■ エクアドル
■南米■
野本 嘉元
ヨーコ
王 龍友
エクアドル共和国 首都キト
野本嘉元とヨーコは首都キトからさほど離れていない深い森の中にある研究所で人体実験をしているところだった。
ヨーコは撃ち抜かれたはずだが、そこはぬかりない嘉元がついていた。特注で作った防弾チョッキと血糊袋を仕込んでいた為、気は失ったが死ぬまでには至らなかった。これも嘉元の差し金で、万が一の時のことを考えた上での着用だ。嘉元にしてみれば、プランBを立てるのは当たり前のことだ。貨物船の爆発もあり、根上たちは横たわっているヨーコの身体をよく調べなかったのが最悪のミスだったが、既にヨーコはこの世にはいない人として処理されている。
新たに開発した研究所でアングラで動くにはヨーコはもってこいの人物だった。
今や誰でもないヨーコは誰にでも成り得るわけだ。
嘉元はそんなヨーコを使うにはもってこいの人物だと考えを変えた。そして安西はしばらく泳がせることにした。
今までに作り上げたモノは全て廃棄処分にしてしまった以上、安西は唯一残った一体だ。それも自分が手塩にかけた最高の出来のモノ。今後どうなるのかを見届けてからでも遅くはない。そしてそれまでになんらかの対策を考えておけばいいだけの話だ。
あれ以来ツグミには何の連絡も入れていないが、何年か前に内密に送り届けていた離婚届が受理されたのかは知る術が今のところ無い。
嘉元は自分の研究のためならどんな人でも使う。それが例え愛した人であっても躊躇なく踏み切る。
ヨーコも今のところ使えるから側に置いているが、用済みになったらさっさと切り捨てるだろう。
茶色いレザーのパンツを履いた女が研究所の近くの森の茂みに隠れている。
眼下に研究所を見る形になっているこの場所は、深い木々と草が影となり、姿を隠してくれる。
両腿にはサバイバルナイフ、腰には拳銃。
防弾チョッキを身につけ、その上からは同じく茶色いレザージャケット。
ここからだと研究所の中は確認できないが、入り口には車が3台停めてある。
数時間前にその車の中から嘉元とヨーコが出て来たのを見て、心臓が止まるくらいに驚いた。
嘘でしょと小さく言った言葉は森の木々に吸い込まれた。
「あの女、生きてたんだ」ツグミは知ってるの?
安西トキは目を見開きながら研究所内に笑顔で入っていく二人を目で追った。
貨物船での出来事がフラッシュバックして、腹の奥の方がぐっと熱くなる。
野本に連絡をしようにも今は携帯電話や通信機器の類は何も持ち合わせていない。
安西は完全に体が回復し、退院の一日前の夜中に病院を抜け出してからというもの、自分と連絡のつくものは一切持たずに過ごしてきた。
そして身につけてきた知恵と人脈によって、誰にも知られないうちに、するりと日本から離れたわけだ。
「絶対許さない」
黒いレザーのグローブ越しに拳を握りしめ、今入って行った研究所のゲートを睨みつけ、どこからどうやって、何人倒して入ればいいのかを頭の中で完璧にシミュレートした。
何回も。成功例をイメージして。
研究所の中に入る為にはゲートを突破するしか方法は無い。
しかし、そこにはライフルを持った奴らが二人、警備にあたっている。
研究所の敷地は有刺鉄線で守られていて、カメラがぐるりと四方を囲っている。
安西が履いている膝まで隠れるミリタリーブーツはこれだけでも凶器になるだろう。
研究所の様子を頭に叩き込むように、ゆっくりと歩き始めた安西はおもむろに右腿にあるナイフに手を伸ばし、唾を飲む。
そして自分の右側、森の奥の方に意識を向け、素早く振り返ると同時にナイフを投げつけた。
それは太い木の幹に命中し、柄の部分まで深くめり込んでいる。
「誰?」
警戒しながら辺りに神経を張り巡らせる。
姿勢を低く保ち、左右を目だけで確認する。
人の気配を感じ取りつつ、左手は既に左腿のナイフに伸ばしてある。
心地よい風に森の木々やその葉や土が揺すられる摩擦音しか耳に届かない。時折野鳥の鳴く声が耳に入る。
風は止むことなく、木々の音も止まることは無い。
こういう場合、自分の味方にもなる森だが、ひとつ間違えば敵にもなる。
足音が聞こえた気がして、そちらに顔を向けるが誰もいない。
顔を正面に戻した時、そこにあるべきナイフが既に抜かれていることに気付き、安西はナイフから手を離し、腰にある拳銃に手を伸ばした。
一歩一歩ゆっくりと体をずらし、背後を研究所側に向け、拳銃を静かに抜くと体の前で構えて、360度に意識を向ける。
風が強くなり、音が聞こえなくなる。
こっちには隠れる場所が無い。
有利なのは相手側だ。安西はゆっくりと隠れることが出来そうな木のところまで移動する。風下に特に注意を払った。
木に背を預け、様子を伺うが、そんな安西をしっかりと目で追っている男は口元を緩め、気付かれないように風下から近づいて行く。
男は、自分とは逆の方向を向いている安西に近づき、安西が気付く前に、拳銃を持っている両手を押さえ口を塞いだ。
安西は息を飲み、体に力を入れるが、両手は強力な力で掴まれ、口元も手で覆われている。
「静かに。声を出さないで」
日本語だ。
そして聞き覚えのある声だ。
「これは返しますから。いいですね」
目の前に出されたナイフは自分が木にめりこませたものだ。敵じゃないのか?
安西が頷くとゆっくりと手が離された。
自分のナイフを素早く奪い取り、距離を取るように振り返りナイフを向ける。
目の前の相手は両手を挙げている。
安西はその姿を見て肩を落とし、両手を両膝についた。
「なんだよ、早く言ってよ」
緊張が解けた安西は、ふざけんなとばかりに相手を睨む。
「すみません、いつ声をかけようか迷っていましたが、安西さん殺気立っていましたので」
両手を降ろすその人物は、王だ。
「なんであんたがここにいんのよ」ナイフの刃についた木の液をグローブで拭き取り、さやに戻す。
「実は幸元さんに頼まれまして」
「幸元さん?」
安西は頭の中の引き出しから情報を抜き出した。なんで幸元さんが?
ツグミが頼んだのか?
そういえば、こいつは幸元さんの旦那が手放さずに側に置いて守り抜いている人の一人だ。
嘉元とヨーコに消されるのを恐れて、先手を打とうと考えたのか?はたまた田ノ木さんが・・・
「一人より二人の方がいいと思いますけど」
王は安西が何を考えているのかを察知し、安西の気をこっち側に戻した。
「・・・私一人でも平気だけど、まぁ、いいわ」
「はは、やはり、似ていますね」
「あいつらは、絶対に許さない。私と同じ思いをする人なんて二度と作らせない」
「はい。私もそう思いますよ」
「そして、私はヨーコを潰す。できれば、ツグミを裏切った嘉元もこの手でぼっこぼこにしたいけど、出来ない場合はあんたに任せてもいい?」
「勿論です。そのために来ましたから。私は最初から野本さんの旦那の方を目的に来ていますから」
「・・・ツグミに依頼されたの?」
「それはご想像にお任せします」
にこっと笑った王は、闇に紛れることができそうなくらいに全身黒ずくめの格好だ。
今では髪の毛すらも真っ黒になっていた。
二人はこれからのことを話しながら研究所の周りを一周し、王が持参してきた内部の様子が書かれた図面を頭の中に叩き込み、作戦を綿密に立てた。
チャンスは一回しかありません。と王が言うと安西も頷いた。
「失敗は死を意味します。私もあなたも」
ゆっくりと頷く安西に迷いの色は無い。
「よし、行きましょう」
王が拳を目の前で作ると、それに安西が答え、お互いの拳を一度がつんと当てると、ゲートへ向けて視線を落とした。




