■それぞれの隠し事
桜坂うぐいすは荷物を預かる予定だった。
約束された時間に店の外に出たが、そこにはもう既に二人の先客がいて、心臓がドキリとしたのを覚えている。
電話の相手は旦那だ。
旦那はまだ病院で勤務中だったが、荷物をちゃんと受け取ったかどうかの確認電話をしてきた時、ロックンロールミュージックに夢中になっていた桜坂は、時間のことなどすっかりと忘れていた。
思い出した時には既に時間が過ぎていて、荷物の受け取り確認の電話を時間ぴったりにしてきた旦那に焦って弁解しているところに、例の血まみれの女が降ってきたわけだ。
しかし、桜坂はその荷物が何なのかを全く知らなかった。
もしかしたら変なクスリだっったのかもしれないし、それはただの郵便物だったのかもしれない。もしくは自分が不得意とするあることの特訓のためのモノなのかもしれないが、中身までは教えてもらえなかった。
一抹の不安を覚えながらも、愛する旦那の頼みだ。自分を危険な目には合わせないという勝手な思い込みから、いとも簡単に了承してしまった。
そこで起こった事件にびっくりし、悲鳴を上げながら無意識に電話を切ってしまった桜坂は、その後1回も電話をしてこなかった旦那に深い不信感を抱いたまま、今日を迎えている。
血まみれの女を蹴り落とした男を幸元は知っていた。
金色のメッシュの入った髪の毛は、うっとうしそうに目にかかっている。ホストが好むような真っ黒いスーツに日焼けした肌は遊び人の代名詞だ。
グレーのカラーコンタクトと左手薬指に入った入れ墨が印象的な男は、一目見たら忘れられないほどのインパクトがあったがしかし、何かが足りず、下っ端チンピラ止まりにしかなれない残念な星回りの男であった・・・ようなイメージがしてならなかったのを覚えていた。
1、2年前だろうか、旦那の仕事関係で1度食事を共にしたことをうっすらと覚えていた。
そのときはもう少し髪が短く、色も白かったが、目の感じは一緒で、その雰囲気も似たようなものを持っていた。
車から蹴り飛ばしたのはほんの一瞬の出来事だったが、一度合った人間というのは、自分の頭の中にある記憶の引き出しに、勝手にストックしてあるので、それとうまく照合してやれば80%の確率で合致する。
と、トレーダーの旦那からしつこく言われていた知識を少しだけ使ってみた。
幼稚園のお遊戯会でその男と会ったことがあるのを白戸は思い出していた。
確か、シングルファーザーだったと思う。
夜の仕事と思しきスーツに明るい茶髪は、父兄には似つかわしくなかったし、朝っぱらから酒臭かったことがあったのを覚えていた。
子供は素直でみんなと仲が良く、至って普通に育っていたのでそんなに心配する必要がなかったが、子供のお迎えに来た折に何度か話をした中で、とても魅力的で惹かれた自分がいたのも確かなことだった。
人の目をじっと見て話をする癖があるその男は、グレーのカラーコンタクトをしていた。
動作も優雅で優しく、他の子供たちにもなぜか人気があった。その男が来ると園児たちは走り寄って行き、抱っこをねだってもいたし、遊ぼうと服を引っ張ってもいた。それに答えるように楽しそうに子供達を遊ばせていた記憶があり、とても紳士的で魅力がある人だ。という印象が強かった。
だからだろうか、ほんの一瞬だったけれど、あのスーツとあの雰囲気にあの目の色は、忘れるはずがなかった。
確か名前は・・・
「こんな真っ昼間からお酒とは有閑ですねぇ」
無言で何かを考えていた4人の前に現れたのは、メガミだ。
大量生産の安物のスーツのインナーには安物の白いシャツ、ひっつめた髪の毛は毛先がぱさぱさだった。
ざっと値踏みをする淑女たちは、そうは見せないようにしても、周りにはうっすら分かるような鼻持ちならない態度を示していた。
「ちょっと署まで宜しいですか?お食事も終わったようですし」
無理矢理笑顔を貼りつけています。
と分かるように主張した顔を4人の淑女に向け、指を外に向かって指した。
一斉に指し示された方を向くと、そこには黒い警察車両が2台。
見覚えのある顔が表情の無い顔でこちらを覗っているのが見えた。
タヌキだ。
ちっ。
野本があからさまに舌打ちし、どうしても行かなきゃなんないわけ?とメガミに突っかかる。
「逃げたと思われる男が乗っていた車が八王子で発見されまして、その中に残されていた血痕を調べましたらね、未だ意識不明の女性と同じ血液型だったんですよ、野本さん。その男も今朝未明に、立川でふらついているところを職質かけて捕まえましてね、奥様方にその顔を見てもらおうと思いまして、わざわざ歌舞伎町からこんなおハイソな場所まで出て来たって次第です。たいしてハイソな顔してないのにこんなに見栄張っちゃって。じゃ、いいですか?」
最後のハイソな・・・の部分を早口で、しかし聞こえるように小さな声で4人の耳に届けた。
4人が同じタイミングで、眉間に一本の縦筋を入れて、文句の一つも言おうと口を開く前に、テーブルの横に置かれている伝票を当たり前のように取ると、お会計を済ませにキャッシャーへと向かう。
「ちょっと何やってんのよいいわよそんなこと!あたしたちが勝手に楽しんでるんだから。何もあんたたりに払ってもらう義理は無いわよ」
言いたいことを言わせないメガミに腹を立てた野本が、我慢出来ずにまくし立てた。
「いえいえまさか、私はそんなことしません。こんな無駄金、冗談じゃないです。ほら」
指を指すとタヌキの顔。
「ご協力してもらうんですから、このくらいこちらで持つのが普通なんですよ」
テーブルに取り残された4人は、なにやらバカにされたような、なんとも言えない釈然とした気分に成り下がっていた。