ふたりをけん制するように睨みつけるその顔に、はっとする。
今は、夜会の最中で、テオドール様はその主催の家の人間だ。いつまでもこうして私たちとだけ話しているわけにはいかないだろう。
「二人の世界に入るのはまた今度にしてね、まずはこの夜会を楽しもうじゃないか」
「……アルテリア、すまない」
「謝ることじゃないよ。まあでも、姉さんは借りていくよ。うちだって挨拶しなきゃいけない家はたくさんあるんだ」
「ああ。……フィオナ嬢、また」
「はい、……また」
軽く礼をして、その場を離れる。私の隣に並んだアルテリアに、何というべきだろう。きっと、アルテリアは知っていたのだ。
知らなかったのは私ばかり。本当に、恥ずかしくなる。何も知らずにずっと彼と過ごしていたなんて。
「仇討の丘」に二人で、と誘われたときにその可能性に気付くべきだった。
でも、……そうはとても思えなかった。だって、私は「行き遅れ」なのだから。
「またいろいろ考えこんでるんだろう」
「……だって」
「姉さんを困らせるなんて、あいつは悪い奴だね」
「そんなことないわ! ……わたくしが、鈍いのが、悪くて」
「それはちょっとある」
「もう、アル!」
私をからかって楽しげに笑うアルテリアに抗議する。いつもの調子に、ほっとしてしまう。私の答えは、あれで合っていただろうか。
口にした言葉は、思ったよりも穏やかな音をしていた。テオドール様の真っすぐな瞳を思い出して、かっと頬が熱くなる。
「……まあ、脈はあるよなあ」
「? アルテリア、何か言った?」
「いいや、何も。それじゃ父上たちのところに行こうか」
それからは、挨拶周りに忙しくて、テオドール様と一緒になることはなかった。テオドール様と別れてなお、刺さる視線たちには慣れなかったけれど、最後の参加した夜会よりは気が楽だった。「行き遅れ」だと揶揄されていたあのとき、私を助けてくれる人は誰も居なかったから。
でも今は違う。私を大事にしてくれて、私のためを思ってくれる人たちがいる。それに目を向けることが出来たから、もう怖くないと、そう思う。
「フィオナ嬢」
「あ、テオドール様……」
「エスコートがあまりできず、すまなかった」
「いいえ、ホストですもの。仕方ないです」
「……仕方ないと、思わないでほしいんだが」
「えっ」
帰り際、ゲストを見送るテオドール様に声を掛けられた。両親とアルテリアは公爵夫妻と話をしている。私の手を取って、きゅ、と握るテオドール様にじわ、とまた身体が熱くなっていく。
「また、誘う。次は俺の行きたいところに一緒に行ってくれるか?」
「え、ええ……!」
「よかった」
ふわり、と微笑むテオドール様に周囲からきゃあ、と黄色い声があがった。あまりにも、破壊力の強すぎるその顔に、くらりとした。こんなに、甘い声を出す方だっただろうか。
「想いを伝えたんだ。もう我慢はしない」
「あ、う……」
「それでは、よい夜を」
手の甲にキスをされて、その手が離れていく。あまりにもこれまでと違いすぎて、反応することが出来なかった。
そんな私とぐい、と引いて連れ出してくれたのはアルテリアだった。自分ではもう、動くこともできなかったからありがたかった。
***
「いやあ、恋っていうのは凄いね。まさかテオがあんなふうになるなんて」
「……」
「あの堅物をあんな色ボケに変えちゃうんだから。それだけ姉さんのことが好きなんだろうね」
「もう、やめて……」
家に帰って、もう寝ようと思っていたところをアルテリアに呼ばれ、談話室に入った。ウィスキーを飲みながら、からからとアルテリアが笑う。私からすれば、笑い事なんかじゃない。
ただでさえ、好きだと言われて混乱しているのに、あんな、あんな。
「姉さん、これから忙しくなるよ」
「……テオドール様は、人気だものね」
「それだけじゃないよ、きっと、明日にはもっとすごいことになるはずさ」
アルテリアはそう言って、またグラスをあおった。
その言葉の意味を知ったのは、次の日の昼前だった。
「え、縁談申込状……?」
テーブルに積み重なるその封筒たちを前に、お父様は頭を抱え、お母様は嬉々として笑っていた。
夜会から一晩で、これまではるか年上の後妻候補や、貴族と繋がりたいだけの商会経営者以外から来たことのない釣書が大量に届いたというのだ。
「ほらね、言っただろう」
訳知り顔で笑うアルテリアに、ただただ、放心するしかなかった。




