18 対峙と退治
「夜会なんて久しぶりだから不安だったけれど、二人が居てくれるなら安心ね」
そう言ってフィオナは微笑んだ。いつもならばすぐに女性たちに話しかけに行くアルテリアも、今日ばかりは姉の傍を離れないつもりらしい。
改めて見て、見目の良い姉弟だな、とテオドールは思う。その美しいブロンドは、彼らの母方の実家である公爵家に代々伝わるものだ。薄紫の瞳も、品の良さを引き立てている。だというのに、フィオナはその年齢が故に社交界では「行き遅れ」と揶揄されていた。けして彼女だけが結婚していないわけでもないのに。
「姉さん、何か食べたいものはある?」
「ううん、何だか胸がいっぱいで」
「そうはいっても何かはお腹に入れた方がいいよ。適当に軽いものを取ってくるね」
「ありがとう」
「すぐに戻るから」
そう言ってアルテリアは離れていった。去り際に、テオドールに姉を守るよう視線を送ってから。それに頷き、給仕から受け取ったグラスをフィオナに差し出す。あまりアルコールに強くないと言っていたフィオナのために、ノンアルコールのリンゴを発酵させたドリンクを選んだ。
相変わらず、視線は二人に刺さっていた。おそらく牽制し合っているのだろう。誰しもが二人に話しかけたいはずだ。その関係を知りたいはずだ。しかし相手は筆頭公爵家の嫡男であり、失礼な真似はできないと思うだろう。己がその立場でよかった、とテオドールは内心息を吐く。
しかし、必ずしもそんな人間ばかりではない。一人の令嬢が、二人に近づく。
「テオドール様、ご機嫌いかがですか」
「……デイビス侯爵令嬢、どうも」
「素敵なご令嬢とご一緒なのですね、お名前を伺っても?」
「フィオナ・ローズと申します」
家格の高いデイビス侯爵令嬢から名を聞かれ、フィオナが礼を執る。その家名に、侯爵令嬢がつい、と眉をあげる。
「ああ、『あの』ローズ伯爵令嬢でしたか。だからアルテリア様とご一緒でしたのね」
その言葉に、憤りを通り越して呆れを抱く。フィオナの髪色を見れば、アルテリアと血縁だとわかるし、その血縁は姉しかいない。高位の貴族であればそんなことに気が付かないはずもない。
そして、強調された『あの』という言葉。おそらくは社交界でのフィオナの呼び名を指しているのだろう。これこそが、テオドールの知る貴族令嬢だ。
「テオドール様がどなたかをエスコートされるのを見たのは初めてですわね」
「そうだな」
「普段は社交界に出られない方ですもの。アルテリア様にお願いなさったのかしら」
まるでフィオナが弟にテオドールのエスコートをねだったかのような言葉に、フィオナがさっと表情を青くする。ああ、こんな顔をさせたかったわけではないのに。
「いえ、わたくしは……」
「俺から誘ったんだ」
「えっ?」
「俺がフィオナ嬢にエスコートを申し込んだ。それが何か?」
「そんな……」
今度はデイビス侯爵令嬢が表情を青くする番だった。まさか、テオドール自らが令嬢を誘うとは思っていなかったのだろう。フィオナがねだったとは思っていなくとも、アルテリアとの縁からたまたまそうなった、くらいに思っていそうである。
そしてまた、フィオナも驚いた顔をしている。それがあまりにも目がまんまるなので、テオドールは思わず、ふっと笑ってしまった。
「テ、テオドール様が、笑った……?」
どこからか、小さなつぶやきが聞こえた。その言葉に、ふは、と笑ったのはアルテリアだった。
「笑っただけで驚かれるなんて、君は本当に面白いね」
「……俺だって笑う」
「知ってるよ。『僕たち』はね」
そう言って、アルテリアはフィオナに視線を送った。それは暗にフィオナとテオドールが親しい関係であると語っていた。余計なことを、とは思えど、否定する気にはならなかった。
フィオナが慌ててこほん、と小さな咳ばらいをした。デイビス侯爵令嬢を無視するな、と言いたいのだろう。自分に嫌味を言った相手だというのに。
「デイビス侯爵令嬢だって、悪気があったわけじゃないですよね」
「え、ええっ、そんな、まさか……」
アルテリアがにこりと笑って、侯爵令嬢に話しかける。表情をひきつらせながら頷く姿に、すっと瞳を細める。ああ、アルテリアの悪い癖が出てしまう。テオドールはため息を吐きたくなるのを抑えながら一歩下がった。
「そうですよね、こんなに麗しい方がまさか、そんな意図をもって話しかけるわけがありません」
「そ、そうです、もちろんっ」
「よかった、誤解をするところでした、申し訳ありません」
恭しく礼をしてアルテリアが微笑んだ。自分の顔の良さをよく理解している笑みだ。
社交界において、無敵なのだ、アルテリアという男は。領地財産豊かな伯爵家の嫡男であり、母親譲りのブロンドに端正な顔立ち。そしてテオドールとは全く違い、軽薄に見えすぎない程度の女たらし。
そんな男に微笑まれて、デイビス侯爵令嬢は頬を赤くして何度も頷いていた。つくづく、上手い男である。
「フィオナ様、あの、勘違いなさらないでくださいね」
「はい、もちろんです」
ちらちらとアルテリアを見ながら、デイビス侯爵令嬢は、フィオナに弁明をした。気にしていないと言うようにフィオナもまた首を振り、その場は収まった。デイビス侯爵令嬢の去り際にアルテリアが「後程ダンスをお誘いさせてください」と言っていた。多分、その令嬢はお前の「運命」ではない、とテオドールは呆れて今度こそため息を吐いた。
「すまない、嫌な思いをさせた」
「いいえ、わかっていたことですから」
「こら、姉さん」
「あ、ごめんなさい、違うんです。あの言葉ではなく、その、女性から話しかけられるということは、わかっていたんです。……テオドール様は、素敵ですから」
フィオナの言葉に、ぐ、と言葉に詰まる。おそらく、フィオナに他意はない。本当にそう思っているだけで、そこに恋情を含むわけではないだろう。それでも、褒められたことに違いはない。あがりそうになる口角を抑えて、ありがとう、と言葉を返した。
「そろそろ始まるかな」
アルテリアの言葉に、両親がフロアの中心に歩き出すのが見えた。ホストである二人はグラスを持って、周囲を見渡しながら微笑んだ。
「本日は皆様、楽しんでください」
前口上のあと、父がそう言って、グラスを持ちあげた。つられるように会場のゲストもグラスを掲げる。それにテオドールたちも倣う。それと同時に、ゲストを招き入れるために大人しかった音楽が、音量を上げる。
「フィオナ嬢」
「はい」
「……踊っていただけますか」
手を差し出して、視線を下げてフィオナを見る。自分からダンスを誘うなんて初めてのことだ。アルテリアに練習をさせられたこれは、フィオナにはどう見えているだろうか。
そ、とその手が取られて、フィオナが微笑む。
「よろこんで」
少しはにかんだような、照れたような表情に胸が苦しくなる。ああ、自分はこんなにも彼女に焦がれているのだ。何も言葉に出せずにいると、ぐ、とアルテリアが肘で小突いてきた。はっとして、フィオナの手を優しく包む。小さな手だ。
「それじゃあ僕も踊ってこようかな」
デイビス侯爵令嬢はどこだろう、なんて言いながら、アルテリアが離れていった。テオドールと、その手を取ったフィオナを見る視線は、最初の刺々しいものからは既に変わっていた。己の態度によるものだとしても、それでも好奇心を隠せないような周囲の様子は、いっそ面白かった。社交界とは、こういう世界である。
フロアの真ん中に行けば、す、とフィオナが近づいてくる。その背中に手を回して、ゆっくりとダンスが始まる。
教養としてのダンスは習っていたけれど、こうして踊るのは義務として参加した学園卒業のダンスパーティ以来だった。
「わたくし、あまり上手くはないので、ご迷惑をおかけするかもしれません」
「俺も変わらない。へたくそ同士好きに踊ろう」
「ふふ、そうですね」
フィオナはそう言っていたけれど、パートナーに身を任せて踊る姿はひいき目なしに優雅だった。社交界に参加しないだけで、淑女として必要なものは全て身につけているのだ。
パートナーを信頼すればこそ、ダンスというのは息が合って見える。数年ぶりのダンスだというのに、テオドールはその踊りやすさに感心していた。
ゆっくりと、音楽が小さくなっていく。二人の間に、距離が開く。
フィオナが恭しく礼を執り、テオドールもそれに応える。二人で視線を合わせて、どちらともなく笑った。
「喉が渇いただろう、すぐに用意させる」
「ありがとうございます」
再び音楽が鳴り始め、フロアでは引き続きダンスを踊る男女が行き交っていた。
給仕からドリンクをふたつ受け取って、ひとつをフィオナに差し出そうとしたとき、その視線が自分に向いていないことに気付く。
その視線の先には、——マクラレン侯爵がいた。
「フィオナ……」
ぽつり、と呟かれた言葉に、フィオナは表情を硬くしていた。




