19 彼と風と貴方
もしかしたら、と考えなかったわけではない。高位貴族のあつまる夜会に、侯爵家の人間が招待されないはずがないから。それでも、遠くにその姿を見つけることがあるかもしれない、としか思っていなかった。
「フィオナ……、久しぶり、だね」
でもまさか、声を掛けられるなんて、思いもしなかった。
レオナルド・マクラレン侯爵、元婚約者である彼が、どうして私に声を掛けたのかはわからない。戸惑いが先行して、言葉が出なかった。
「君が夜会に参加するなんて珍しいね、しかも、ラングレー家の夜会だなんて」
へらり、と昔と変わらない笑みを浮かべながら言うその姿に、どこかちぐはぐさを覚える。私たちが最後に会ったのは、彼の結婚式だった。招待されたそれを断ることもなく参加した私に、最後まで悲しげな顔をしていたのを覚えている。
そんな彼が、こうして笑顔で私に話しかけると言うことに時の流れを感じる。私もきっと、うじうじしているわけにはいかないのだ。
「フィオナ嬢」
「っ、あ、テオドール様、すみません」
「いや……」
テオドール様の視線が、彼に移る。私から紹介するのもおかしな話で、言葉に詰まる。元婚約者だなんていう必要はないし、幼馴染というには、付き合いが途絶えている。今となっては繋がりのない格上の侯爵である。ちらりと、彼に視線を送った。
「レオナルド・マクラレンです。フィオナとは幼馴染で」
「そうですか」
「以前は婚約もしていたんですが、上手くいかず」
「ッ、レオナルド! あ、……マクラレン侯爵、その話はやめてください」
その言葉に、思わず彼の名前を呼んでしまう。そんなこと、言う必要はない。テオドール様を見れば、表情一つ変わらず頷いていた。なんだかそれに、ちくりと、胸が痛む。
「本当のことじゃないか、フィオナ。それに、そんなよそよそしく呼ばないでくれよ」
「貴方こそ、呼び捨ては良くないわ」
「そうだ、話したいことがあるんだ、少し付き合ってくれないか?」
どこか空回る会話に、違和感を覚える。彼は、こんなにも人の話を聞かない人だっただろうか。思い出の中の彼は、どこまでも穏やかで、気弱で、優しい人だった。
にこにこと笑う彼が手を伸ばし、私の手を掴もうとする。思わず避けようとしたとき、す、と庇うようにテオドール様が間に入ってきた。
「失礼、彼女は今日は私のパートナーですので、連れて行かれては困ります」
「テ、テオドール様、そんな、貴方がフィオナのパートナー? まさか」
「嘘ではありませんよ。ですよね、フィオナ嬢」
「は、はいっ」
テオドール様の言葉に、反射的に頷く。その通りだけれど、はっきり言葉にされると、どこか恥ずかしいような、心が浮足立つような気持ちになってしまう。そんな場合ではない、と、思考を切り替えるために、顔をあげた。
「それに一つ忠告ですが、婚約者でもない女性の名前を呼び捨てで呼ばない方がいい。妙な誤解を与えかねませんから」
テオドール様の言葉に、マクラレン侯爵が、まるで助けを求めるかのようにこちらを見る。その視線は、昔から変わらないものだった。でも、もう私は貴方のために何かをしてあげる立場ではない。その視線を避けるように、一歩、テオドール様に近づく。
「マクラレン侯爵、何かお話があるようでしたらこちらで伺います」
「いや、ここでは……」
「公の場で離せないことでしたら、改めて家に使いを送ってください。そちらで回答いたします」
「……っフィオナ、君は」
ぎ、とマクラレン侯爵の視線が強くなる。その瞳にぞっとした。何かどろどろと渦巻いているような、昏い目が私を捉える。何が彼を、そうさせるのか。恐怖にも似た感情がわき上がる。そんな時だった。
「やあやあ、テオドール殿にフィオナ嬢! ここに居たか!」
快活な声が、私たちに降ってくる。その声は、つい最近聞いたものだった。「ロレンツォ冒険記」の作者であり、サファヴィ侯爵家の当主である、ローランド・サファヴィ侯爵その人が笑顔でこちらに近づいてくるのが見えた。
「サファヴィ侯爵、来てらっしゃったんですね」
「ああ、お招きいただきありがとう! おや、こちらはマクラレン侯爵じゃないか、知り合いかい?」
「知り合い、というか……」
やはり紹介に困って、テオドール様を見上げる。何も言わなくていい、というように首を振られ、口を噤む。「久しぶりだな!」と声を掛けられたマクラレン侯爵は、表情を一転して青くしていた。
「あ、ああ、すみません、用事を思い出しましたので、これで」
「何だ、急だな。まあいい、気を付けて帰るんだよ」
足早に去っていくマクラレン侯爵に手を振りながら、サファヴィ侯爵がにこにこと笑って言った。まるで、嵐のような出来事だった。ほ、と息をつくと、テオドール様からドリンクを手渡される。
「大丈夫か」
「はい、……すみません、お騒がせいたしました」
「いや、構わない。……彼はいつもああなのか?」
「最後に会ったころは、そうではなかったと思うのですが」
ドリンクを一口に含んで、喉を潤す。改めてサファヴィ侯爵に挨拶をする。相変わらず明る方で、その場がぱっと明るくなるような気がした。
しばらく三人で話していると、ふと、サファヴィ侯爵がちらりと玄関ホールの方を見て口を開いた。
「マクラレン侯爵には気を付けたまえよ。どうやら事業が上手くいっていないらしい」
「え……?」
「彼の商会から我が家に融資を求める相談があった。あまりに利が無いから断ったがね」
事業が、上手くいっていない。その言葉は衝撃だった。
マクラレン侯爵家の運営する商会は、一時は王家御用達といわれるほどに勢いがあったはずだ。いまは違うらしいけれど、それでも貴族や平民問わず広く利用していると聞いている。
「投資に失敗したらしい。社交界に出ない君たちは知らないだろうが、有名な話さ」
「そんなことが、……ではさっきの話も、それに関することだったかもしれないな」
「大方元婚約者のフィオナ嬢に口利きでもしてもらおうと思ったんだろう」
元婚約者、という言葉にはっとする。
「ご存じだったんですか?」
「そりゃあね、私は意外と情報通なんだ」
家の都合での婚約解消など、それなりにある話だから、そんなに知られていないと思っていた。その後に長年婚約者が出来ていない、ということで私は物珍しさから噂されることはあったけれど。
ぱちん、とウインクする姿は、他の好奇心を隠さないような人たちとは違って、純粋にこちらを心配してくれているようだった。
「ありがとうございます、サファヴィ侯爵」
「いやなに、知っていることを話しただけだよ。それよりもフィオナ嬢、今日は一等美しいな。その濃いブルーはテオドール殿の瞳の色と合わせてるのか、いいねえ」
「えっ」
「あ」
私の声と、テオドール様の声が重なる。
テオドール様の、瞳の色。ぶわり、と体温が上がる。ドレスにおいて、相手の瞳の色を纏うことの意味を知らないはずもない。私に濃いブルーを薦めたアルテリアと公爵夫人のことを思い出す。あの二人は、気づいていたのだ。
「あの、えっと、テオドール様」
「いや、言わなくていい、すまない」
「わたくし、気づかなくて、その、何と言ったらいいか……」
「もしかして私は余計なことを言ったかい? しまったな、やはり馬に蹴られる前に退散しよう。それでは!」
ふたりでしどろもどろになっている間に、サファヴィ侯爵は風のように去って行ってしまった。残された私たちの間に、沈黙が走る。
「……すみません、こんな、本当にそんなつもりはなくて……」
私がそう言うと、テオドール様が、ぱっと顔をあげて、私を見た。
視線が交わって、その真っすぐさに思わず息を詰める。
「……わざとだ」
「え……?」
「俺はわかっていて、そのドレスを用意した。貴女に俺の瞳の色を纏ってほしいと、そう思って」
その言葉に、耳を疑う。それは、だって、……まるで、告白のようではないか。テオドール様が、私を?じわじわと、身体が熱くなっていく。
「貴女のことが好きなんだ、フィオナ嬢」
はっきりと伝えられた言葉に、私は何と答えたらいいのだろう。
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